プレイブックの世界#001
今晩の晩メシはパスタか餃子、どっちにしようか迷いながらさっきまで取材していた柔道家の言葉が無意識に岩澤の頭の中で回転する。
「騙し合いじゃないですけど駆け引きが始まったときは楽しい」
今晩の俺の晩メシ、パスタか餃子の駆け引きはいったいどうなのよ?と一人でツッコミを入れながら夕方に取材を終えた岩澤はいったん編集部に戻ろうと会社の廊下を歩いていた。
昨晩、何を食べたかな?昨晩は同僚と牛角、今日の朝はドトールでジャーマンドックに昼は駅前のゆで太郎。肉、パン、そして麺。この流れだと今晩は餃子に決定でしょ。そう言えば、もう1ヶ月近くパスタを食べていない。岩澤にとってパスタと言えばボンゴレだ。La Bohemeのボンゴレビアンコ。俺の『ボンゴレ革命』。岩澤人生史に汚点として、あるいは分水嶺とし刻み込まれた『ボンゴレ革命』。普段、何を食べようか?と考えたときパスタが浮かべばLa Bohemeのアサリの海鮮風味とニンニクが効いたボンゴレビアンコの記憶が蘇る、そして『ボンゴレ革命』の記憶が脳を支配し、Jackson Pollockが俺の眼前に拡がる束縛まみれの世界を暴力的かつ自由自在にボンゴレ色に塗り替える。誉れ高きボンゴレ色、我が自由色。もちろん、俺の三色旗は左から青、白、そして麗しきボンゴレ色だ。思い出すのは味だけじゃない。岩澤が今の会社に入社したての頃の会議室の風景だ。心の奥底に潜んでいる上司と同僚の笑い声が溢れる会議室の記憶。ボンゴレの香りがRené Magritteばりに深海四千メートルの底部に埋もれている記憶を一気に引き上げる。ちょうど十年前の四月の入社直後の話だ。当時の上司が宿題と課して編集部の新人にテーマは自由でいいからと記事を書かせたことがあった。提出してから数日後、新入社員全員を対象としたオリエンテーションがあり、そこには少なくとも三十人以上はいた。各部門の責任者が新人に会社説明をして、編集部の番がまわってきた。編集部の上司は「実は編集部には、自由テーマの記事を書くように数日前に伝えていたんですよ」編集部の新人は動揺した。まさかオリエンテーションで自分たちの書いた文章が発表されるとは想像していなかった。「岩澤クン、どこに座っているかな?編集部の岩澤クン?」岩澤は緊張した。そして手を挙げた。上司は岩澤の落ち着かない様子には気にもせず「岩澤クン!君の文章は視点が独特だったね〜、タイトルも実に秀逸だよ、みんな岩澤クンのタイトルを聞いてくれ、『俺流にすべきか?僕流にするべきか?それが問題だ』どうだ、みんな?みんなどう思う?これこそがジャーナリズムの真骨頂だよ、こんなタイトルを聞いたら読まずにはいられないだろう!岩澤クン、これから期待してるよ」と小馬鹿にしているんじゃないかと思うほど軽々しく言い放った。しかし当時の岩澤には他人の腹の中が読めるほど、いや読もうとする意思すらも持ってなかった。岩澤は上司の言葉を聞いて、顔がにやけていた。素朴に嬉しかったのだ。岩澤は思った、やはり絶妙なタイトルだった。『俺流にすべきか?僕流にするべきか?それが問題だ』徹夜して考えた甲斐があったぞ。岩澤は「書き手」としての手応えを十分に感じていた。待ってろ、落合、もう近い将来、俺がインタビューしてやるぜ。
会議室がザワザワした。このざわめき、この空気。岩澤は有頂天になった。
同期の連中が俺の方に顔を向けている。何か一言、言った方がいいかな?
岩澤はわざわざ席を立った。
岩澤「僕の記事、斬新だったでしょ!」
室内が変な感じで静まりかえった。妙な雰囲気に岩澤はどぎまぎした。
上司「キシンって何だ?篠山紀信風ってことか?」
岩澤「いや、篠山紀信風じゃなくて、他の人が考えないないような感じの。。。あのう、篠山紀信って誰ですか?」
同僚A「言いたかったの、それ、斬新じゃなくて、斬新でしょ」
同僚B「斬新の読み方知らないんだ。もしかしてあの人がウワサのコネ入社の」
岩澤「えっ、えっ、車へんの横に重さの一斤、二斤の斤で、斬新って読むんじゃないの?」
同僚C「すいません、岩澤さん、斬新という読み方は俺流ということでいいですか??」
一瞬にして岩澤は嘲笑対象となった。
同僚A「いやいやいや、どう考えてもそれ、岩澤流だから。なんだっけ、さっきのタイトル、そうだ、今、新ネタ思いついた」
同僚Aは岩澤の方を見て、
同僚A「俺流にすべきか?僕流にするべきか?それが問題だ、って言うんじゃな〜い」
同僚Aは右手の手を大きく広げて、
同僚A「でも、あなた、一番問題なのは岩澤流ですから〜」
会議室がドッと沸いた。岩澤は生きた心地がしなかった。
上司「岩澤クン、キミの存在自体がもう斬新だよ。そうだな、もし将来、キミが大作家になったときのペンネームは岩澤斬新に決定だな」
同僚A「なんかそれ、茶道家っぽくないすか?岩澤斬新という名前。着物だけは立派に着てる詐欺まがいの茶道家。芸風はゲテモノ系ですね。わかりやすいから、意外とウケるんですよ〜」
会議室はもうお笑い会場と化していた。
同僚Aが「ここは俺の出番だ」と言わんばかりに席から立ち上がった。
会議室の皆が急に立ち上がった同僚Aを見ている。岩澤も同僚Aを眺めた。
何をするんだろう?
