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プレイブックの世界#002

 岩澤はオフィスに戻るため廊下を歩いている。それはインスタを開いて水着美女の写真が現れた時、反射的に親指が水着美女の画像の上にスゥーっと移動するように、岩澤は自動的オートマティックに廊下を歩いている。通い慣れた会社の廊下とは違っていたが気づかない。岩澤の頭は餃子でパンパンだった。晩メシをパスタと餃子、どちらにするか判断に悩む素振りをみせていたが実は心の奥底ではお昼にゆで太郎に行った時点で今晩は餃子に決めていた。岩澤の選択は無作為ランダムだ。

それにしても、ゆで太郎のネーミング、半端ないっしょ。
そば屋なのにそばという単語をあえて使わないセンス。
一度聞いたら忘れらない、語感のパンチ力。動詞の「茹でる」に「太郎」を繋げるコンボ。
そしてオバケのQ太郎を喚起させるその大衆感。
ゆで太郎のことも考え出したら、周りが見えなくなってしまった岩澤。

そして今夜行く餃子屋はすでに決まっていた。東京の蒲田かまたにある餃子屋、「美味餃子妹ヤムヤムギョウザガール」。この店の「亞洲之純真餃子アジアピュアダンプリング」という餃子に沼って沼って抜け出せなくなっていた。沼り具合で言えば一平いっぺいに匹敵するかもしれない。沼というのは本当に恐ろしい。地上からの眺めでは小さい子供が雨靴を履いてピチャピチャ遊ぶ浅い水たまりぐらいにしか見えないかもしれない。しかし楽しい遊び場に見える水たまりは、実は奥底は途方もなくディープで、尽きることのない強欲どもの魂が水面下、さらに海底地下に四方八方に餌食を搾り取るための地下道を採掘している。沼は貪欲な主たちがうごめいている魑魅魍魎ちみもうりょう地下世界アンダーワールド。沼の主は絶えず水面下から眼を光らせ餌食のカモが沼に足を踏み入れるときを狙っている。カモが沼に触れたら最後、主はその瞬間を逃さず、足首を乱暴に掴み、ある時には紳士のような佇まいで一気に沼の奥まで引きずり込む。カモはどうなる?地上の光が届かない沼の奥底のさらに先、人間の善意が完全に干上がった荒廃した地下世界アンダーワールドで一生過ごす羽目になる。岩澤は見落としているが、世の中、沼ばかりだ。そして岩澤の沼り方は深刻だった、どういう事かというと、美味餃子妹ヤムヤムギョウザガールに今夜行こうと思いついた途端、胃液や唾液などのいわゆる先走り汁が止まらず手に負えなかった。岩澤人生史イワサワヒストリーには亞洲之純真餃子アジアピュアダンプリングの依存への兆候シグナルは五年前からぽつぽつと現れた。しかし、その兆候シグナルは見過ごされた。三年前に中毒者ジャンキーとして記されている。依存するかどうかの分かれ目critical pointから完全なる中毒者additctへ。ここ一年は症状が悪化し、ある時には想像した瞬間、先走り汁が突然ほとばしり仕事に支障をきたすようになっていた。想像してはいけない、想像してはいけない、と思うほど想像してしまう。一度脳みそに染みた汁痕シルあとはなかなか消えない。一度、病院に相談に行ったが「うちは先走り汁中毒者ジャンキーは患者の対象外です」の一言。対象外?先走り汁中毒者ジャンキー扱い?そのとき岩澤は何か吹っ切れた。面白いじゃねぇか。きっと診断した医師は興奮エクスタシーを知らない人生を送っているのだろう。岩澤は先走り汁中毒者ジャンキーの十字架を背負ったのだ。もう身体が亞洲之純真餃子アジアピュアダンプリング無しでは生活できなくなっていた。ああ、ああ、ああっ、岩澤が思わず、声を上げた。先走り汁中毒者ジャンキーの典型的な症状だ。身体が餃子を強烈に欲している。岩澤は立ち止まった。フー、フー、フー。何度か深呼吸を繰り返す。岩澤は状態を落ち着かせた。岩澤は思い出す。はじめて亞洲之純真餃子アジアピュアダンプリングを食べた時の衝撃。それはカーリング女子の藤澤五月ふじさわさつき選手が深い褐色のコーヒー色をした筋肉ムキムキの姿を披露した時と同じぐらいのインパクト。想像して欲しい、もし氷上に筋肉ムキムキのエメラルドグリーンのキラキラ光るTバックビキニ姿の藤澤五月ふじさわさつき選手が華麗にストーンを投げている姿を。何が言いたいかって?つまり完全に想像を超えた世界がこの世に舞い降りたのだ。話を餃子に戻そう。むせるぐらい大量の香菜パクチーと手作りの辛椒醤チリペッパーソース弾力抜群プリプリの海老餃子に大量にぶっかけ、口に放り込むと亞洲アジア旋律ビートが鳴り響く。口の中からPUFFY絶妙な距離感が聞こえてくる。岩澤は噛み締める。一口、二口、噛み続ける。特に味わい深くにはならなかった。しかしだ。餃子を食べている時に陽水を想像すると話は違ったのだ。亞洲アジアが岩澤を包み込み病みつきになるのだ。

