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極私的音楽論③

電子音楽全盛期

さて、前回の続きである。

時間軸は書いていく上で前後左右し、バラバラになりそうだったので、敢えて詳細を書いてないかったが、電子音楽に出会ったのが、おそらく高校2年。買ったCDのことも前回書いたが、ニッポンのテクノキッズには欠かせない、「テクノ専門学校」ももれなく買っていた。何かコンセプトがあるわけではなく、その時の旬なテクノの詰め合わせのような。。。調べたら、実は買い逃していたVol.1には「Polygon Window」や「Blackdog Production」とよくわからんRisingHighばっかり。Vol.2にはデトロイトテクノに寄って行ったR&S関連がいっぱい入っていたのとやっぱりWarpとRisingHigh関連。

よく考えたら、このコンピの3レーベルのコンピのようなもんだった

で、Technoのイメージはクラブでガンガン踊りまっす。お酒飲んででへへーーーみたいなイメージの人もいらっしゃると思うが、この当時、インテリジェンステクノといわれる「聴けるテクノ」というものがベースとして合って、当然、レイブよりの踊るようテクノもあったが、自分には前者が合っていた。「ハードフロア」に代表されるアシッドテクノとかもこのころ界隈で流行っていたはずだが、自分にはしっくりこなかったのだ。

前段が長くなったが、自分には電子音楽(Techno)思考と昔ながらの流行を追わないJPOP思考の2方向で大学へ進学することになった。


大学は関東地方の国立大学に入学した。関東地方なので、東京ではないのがポイントで高校時代に思い悩んだ、

レコード売ってねーよ!

問題の根本解決には至らなかった。ただ、実家の近所の貧弱本屋のようなところだけではなく、外資系レコードが入居したモールが近くにあり、そこでTechnoの輸入盤が幸いにも売っていた。そのころ、Sonyから結構なライセンス商品がリリースされており、バイヤーも意識していたかもしれない。下宿を始めた週の初の週末にCD5枚一気買い(1万以上払った)をしたことは今でも忘れない。

大学入学後、たまたま「R&Sレコード」のロゴが入ったサークル勧誘広告を見つけた。「へー同じようなマニアがいるんだなー」と思って行ってみた。そのサークルの名前は

SF同好会

一瞬来るとこ間違えたかと思った。サークル室の棚には死ぬほどのSF小説やSF月刊誌が並んでいた。まったくSF小説等に興味のない(理系だったし)僕は

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(この年代ではこのギャグないわ)

SFが好きで且つTechnoも好きという変わり種の先輩がいて、なぜかSFではなくTechnoのレーベルロゴで新入部員を釣るという暴挙に出ていた。結果、僕のサークル同期でSF小説好きは一人もいなかった。

TechnoのCD、入学後半年後にはバイト全てをつぎ込み、週一で渋谷宇田川へ行き、アナログレコードを1回で30-40枚仕入れる生活が始まった。(当時円高で1枚800円くらいで買えた)完全に高校時代の反動だ。この時同じ大学でこのようにレコードを大量購入している人間はたぶん俺と先輩の2人だけだったと思う。

JPOPの存在を忘れているように思えるが、それはそれで聞いていた。Technoでアナログレコードやターンテーブルを持っていたので、JPOPのアナログにも手を出し始めた。山下達郎や大瀧詠一などのナイアガラ関連やその周辺、70年代音楽に影響受けたサニーデイサービスへの没入。(後日言及します)ユーミンやオフコースはCD止まりだったが、CDレンタル全盛だったのと、CD移行によりJPOPアナログの価格が落ちまくっていたため、手に入れやすかった。

(カルロストシキを実家から持ってきていたのは内緒だ)

この音楽の2面性、サークル内ではよかったが、学部や学科内ではマジで浮いた。特にTechnoは理解されなかった。オウム問題も世間を騒がせていたし、(実際オウムサークルがうちの大学にはあった)たぶんヤバいやつだと思われたんじゃないかと。音楽の時以外は普通に飲み会に参加したり、飯食ったりいろんな友達としていたが、とにかく音楽の話は合わなかった。

そんな中、先輩から話を受けた。

「DJやってくれない」(しゃくれ顔で)

当時、アナログでTechnoを持っている人間(関東地方とは言え、地方であるので)はいなかったので、名前が挙がった。とはいえDJなんてやったことないし、タンテも1台しかないし。。。と思ったが、せっかくの話だったので、承諾した。2か月後、歓楽街のバーでやるらしい。速攻で2台目のタンテとミキサーを購入し、練習したのを覚えている。それをステレオにつなげて、カセットに録音して、サークルの人たちにきいてもらい、むちゃくちゃ練習した。同時に授業単位落としまくった!

DJスタイルは一貫してミニマルハードテクノとデトロイトテクノを中心に構成したスタイル(前述のインテリジェンステクノはやっぱり空気的に回せなかった)。半裸の男に受けるスタイルに徹した!今はテックハウスも織り交ぜてもう少しおとなしい感じだ。クラブにいる女の子には今も昔も受けなかった。と思う。

オリーブ女子とか!!

あ、あと、このころ凄いTechnoブームだったのを覚えている。だって、大学生協に田中フミヤの「MIXUP」がすごい並んでたから。となりにオザケンの「犬」があったりして異様だったのを覚えている。(そんなに流行るのか?Techno)と思ったが、案の定一過性だった。

DJの話の詳細はここでいったん止めるが、ここから今に至るまで20年以上、僕はDJを続けることになる。今月もあるが、たぶんコロナでないだろう。というかあっても仕事が忙しくて出れない可能性が高い。

今はWEBサービスが充実して、ストリーミングやダウンロードでいつでもどこでも聞くことができる。もっといえばネットレーベルでデビューしたって言いきることもできる(笑)すっごい便利だけどそこがある意味落とし穴だと感じる。みんなに聞いてもらうための大変さ・重みがないのだ。便利さがその生産物の重みを軽くしているように思える。本当大変なんだよ!!アナログDJは!

そして、このあたりから僕の周りの音楽がどんどんカオスになり、雑多化していく。

(前述の)

・サニーデイサービス

・くるり

・キリンジ

・ホフディラン

・渋谷系界隈

とかとか

Technoという電子音楽とJPOPという両刀使いはこれからも続く。サブスク時代になり、アナログはどんどんすたれていっているが(一般的なアナログレコードではなく、ツールという意味でのアナログ)、Technoのアナログを見捨てることはしないと思う。だって楽しいからね。アナログDJ。

続きます。(JPOP偏重編へ)

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