『地獄の黙示録』の心臓②
ノーラン監督の『オッペンハイマー』を観たら、オッペンハイマーの若いときの蔵書としてT.S.エリオットの長詩“THE WASTE LAND”(『荒地』1922年発表)がチラリと映っていました。
『地獄の黙示録』ではT.S.エリオットの詩がいくつも引用されています。
なぜ『地獄の黙示録』にはエリオットが引用されているのでしょうか。エリオットとはどのような詩人で、英米人にとってどのような存在なのでしょうか。
エリオットが引用された理由は、コッポラの大学時代からの旧友、デニス・ジェイコブの提案をコッポラが受け入れたことが大きいと思われます。
また、エリオットは、『地獄の黙示録』の原作『闇の奥』と深い関係があります。
そしてエリオットは、その難解な作品の意味が理解されているかどうかは別として、英米人にとって馴染み深い詩人のようです。
T.S.エリオット(1888年ー1965年)の詩は今日の日本でどれだけ読まれているでしょうか。しかし私たちは意外なところでエリオットの作品に親しんでいます。エリオットが子供向けに書いた詩『ポッサムおじさんの猫と付き合う方法』はブロードウェイ・ミュージカル『キャッツ』の原作です!
『地獄の黙示録』でエリオットが最初に引用されるのは、ウィラード大尉がカーツ大佐の“王国”に辿り着いた直後です。
デニス・ホッパー演じるカメラマンがウィラードに向かって早口でまくし立てながらカーツについて説明します。日本語字幕では次のように訳されています。
「 心を広げてくれる。
彼は軍人で同時に詩人だ。
ある時は挨拶しても見向きもせずに行っちまう。
かと思うと肩をつかんで言う。
“人生では『もし』を考えろ。
もし悪人呼ばわりされても君は自分を信じるか?”
おれは虫ケラ、彼は偉大な人だ。
“私はひび割れた爪で海の底を引っ掻いてる” 」※1
「人生では『もし』を考えろ」とはどういう意味なのでしょうか。「私はひび割れた爪で海の底を引っ掻いている」とはいったい何のことなのでしょうか。
このセリフには重要な内容が含まれています。採録シナリオを参照すると元のセリフは以下の通りです。
PHOTOGRAPHER
The man's enlarged my mind. He's a poet-warrior in a classic sense.
I mean, sometimes he'll-well, you say hello to him, right?
And he'll just walk right by you and he won't even notice you.
And then suddenly he'll grab you and he'll throw you in a corner and he'll say
"Do you know that the 'if' is the middle word in 'life'? If you can keep your head when all about you are losing theirs and blaming it on you. If you can trust yourself when all men doubt you."
I'm a little man, I'm a little man. He's a great man.
(a beat)
"I should have been a pair of ragged claws scuttling across floors of silent seas."
これを直訳すると以下のようになります。
カメラマン
「あの人は俺の精神を広げてくれた。あの人は昔で言う武人詩人なんだよ。
つまり、あの人に挨拶するだろ?
するとアンタを無視して行っちまうことがある。
それなのに突然、アンタの肩を掴んで壁に押し付けて、
“ if (もし)” という言葉の綴りが “ life (人生)” の綴りの真ん中にあるのを知っているか?
“もし皆が我を失って自分を非難しても、自分が冷静さを失わなかったら―
もし皆から疑われても、自分を信じて自分を疑う人間さえ許すことができたらー”
なんて言うんだ。俺はちっぽけな人間だ、ちっぽけだ。あの人は偉大なんだよ。
( 間 )
“いっそぼくなんか蟹のハサミになって、静まり返った海の底を引っ掻きながら這い回ればよかったんだ”ってことなんだ」(拙訳)
「いっそぼくなんか蟹のハサミになって……」という部分は、町山智浩や立花隆が指摘するようにT.S.エリオットの『J.アルフレッド・プルーフロックの恋歌』(1917年)という詩の一節です。しかし「もし皆が我を失って……」という部分は町山が指摘するように、ラドヤード・キプリングの『もしも』(1895年発表)という詩の一節です。※2,※3
カーツ大佐が詩を詠むという設定自体は原作『闇の奥』の“クルツ”の描写に倣ったものです。ただしその詩がキプリングやエリオットだというのは『地獄の黙示録』映画化の際のコッポラの創作です。
カメラマンが暗誦できるほど、カーツ大佐はこれらの詩を繰り返し朗読していた、という設定なのでしょうか。
「いっそぼくなんか蟹のハサミになって…」という描写は自分を卑下する心理の表現だそうです。エリオットは、生命力に溢れた女性を自由に泳ぎ回る魚に例える一方で、不安に怯えて憂鬱で無気力な男の自己意識を海底で這い回る蟹に例えたそうです(岩崎宗治)。
ミッドナイト・イン・パリ
『J.アルフレッド・プルーフロックの恋歌』は、ウッディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年)でも引用されています。
『ミッドナイト・イン・パリ』はウッディ・アレン監督自身を連想させる主人公ギルが1920年代のパリにタイムスリップする物語です。過去のパリでギルは様々な芸術家と出会います。彼らはヘミングウェイ、ダリ、ピカソ、ルイス・ブニュエル、ジャン・コクトー、フィッツジェラルド…といった人々です。
「プルーフロック」という名前は‘Prudence in frockcoat’、つまり「フロックコートを着た慎重居士」を暗示し、几帳面で万事に及び腰の小心男を連想させるそうです(岩崎宗治)。まさにウッディ・アレンのイメージそのものではないですか!