「たらふく食べた 水餃子もよかった 
普通の餃子もよかった。何でもない店だったけど それがよかった」
アンドレ・カンドレの名前でカンドレ・マンドレでデビュー

亞洲アジア濃味フレイバーの時空を超えたイメージが東へ西へ花開く。曼谷バンコク郊外の鬱蒼とした畑で逞しく育った亜熱帯の香りを運ぶ瑞々しい香菜パクチー、不意に脳天を突き刺す中国四千年の異次元の辛さの地獄色の辛椒醤チリペッパーソース亞洲アジア最強の美食街グルメタウンである東京トウキョウが世界に誇る魚市場を経由してやってきた弾力抜群プリプリの海老。岩澤の先走り汁中毒者ジャンキーのはじまりは美味餃子妹ヤムヤムギョウザガール亞洲之純真餃子アジアピュアダンプリングだった。ああどうしよう、どうしよう、今夜も先走り汁が、、、あああ、マジでやばいよ、やばいよ、やばいよ、今夜の目的地デスティネーション美味餃子妹ヤムヤムギョウザガール。オフィスに戻る岩澤の脚は尿意を我慢しているかのようにクネクネしていたが歩行スピードは加速した。

「ボンゴレは食べなくていいかって?やっぱり麺が続いちゃうとムリでしょ〜🎶
しーろーパンダぱーんだを🎵どれでも 全部 並べ〜て〜🎶」
最近の岩澤の悩みは腕に「先走汁」というタトゥーをいれようかどうか迷っていること。
ランダムに物事を判断しがちな岩澤
そして、歌っている余裕があるなら早くオフィスに戻れ、岩澤!!

実はもう一つ「美味餃子妹ヤムヤムギョウザガール」に行く理由があった。自称元女優のおばさん店員に会いにいくためだ。いつもお店に行くと必ず聞かれることがある。

自称元女優「お兄さん、カッコいいね、何歳?」

このときの元女優の眼差しがドスケベなのだ。元女優を名乗るおばさんは美人の部類に入るだろう。いつも小綺麗にしている。白髪交じりだが潤いのある綺麗な髪。首筋にいたっては皺ひとつない藤田嗣治レオナール・フジタが描くような淡い白い肌をしている、谷崎潤一郎世界的な文豪がその場にいたら両足ジャンプで首筋めがけて飛びついていたかもしれない。果たして俺は谷崎世界的な文豪に落ち着きを取り戻すように説得できるだろうか?それは後で考えよう。自称元女優は素ぶりはいたって普通だ。しかし、そのそのたまらくドスケベな眼使いが岩澤を虜にした。いや、虜じゃない。その眼使いの奴隷になったのだ。自称元女優の色気が香菜パクチー辛椒醤チリペッパーソースと混じり合い、店内を亞洲アジアのみだらな空気に掻き乱す。谷崎世界的な文豪がこの濃密な匂いをスーハースーハーしたらコントばりに卒倒するかもしれない。果たして俺は谷崎世界的な文豪に一度、深呼吸をするように説得できるだろうか?それはまた後で考えよう。匂いならまだいい、もし元女優の仕草を谷崎世界的な文豪がモロに真正面から受けてしまったら、どうなる?谷崎世界的な文豪の心は掻き乱され、もうお手上げだろう、無邪気な赤ん坊ベイビーみたいに天使の笑顔で両手両足を空に向けてフリフリするかもしれない、あるいは店内で元女優に自分の背中に乗ってもらおうとして馬乗りの姿勢を取るかもしれない。果たして俺は谷崎世界的な文豪に一度冷静になるように説得できるだろうか?もう考えるのはよそう。谷崎世界的な文豪の示唆する行動は岩澤の思考の範疇を大幅に超えてくる。谷崎は世界的な文豪で元女優はそれほど危険なのだ。周りのお客の視線にお構いなく、堂々と唇を噛みながら髪をかき上げ、三十前後のサラリーマン相手に上目遣いをかましてくる自称元女優。岩澤は元女優の上目遣いだけで、白飯しろめし、三杯はイケた。谷崎世界的な文豪白飯しろめし、二杯はいけるだろう、日本を代表する文士、谷崎とはそういうおとこだと信じている。今夜の目的ゴール美味餃子妹ヤムヤムギョウザガール。オフィスに戻る岩澤の足は白々しいほど早まった。

