モリアル開墾日記・1
絵描きのぼくが、自分で自分のギャラリーショップを持つことになるなんて、10年前は考えてもいなかった。もう誰も覚えていないような仕事の原画を処分できない言い訳に、「いずれ美術館がたった時に必要になるから…」なんて冗談で言っていたことはある。
それがあれやこれや、ありえないような出会いと縁が重なり、「持ってしまった」のが7年ほど前のことだ。名前はアトリエアルティオ。名前は好きなケルトワールドの熊の女神にあやかった。10坪のテナントだったけど、気がついたら契約、開店していた、そんな感じだった。
妻と二人で切り盛りしたその店を、思うところあって、この夏、閉じた。
あとに残ったのは、描いていただけでは決して覗けなかった、お店を維持するための山のような経験。そして出会いだ。
閉じることにしたのは、経験と出会いを別の次元に深めたかったから、と言えばかっこつけすぎだけど、嘘ではない。
35年、描くことしかしてこなかった人生も、目前に「還暦」という折り返し地点が見えてきた今、ぼくら(妻とぼく)は、腰を落ち着けて描きまくろう、と、仙台からクルマで1時間ほど、蔵王連峰のふもとの森の中に、小さな中古の山小屋を手に入れた。
ほかの絵描きがどういう暮らしをしているのかはわからない。正直、興味がまったくない。少なくともぼくの35年は打合せと〆切納期と追いかけっこだった。こんなふうになりたいなあ、なんて目指す画家や作家スタイルが、ぼくにはあまりなかった。
時代があと10年早く生まれていれば、バブルという名の、クリエイターがギャラをポンポンともらえた(らしい)伝説的時代の恩恵に預かることもできただろう。
けれど残念なことに、(いや、ラッキーだったとも思っているのだが)その味を知らずに屋号をかかげたぼくが、今まで描くことだけでお米を買い、家を建て、子供たちを育て、なおかつやりたいことを少なくともやってこれたのは、独立という背水の陣を敷いた納期と追いかけっこのおかげなのだと思う。
言い出しっぺは妻だった。
「やりたいことに目をつぶってこの世界にサヨナラするのはいやだなあ。」妻がそんなことを言い始めた。やりたいことは何かを自問したとき、森に向かう一本の道が見えた。森の向こうに妻は売りに出ている山小屋を見つけてきた。
全てがぼくらのために準備されてる。そんな感じがした。文字通り手持ちの資金をかき集め、借りれるだけのお金を借り(そこはしっかり政策金融公庫だ)、森の中に古い山小屋を手に入れた。
山小屋の写真を見たギャラリーショップアトリエアルティオの常連さんがこう言った。「森のアルティオ、、、モリアルね」
モリアルか、稀代の悪役モリアーティ教授の秘密基地みたいでなんかいい。
ウィークデイは仙台自宅の仕事はですごし、週末から森に向かう生活がはじまった。
なんかいい、と思っていた気持ちは、森のアルティオに通い始めてすぐにすっ飛んだ。庭のあちこち、高さ数十センチに伸びている草…というか、幼木の群れ。まずは、敷地を歩けるようにしなければならない。
庭の草取りくらいのつもりで小さなシャベルを持って行ったぼくらに、森が「甘いぜ」と笑いかけた。
人が数年住んでいないモリアルの敷地地面は、草ではなくどんぐりから伸びた細い木の根が絡み合ったカーペットだった。どこまでも根が張り、オマケに地面に隠れていた倒木の数々がその根のアンカーになっていた。
結局地面を掘り起こさなければ先に進めない。数十センチの木の根カーペットを引っ張がさないといけないのだ。そうか、クワが必要だ。ホームセンターに買いに走った。
山小屋の収納庫の中に、前オーナーが置いていってくれたオノやシャベルといった一式の道具があった。その中で錆びつつも存在を放っていたのが、ツルハシだった。手に取るとずしっと重い。はじめて振り上げるツルハシ。鉄の重量に、打ち込みが定まらない。情けなくもヨロヨロだ。だけど土に隠れた倒木にはコイツだった。ツルハシの重さの意味やチカラの入れ方も実地で知った。
普通の暮らしをしていたら知らなかった森の仕組み。強制的な暮らしのパラダイムシフト。「すみません、森の片隅に住まわせてください」そんな感じ。
ある日、妻がアザミを花瓶に入れてアトリエ小屋に持ってきてくれた。(山小屋のとなりに小さなもうひとつの小屋があるのです。そこがぼくの仕事場だ。)
窓から入る森の光が、机の上の花瓶に差したアザミを浮き立たせた。描こう。そう思ってツルハシを置いて取った絵筆は、街の中で手にする絵筆とは重さが違っていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?