ある晩、タイムマシンの役割を果たすクラシックカーにギルが乗ろうとすると、車内にエリオットがいます。驚き、感激したギルはエリオットに話しかけます。
ギル
「トム・エリオットさん?トム・スターンズ・エリオットさん?T .S.エリオットさん?T. S.エリオットさん?『プルーフロック』は僕にとってマントラです!
ああ、すみません、すみません(と促されて車に乗る)
ねえ、聞いて下さいよ。僕はコーク・スプーンで自分の人生を量るような所から来たんですよ」
“コーク・スプーン”(coke spoon)とはコカインを炙って吸引するのに使うスプーンのことでしょう。“コーク・スプーンで自分の人生を量るような場所”というのは、ドラッグを濫用するショービジネス界を指すのかも知れません。
野心も希望もない、卑俗で矮小な自分の人生の見通しを表現して『プルーフロックの恋歌』にはこんな一節があります。
「夕方も、朝も、午後も、みんな知ってるんだ。
自分の人生なんか、コーヒー・スプーンで量ってあるんだ」(岩崎宗治・訳)※7
ギルはこの一節を引用したのです。
このように、英米人にとってT.S.エリオットはヘミングウェイやフィッツジェラルドと同じくらいに馴染み深い存在なのかもしれません。YouTubeで検索すると、様々な俳優がエリオットの詩を朗読している動画が見つかります。
『闇の奥』とエリオットの『うつろな人々』
実は『地獄の黙示録』の原作『闇の奥』とT.S.エリオットには深い関係があります。エリオットの代表作『荒地』はジョセフ・コンラッドの『闇の奥』から大きな影響を受けているのです。当初エリオットは『荒地』の題辞(エピグラフ)を『闇の奥』の有名な台詞である、
「恐ろしい!恐ろしい!(“The horror! The horror!”)」黒原敏行・訳
にするはずでしたがエズラ・バウンドという恩師の助言で変更したそうです。
この台詞は、クルツが死ぬ間際に囁く言葉です。
また、エリオットの『うつろな人々』という詩の題辞には「クルツのだんな…あの人、死んだ」という『闇の奥』の台詞が引用されています。この台詞は「恐ろしい!恐ろしい!」と並んで『闇の奥』を象徴する台詞です。
「クルツのだんな…あの人、死んだ」という台詞は、『闇の奥』の中でコンゴ人の使用人が片言のフランス語でクルツの死を告げた言葉です。エリオットはクルツの死を動機にして『うつろな人々』を書いたのです。
『地獄の黙示録』の脚本を書いたジョン・ミリアスとコッポラもこの台詞を映画で使いたかったと声をそろえます。事実、初期の脚本には「カーツ大佐…彼は死んだ」というウィラード大尉の台詞が書かれています。
カーツ大佐が詩を朗読している場面があります。そこで詠んでいるのが『うつろな人々』です。
この『うつろな人々(The Hollow Men)』という題名は、ウィリアム・モリスの『窪地(The Hollow )』と前述したラドヤード・キプリングの『破滅した人々(The Broken Men)』から思いついたとされています。※8
この場面では“クルツ”の死をモチーフにして書かれた詩を“カーツ”大佐が詠んでいるのです。
“クルツ”とカーツ大佐は同じ境遇に陥った人物です。ある意味で同じ人物と言えるでしょう。さらに言えば、『闇の奥』の日本語翻訳で“Kurtz”は“クルツ”ではなく、“カーツ”と訳しても良かったと思います。
“クルツ”という名前は、『闇の奥』を日本語に翻訳する際にあくまで翻訳者が選んだ表記です。ジョゼフ・コンラッドが英語で書いた『闇の奥』の“クルツ”も、映画『地獄の黙示録』の“カーツ”大佐も綴りは同じ“Kurtz”なのです。英語で書かれた原著『闇の奥』を英米人が朗読するのを聴くと、“クルツ”を「クァーツ」あるいは「クゥーツ」と発音しているように聞こえます。『地獄の黙示録』でもカーツ大佐は「クァーツ」大佐と聞こえます。それなのに『闇の奥』の日本語訳はなぜ全てが“クルツ”という表記になっているのでしょうか。その理由は、ドイツ語に近い読み方を要求している部分が原著に一箇所だけあるからです。
《 Kurtz—Kurtz—that means short in German—don’t it ? 》
この文は、
