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言葉はアイスクリームのように

一生懸命に頭を悩ませて出てきた言葉も無意識にパッと出てきた言葉も、同じ言葉として同じように人の心に届くのは、そこに温かさが存在するからだと思う。本来、言葉に温かさの概念はない。言葉は道具的で手段的で人と人を繋ぐ架け橋的なもの。けれど一般的なモノとしての道具とは少し違っていて、それは言葉はアイスクリームのように賞味期限がないことだ。一見、生モノのように見えて、永久不滅の鋭い武器のようなものにも感じる。

人は熱を帯びているから、その熱が言葉に伝わって温かさに変わる。純度100パーセントの熱はアイスクリームを溶かすどころか、新しいアイスクリームを作り出す働きに変わって、感情を大きく動かされる。熱を帯びれば帯びるほど、その言葉自体に意味を見出す余裕もなくなって、ただただその事実に美しく呆然と立ち尽くしたりする。

音楽を聴いていると、すごく心地よくなることがある。なぜ自分は今、心地よくなって心を動かされているのだろうと不思議に思うことがある。音楽を因数分解するとリズム、メロディ、ハーモニーの3要素で成り立っているらしいけれど、自分にとって一番大きな要素は歌詞にあると思う。日常にありふれた何気ない言葉が、リズムやメロディたちと融合した瞬間、魔法がかかったようにスルリと感情の中に入ってくるあの感覚。自分が考えきれずにモヤモヤしていたことを、あたかも見透かしていたかのように、それを容易く言葉に変換してくれる。

「愛」や「生活」のような、ある種の普遍的な言葉を取っただけでも、その言葉の感じ方は人それぞれで、だからと言ってずるいなんて思っていなくて、意味のない言葉ほど、何か自分の胸に響いてくるものがある気がしたりする。もともと意味の無い言葉なんてないのだけど、「意味」にも意味があって、「無い」にも意味があって、その意味の中にも意味があって、巡り巡って無駄なものなんて何一つない気がする。

つまるところ私たちは言葉というものに、無意識に意味を見出しているから、音楽に心地よさを感じるのかなあと思ったりする。その人が、とある言葉を紡ぎ出した麓を辿ると、言葉がやってきた道のりやその人となりがすべて見えるような気がして。知らないものを知ろうとする欲求が本来、人間には備わっているから、もしかしたらこれは本能的なものなのかもしれない。こうやって言葉で一人遊びをして、勝手に感情を動かしている。動かされているのではなく、動かしているという状態。それはおそらく生きているから、生きたいという欲とか個とかその類の話。

薔薇の花をイメージするとき、薔薇は枯れていないように、言葉も一生枯れることなく、そこで輝き続けるものだと思う。星になった人が年を取らないのと同じように、言葉も年を取らない。ずっと忘れないように胸に刻んで、たまに思い返したりする。そういう意味では、言葉は生きることと似ている気がする。こんなに密接に結びついているから、なんだか安心さえしてしまう。

多分、人間から言葉を取ったら温かさが残る。生まれ変わったら言葉になりたいって言うと、おそらくヤバい奴認定が確定すると思うけれど、言葉は手段にも目的にもなりえるし、そういうものに憧れていたりもする。言葉が生まれる瞬間に立ち会いたいけれど、きっとその瞬間は、目に見えないくらい小さな温かさだと思う。ダイヤモンドの原石みたいな、温泉の湧き水みたいな、1秒で消える流れ星みたいな。

何かに触れようとする温かさをずっと持ち続けていきたいね。

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