「自分、不器用ですから。。。」おとこ、岩澤
色気のあるおばさんに胸騒ぎを起こす嗜好の持ち主、それも岩澤

岩澤は歩きながら店内でのおばさん店員とのプレイを妄想した。

俺はおとこ、岩澤。

注文を伝えて、メニュー表をそっと元女優に渡す。
岩澤が元女優のいつもの言葉を待っている。

元女優「お兄さん、カッコいいね、何歳?」

岩澤はおばさんの濡れた瞳をじっと見つめる。
それに対して元女優が眼で応える。
演技魂を持つ二人のバチバチの眼の演技。

岩澤「お姉さんと同じ歳」

おばさん、口元を緩める。そして、しっとり

元女優「嘘言わないでよ」

こんな茶番劇が始まってもう五年。
そして五年前の岩澤人生史イワサワヒストリーにはこのような記述が。。。

演技お芝居」の可能性を探る

岩澤は、まだ自称元女優の名前は知らない。

「あなた知らないかもしれないけど、昔、ワタシは發哥ファッコーと共演したのよ」
美味餃子妹ヤムヤムギョウザガールのお色気担当 

岩澤は廊下を歩き続ける。嘘言わないでよという言葉が元女優の顔とお店の記憶を呼び起こす。岩澤は元女優の声の記憶に集中した。元女優の声は心地いい。しかし今日はだんだん強く岩澤に迫ってくる。嘘言わないでよ、嘘言わないでよ、嘘言わないでよ、嘘言わないでよ。岩澤は足を止めた。嘘言わないでよ。何か違う。嘘言わないでよ、嘘言わないでよ、嘘言わないでよ。頭の中で鳴り響く。廊下がいつもと違う。ここはどこだ?岩澤は周りを見回した。左右、前方、後方。いつから俺はここを歩いていたのだろうか?なかなかオフィスに到着しなかった。ずっと岩澤は何か考えながら歩いていた。晩メシの選択から始まり、柔道家の言葉、入社した頃のこと、餃子、陽水、元女優。周りに人はいなかった。俺は迷ったのか?岩澤は一度、冷静になろうとした。深呼吸。どう考えても間違えるはずがない、十年間通っている会社だ。取材を終え、取材先のすぐ近くの地下鉄に乗った。そして会社がある最寄りの駅で降りて、会社が入居している建物に戻った。建物を間違えたか?でもそんな誤りをするか?岩澤は再びを周りを見回した。岩澤は廊下のある扉を開けようとして扉の取手を掴もうとしたが無駄だった。扉の取手は、壁に描かれた画だった。おかしい?岩澤は夢だと考え始めた。廊下の先を見た。廊下は永遠と続いている。夢に違いない。俺はどこかに移動ワープした夢をみている。岩澤は思った、これは村上龍の『五分後の世界』。今夜はもう餃子を食べることが出来ないかもしれない。岩澤の心配は今夜、美味餃子妹ヤムヤムギョウザガールに辿り着けないことだった。

「途中、今までにない体験があった。それがあまりにもスリリングだったので、
ワカマツの台詞として本文でも使った」ハバナ・モードの村上龍
「ねぇRyu's Barってジャズだよね🎵」同じ友人にこの話を五回した大学時代の中二病モードの岩澤

岩澤は手許の腕時計で時間を確認しようとした。腕時計が無かった。どこにいった、俺の腕時計?柔道の取材だ、今日の取材で柔道着に着替える際に腕時計をロッカーに置き忘れた。岩澤は胸ポケットに手を突っ込んで携帯を取り出そうとした。携帯が無かった。他のポケット、そしてカバンの中も無かった。もしかして、会社に戻るときの地下鉄のトイレか!便座に腰を下ろして携帯で「落合博満のオレ流チャンネル」を見ていた。急にドンドンとノックされて慌てて携帯をトイレットペーパーホルダーの上に置いた、きっとその時だ。そのまま携帯を置いてトイレを出たのだろう。岩澤はため息をついた。そもそも時間が分からない。岩澤は『五分後の世界』を諦めた。諦めて正解だった。俺はきっとペレを思い出す前に兵士に殺されるだろう。岩澤は再び歩き始めた。現実なのか夢なのか分からず歩いている。夢であればいつか目が覚めるだろう、岩澤はそう信じて歩き続けた。ずっと変わらない廊下の景色。何十分、何時間歩いたのか分からない時間感覚、だんだん岩澤は可笑しくなってきた。どこに向かっているか分からないのに歩き続けるやる奴、そうそういないだろう、地図が無い時代の探検家ぐらいか?体力に限界がきて岩澤の足が止まった。岩澤は廊下に座り込み、大の字に寝そべった。ここで寝たら、もしかしたら夢から目覚めるかもしれないな。目を閉じようとしたとき、人影が見えた。男が扉を開けて立っている。男は何か話しているが岩澤にははっきり聞こえなかった。ただ、分かったことは、男は日本語を話していなかった。何度も眼を擦った。岩澤は立ち上がり扉に近づいた。

「こっち来てくれるかな?」
果たして岩澤はオフィスに戻れるのか?