「カーツ・・・クルツ・・・ドイツ語では『短い』と言う意味だ—そうだね?」
と訳しても良かったと思います。イギリス人のマーロウにとっての自然な発音を日本語で書き表せば「カーツ」でしょう。ところが“Kurtz”はドイツ系のベルギー人らしいのでドイツ語読みすると「クルツ」になり、それはドイツ語では「短い」という意味だとマーロウは考えた、そういう文意ではないでしょうか。“トゥラムプ”大統領を“トランプ”大統領と発音するようなものです。しかし『闇の奥』の日本語訳本は全て
「クルツーークルツーードイツ語では『短い』と言う意味だーーそうだね?」(藤永茂・訳)
のように「クルツーークルツ」と訳しています。
『闇の奥』ではベルギー人の“クルツ”を「母親は半分イギリス人、父親は半分フランス人、いわばヨーロッパ全体がクルツを形成するのに与っていた」(藤永茂・訳)と描写しています。ドイツ系の姓を名乗るクルツの父親はおそらくドイツ系フランス人なのでしょう。※カール・フレンチ著『《地獄の黙示録》完全ガイド』新藤純子訳、扶養社、2002年、326ページ
また、小説家の大岡昇平は1980年に『地獄の黙示録』を鑑賞した直後に翻訳家の中野好夫と電話で話しました。その時のことをエッセイ『成城だより』の中で次のように書いています。中野好夫は『闇の奥』を1940年に初めて翻訳した著名な翻訳家です。『地獄の黙示録』が1980年に初めて日本で公開されたとき、『闇の奥』の日本語翻訳は中野が訳した岩波文庫版しかありませんでした。中野好夫は大岡昇平の友人でした。
「ここまで来ては、中野好夫に電話しないのは不公平である。先生は在宅したが、どうして「地獄」と訳したか、クルツと訳したか、全くおぼえがない、という。
中略
コンラッド自身がコンゴ河上流から助け出し、帰途船上で死んだ人名はKleinで、中野は解説で「クライン」と読んでいる。これはドイツ語で「小さい」という形容詞である。Kurzは同じく「短い」ということだ。この小説的転移には意味の関連があり、だから「クルツ」とドイツ読みにしたのではないか。しかし今の学生用の註釈本にもKleinはジォルジュ・アントアーヌ・クレンというフランス人だと書いてあるよ、といったが、(中野好夫は)「わからん、何しろ古いことだから」というだけなり。
中略
少しおとぼけのうたがいあるも、古いゴルフ友達にて、お互いに久し振りで元気な声を聞くのはうれしいのである。近頃の衰えを嘆き合った。調べて返事するということだったけど、それに及ばない。とにかく目下「地獄」の元凶になってるぞ、岩波文庫『闇の奥』は増刷するよ、といって電話を切った。
そのあとでコンラッドがコンゴ河を遡った一八九〇年には、アルザス、ロレーヌをドイツに取られたばかりで、あの辺のフランス国籍のドイツ人だったら、クレンかクラインかわからないな、と思った。〉
と書いています。クライン云々という部分は、小説家になる以前のコンラッドが蒸気船の船長としてアフリカのコンゴ河を遡り、クラインという重病の人物を迎えに行った実体験のことを指しています。コンラッドはこのときの体験を元に『闇の奥』を書いたのです。
カーツ大佐が朗読する『うつろな人々』は、カーツ大佐の心情そのものと言えるのではないでしょうか。
カーツ大佐が朗読する『うつろな人々』の冒頭部分が聞こえます。
「」
また、朗読の邪魔をして叱責されるカメラマンがウィラードに言う台詞の一部も『うつろな人々』からの引用です。
カメラマンはウィラードに次のように告げて去ってゆきます。
“ This is the way the fucking world ends .
Look at this fucking shit we’re in,man.
Not with a bang, but a whimper.
And with a whimper,I’m fucking splitting”
「クソ世界はこんな風に終わるんだ。
見てみろ、このひでえ有りさまをよ。
派手にドカンとじゃなくて、メソメソ泣くみたいに終わるんだ。
だから俺もメソメソ泣きながらおさらばするよ」
この台詞の内、
“ This is the way the world ends .”と“Not with a bang, but a whimper.”
