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歌舞伎町でのホスト刺傷事件で浮き彫りになる、ネットに侵食された現実

最近、ホストがらみのニュースが目立つ。

ホストクラブは、わざわざ説明することもないが、男性が女性に対して接待をする店である。
最近では、SNSやショート動画で、営業や広告として現役ホストの方々が発信をすることで、今までは触れ合う機会のない私たちも身近な存在として目にすることができる。

その分、業界では当たり前にされていたこと、例えば、何百万とかかるシャンパンタワーや、指名ホストのために女性客が風俗で働くこと、数百万円単位の掛けを行うなど、私たちの中では知っていたけれど実感のわかなかったことが映像付きで目にし、その現実離れに違和感と軽い恐怖感を感じさせる。
そしてその違和感が「ホストは悪いやつ」「害悪」というイメージを抱かせ、上記のニュースのようにホストが刺されたというニュースが出ても
「自業自得」と言われたり、刺した女性が被害者かのような記事が出たりするのだ。

前置きが随分と長くなってしまったが、今回の本題は、「ホストは善か悪か」ではなく、「インターネット普及による情報過多で、私たちの心は悪に侵されていないか」という警鐘である。

経済学者で以エール大学助教授の成田悠輔氏は、著書『22世紀の民主主義(SB新書)』で、民主主義の国ほど、2001年以降に景気が低迷していることを、データをもとに解説している。

ここからは私のあてずっぽうの予測だが、この原因の一つに、インターネットの普及により、私たちが今まで見なくてよかったことを目にし、知らなくて幸せだったことを知ってしまったことによる絶望があるのではないか。

特に最近は、手軽に動画を撮ることもそれをSNSに乗せて不特定多数に発信することも容易になった、
そういったものがなければ関わることがなかった人たちの姿が、動画とSNSにより、一気に私たちの身近な存在になる。
しかし、私たちと「関わることのなかった人たち」の間では、『常識』も『フツー』の定義もずれがある。
私たちの『フツー』からかけ離れたことをしている人たちを『害悪」と脳内で変換しているのではないか。

90年代、『アムラー』や『たまごっち』などが流行り、華やかに見える一方、『ブルセラショップ※1』や『エアマックス狩り※2』など、闇の流行りもあった。テレビなどでは取り上げられ、言葉としては知っているものの、インターネットが身近にない時代、その実物を目の当たりにすることがなかった。どこか、違う世界でのファンタジーのような、現実感を感じないイメージがあった。

2000年以降、インターネットが発達し、わたしたちは、いろんなもの見、知ることができるようになった。2010年以降は、SNSの普及により、発信もたやすくなった。その分、闇の部分が動画や画像で目にすることができるようになった。
人伝いで話を聞くのと、映像を目の当たりにするのは、感情の揺さぶられ方が違う。

今回のホストの話で言うと、桁の違う金銭のやり取りをする世界、客側も承知の上で遊んでいるはずだ。
もちろん、精神的に弱い人が、ホストにはまってしまい、見境なくお金をつぎ込んだりストーカーのような行為に及ぶこともあるだろう。
しかし、それは当事者間の問題であり、「ホストが社会の悪」にはならない。

今回のホスト刺傷事件で、周りにいた人は、ほとんど救助をせず、動画撮影をしていたといわれている。

これも『ネットの情報』なので、うのみにしてはいけない。
しかし、これは、ネットに侵され、善悪の区別がゆがんでしまった末の人々の姿なのかもしれない。
動画撮影をし続けたひとたちのなかでは
「害悪が刺された面白映像」の認識だったのだろうか。

インターネットやSNSが悪いのではない。悪いのは、それらに侵される私たちだ。
正誤・善悪関係なく情報があふれているこの時代、勝機を保ち続けるのが必要だ。

※1ブルセラショップ とは

女子高校生などが着ていた体操着(ブルーマー)やセーラー服、使用済みの下着などを販売する、ポルノショップの一種。

goo辞書より

※2 エアマックス狩り とは

スポーツ用品メーカーのナイキ製のスニーカー、ナイキ エアマックスを履いた人物を複数の若者が徒党を組んで襲撃、暴行し強奪すること。「ナイキ狩り」「マックス狩り」ともいわれた。

wikipediaより

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