同僚Aは、皆からの注目を確認して、写楽の絵のような滑稽な表情を作って歌舞伎調のリズムで動き始めた。コミカルに表情と動きを交えながら、
同僚A「岩澤流裏千家、間違いを水に流す岩澤流の精神!それは伝統と斬新にあり〜」
会議室が笑いの頂点に達した。身体をくねらせて笑っている連中もいた。
一人、岩澤だけが石になっていた。しばらくして上司がオリエンテーションの終わりを告げた。
上司「オリエンテーションはこれで終了。今日は月に一度の全員参加のオフィスランチの日だから集合時間に遅れないように。会社近くのLa Bohemeという店にいきます、では解散!」
オリエンテーションが終わって、岩澤も半分、人生が終わったような気分になっていた。岩澤はランチで、アサリのパスタを食べた。何も味がしなかった。いや、味は感じていたかもしれない。この日に人生で初めてボンゴレを食べた、ということを十年経ても今だに覚え続けていること、覚えているだけでなく、その日の感情や風景が時々無意識に浮かび上がってくること。そんなことが起きるなんて、十年前のその瞬間には想像していなかった。どうする?この恥と怒りで石になってしまった俺の不快な記憶。そうだ、この負の記憶が不意に暴れ出さないように、頭の中に想像の絵画を制作し、その中に閉じ込めてしまおう。岩澤は妄想した。まずはデッサンだ。会議室、同僚、上司をカチッ、カチッと精緻に構成していく。岩澤は妄想のギアをひとつ上にあげた。絵筆を手に取り、空想の絵画に色が滲む。同僚Aの滑稽な表情が浮かび上がってくる。脳内で制作を続ける。岩澤は妄想ギアを最強にした。同僚Aの滑稽な表情が死人の顔に変化する。会議室は戦場に変容し、眼前には勝利の歓喜を分かち合う、我ら、同胞たち。上空に拡がる世界は青空。同僚Aの身体は完全なる屍。そして画面中央に三色旗を空高く掲げている岩澤。いよいよ最終の仕上げ、三色旗の色を左から、青、白、そして最後、ボンゴレ色を塗る。岩澤流、渾身の作品『ボンゴレ革命』の完成。岩澤はやり切った表情で静かに脳内で筆を置いた。それは紛れもなくEugène Delacroixの『民衆を導く自由の女神』の真似ものだった。
当時岩澤は「なんで自分はこう考えるんだろう?」なんてことを考えることは無かった。なぜパクリ作品を作るのか?なぜ斬新の読み方を間違えたのか?そんなことは微塵も考えない。岩澤を軸に地球が回転する世界に岩澤はいた。つまりそれは岩澤流。入社してから約一年間、岩澤はキシンと呼ばれ続けた。
オリエンテーションから数日後、岩澤は脳内作品『ボンゴレ革命』を『俺流ボンゴレ革命』に改名しようと考えるような相変わらず自分勝手極まりない「岩澤流」の生活パターンを送っていたが、恥の痛みが岩澤の生活に変化をもたらした。そして岩澤の生活に規律が持ち込まれた。習慣ではなく規律。規律は岩澤の生活を案内し、二度とあのような屈辱を経験したく無いという感情が岩澤の行動の基盤となった。岩澤人生史における『ボンゴレ革命』は今から振り返っても、やはり分岐点だった。ボンゴレ革命以降、規律が岩澤に変化を促した。毎朝、一時間の広辞苑の精読。毎夜、一時間の角川類語新辞典の写経を課した。出来ない理由は無限にあった。しかし出張中だろうが、休暇中だろうが一年365日、毎年継続し続けた。精読と写経は岩澤の記者として必要な最低限必要な力の底上げになった。あれから十年。今では誰も社内で岩澤のことを馬鹿にする人間はいない。馬鹿にするどころか岩澤は編集部においても戦力の一人として認められる存在になっていた。そして岩澤は今でも1ヶ月に一度はボンゴレを食べるためにお店に通っている。それは苦い記憶を忘れないためだ。そして今、岩澤は心に余裕を感じながらボンゴレを食べられるようになったのだった。