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2023.4.30『10.20』 - プログラムノート

はじめまして、満月カルテットの田中慎太郎です。まだまだ実験段階ですが、公演のプログラムノートをnoteに公開してみようと思います。今回はプログラムノートと言っても、曲目を順に書くのではなく、取り上げるテーマとそれを選んだ背景についてざっくり書いてみようと思います。私たちの作る舞台のイメージの手引きとして読んでいただけると幸いです。

今回の公演にあたり、満月カルテットは和歌集・詩文集から歌を持ち寄りテーマとすることにしました。そもそも、ゲストとして一緒に演奏していただく石川高さんの演奏される楽器「笙」は、奈良時代に雅楽と共に伝来し、平安時代に盛行したと考えられています。笙が最も華やかに活躍していた時代の文学に目を向けてみよう、という計画です。

そして西行と白居易の月に関連する和歌・漢詩をテーマとして取り上げることにしました。


『ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならんとすらん』

ひとつめは月をこよなく愛した西行による歌です。月を見上げ、どこまでも澄みゆく心は、やがてどうなってしまうのだろう。西行のシンプルな月に対する想いが表現されています。

公演では完全協和音程を澄みゆく心のメタファーとしながら、その移ろいを表現することに挑戦します。ただし、音に注目するときっとお気づきいただけると思うのですが、私たちのパフォーマンスを前へ前へと推進する力は、完全協和音程ではなくむしろ不協和な異物によって生み出されることになります。それは永遠で普遍的な原子の垂直降下が、時折その軌道から逸れて他の原子と交わり生命を生み出したとする、ルクレティウスのクリナメンに通ずるものです。


『琴詩酒友皆抛我 雪月花時最憶君』

もうひとつは、和漢朗詠集より白居易の漢詩を取り上げます。

(あの時江南で一緒に)一緒に琴を弾き、詩を作り、酒を楽しんだ友は、皆私を捨てて散り散りになってしまった。雪や月や花の風情を愛でる時節になると、とりわけ君のことを懐かしく思い出す。(訳:三木雅博 - 角川ソフィア「和漢朗詠集」)

ここでは自然は恒久の輪廻であり、それに比べて人の付き合いは儚いという対比が描かれています。演目としては「雪月花」という美しい自然の景物をテーマにフォーカスしますが、現代においてそれは人類の努力なくして輪廻ではあり得ない状況にあることを念頭に起きたいと思います。

これは和漢朗詠集をめくっていて出会った漢詩なのですが、そのきっかけは石川高さんが朗詠(平安時代に嗜まれた貴族の歌遊びです)の吟唱もされるためです。私と堀坂有紀のユニット「静かの基地」のファーストアルバム「つきのふね」や、石川さんのソロアルバム「青の静寂」で聴くことができます。(青の静寂は僭越ながらとても素晴らしいアルバムです)

さて、プログラムのおまけですが…前半セットの最後に、Shintaro Tanaka Winter Light Ensembleの楽曲より「春は馬車に乗って」と「花の色彩」を演奏します。CDでは満月カルテットのふくいかな子さんにピアノ、そして石川高さんに笙を吹いていただいているので、石川さんと共演させていただくにあたり特別に満月カルテットのアレンジでトライしてみることにしました。


曲目のないプログラムはこれでおしまいです。どうかリラックスしてお楽しみください。そして月をきっかけに過去や未来など遠くのことについて想いを馳せていただく時間になれば幸いです。西行は「何事もかはりのみ行く世の中に おなじかげにてすめる月かな」と詠みましたが、私たちが見上げるこの月は、西行や白居易がおよそ1000年もの昔に眺めた月と同じなのです。

ところで、清少納言は枕草子に、笙は月の明るい晩に牛車に乗っていて聞こえてくるのが趣があると書いています。(笙の笛は、月の明きに、車などにて聞き得たる、いとをかし。)

今夜は月が見えるでしょうか、もしお天気に恵まれていたら、ぜひ帰り道は月を眺めながら家路に着いてくださると嬉しいです。


<満月カルテット>
田中慎太郎(ピアノ/ギター)、ふくいかな子(ピアノ/小物楽器)、堀坂有紀(バイオリン/声)、吉家灯美(踊り)による、音楽と身体表現の即興を主体としたパフォーマンスグループ。2020年8月4日の満月の夜に撮影した映像作品『満月の夜の三部作』をきっかけに結成。

<石川 高(笙)>
1990年より笙の演奏活動をはじめ、国内、世界中の音楽祭に出演してきた。雅楽団体「伶楽舎(れいがくしゃ)」に所属。笙の独奏者としても、即興演奏など様々な領域で活動を展開する。和光大学、学習院大学、沖縄県立芸術大学にて講義を行い、朝日カルチャーセンター新宿教室で「古代歌謡講座」を担当している。

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