モリアル開墾日記・2
10月13日、藤崎百貨店で16回目、旅個展としては59回目の個展を終えた。初個展は1997年。売れても売れなくても、売れるかどうかわからない絵をひたすら描き続け、毎年回を重ねてきた。よくもまあ描いてきたものだ。
ぼくは俗に言う画壇に属していない。画壇とは「〇△展」と呼ばれる会派だったり、〇〇先生のお弟子さんだったりを指す。モノの本によっては、日本の絵画の世界では画家として生業を立てるなら画壇に属する事が必要になる、とまで書かれている特殊な世界だ。
何度かぼくも入りかけたり、誘われたことがあったけれど、どうも性分に合わずに断り、単身細々個展を繰り返し今に至る。細々であってもそれで生活が成り立ってきたから良しとしている。
その場にいて居心地が良いかどうか?それが大切だとぼくは思う。
話を戻すけれど、実は藤崎での個展会期のなか日、ギャラリーでの一日が終えたあと、仙台の自宅に戻らず川崎町青根の森のアトリエアルティオ=モリアルにクルマを走らせた。
忘れ物をした訳じゃない。ただ無性に森の中に戻りたくなったのだ。
会場からクルマで50分。着いたのは9時近かった。風呂に入ってベッドに横になるとあっという間に寝落ちていた。
朝、特別なことは何もないけれど、山の端から差し込む朝日がテーブルにはねかえる。
コーヒーとシリアル(好きなのです)、そしてパンを食べながら、妻と話した。「そうそう、この朝のためにわざわざ森の中に来たんだよね」
朝の光をていねいに味わうなんて、いつ以来だろう。描くことで暮らし始めてウン十年、日々そんなこと考える余裕もなかったのだな。
窓の外は、逆光朝日の中に立つ木々のシルエット。
緑あふれる森を緑の絵の具で描くのは絵描きじゃないよな…ふと、そう思った自分にとんでもなく嬉しくなってハナマルくれて、個展会場に再び向かった朝。
森に行くと必ずスコップやクワを持っていたけど、この日は持たなかった。個展の折り返しの朝、森の中で耕したのは、気持ちだったのかもしれない。
この絵は個展の案内状に使った作品です。イギリスコッツウォルズからソールズベリーに向かう道すがら出会った風景『平原_再び歩き始める人へ』
生きるってことは、なにかの「途上」に居ることだと思う。立ち止まることは、歩くためのこと。だからこの絵を描きました。
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