の部分が『うつろな人々』からの引用です。この部分は『うつろな人々』の最後の数節であり、次のように書かれています。
“In this last of meeting places
We grope together
And avoid speech
Gathered on this beach of the tumid river・・・
中略
This is the way the world ends
This is the way the world ends
This is the way the world ends
Not with a bang but a whimper.”
「このいやはての集いの場所に
われら 共々に手さぐりつ
言葉もなくて
この潮満つる渚に集う……
中略
かくて世の終わり来たりぬ
かくて世の終わり来たりぬ
かくて世の終わり来たりぬ
地軸崩れる轟きも無く ただひそやかに」(井上勇訳を一部改変)
“This is the way the world ends”という一節は、イギリスの童謡『マザー・グース』の「桑の木の周りを廻ろうよ」の一節、“This is the way we wash our face”のパロディだそうです。エリオットは童謡の一部を変えて自作の詩に取り込むという手法をたびたび使いました。
『地獄の黙示録』も『うつろな人々』のようにひっそりとアンチ・クライマックスで終わります。
話が逸れますが、『うつろな人々』はネビル・シュートのSF小説『渚にて』(“On The Beach”1957年)の題名とエピグラフにも引用されました。『渚にて』は、核戦争が引き起こした放射能汚染による世界の終末を描いた小説です。人類は核爆発そのものではなく、その後の放射能汚染によって徐々に静かに絶滅してゆくのです。
『渚にて』は1959年に映画化された後、2000年にもテレビドラマ(邦題『エンド・オブ・ザ・ワールド』)として再映像化されました。再映像化の際のストーリー改変で第三次世界大戦の引きがねとなったのは中国による台湾侵攻でした。今となってはより現実味が増しています。
ラドヤード・キプリング
冒頭のカメラマンの台詞のうち、「もし皆が我を失って…」という部分はラドヤード・キプリングの『もしも』という詩からの引用です。
ラドヤード・キプリング(1865年ー1936年)は『ジャングル・ブック』で有名なイギリスの詩人、小説家です。ノーベル文学賞も受賞しました。
一方でキプリングは“イギリス帝国主義の伝道者”などと批判されることがあります。
キプリングには『白人の責務』(“White Man’s Burden”1899年発表)という詩もあります。「米英系の白人ならばその意味が心理的に理解している」(藤永茂)と言われます。つまり『白人の責務』は、白人には東洋人を啓蒙して教え導かねばならない責任がある、という傲慢な人種差別思想を詠み上げている詩なのです。
スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(1980年)でも、ジャックとバーテンダーのロイドが会話する場面でこの詩が引用されています。※5
この詩を引用することによって、ジャックに代表される白人系アメリカ人の潜在的で無意識の白人至上主義思想を指摘しているのではないでしょうか。もっとも『白人の責務』の引用はキューブリックの創作ではなく、スティーブン・キングの原作に倣ったものです。※6
『もしも』とデニス・ホッパー
コッポラの音声解説によれば、ホッパーが演じるカメラマンのセリフの大半はコッポラとホッパーの二人が即興で考えたそうです。
もっとも、『地獄の黙示録』の撮影時(1976年)のずっと前から、デニス・ホッパーはこの『もしも』という詩に親しんでいました。
『イージー・ライダー』(1969年公開)の大ヒットで監督・主演のホッパーが時代の寵児となっていた1970年9月30日、ホッパーは『ジョニー・キャッシュ・ショウ』というテレビ番組に出演してこの『もしも』という詩の全文を暗誦したことがあります。
「『もし』(IF)という綴りが『人生』(LIFE)という綴りの中にあるのを知っているか」というフレーズは詩『もしも』にはありませんが、この番組の中ですでに言っています。 ※4
また1976年にはボブ・ディランのコンサートの前座でもホッパーはこの詩を朗読したそうです。
ヒッピーのような反体制派だったホッパーが帝国主義の守護者であるキプリングの詩を朗読するのは矛盾しているようにも思えます。それとも当時キプリングは帝国主義思想の体現者とは認識されていなかったのでしょうか。
実は、ホッパーの俳優としての経歴は詩の朗読から始まりました。ホッパーは高校生の頃、演劇朗読のコンテストで何度か優勝しました。そして古典演劇の舞台に立つようになったのです。
また、1950年代のビート運動では公衆の前で詩を朗読するパフォーマンスが流行しました。ホッパーはこの頃に『もしも』という詩を知ったのかもしれません。
王になろうとした男
キプリングには『王になろうとした男』という小説もあります。イギリス人の風来坊がインドの奥地で王と崇められるが破滅してしまうという寓話です。
小説『王になろうとした男』はジョン・ヒューストン監督によって映画化されました。ショーン・コネリーとマイケル・ケインが主役のイギリス人を演じました。西洋人が異邦の土地で王と崇められるが破滅するという物語にはどことなくコンラッドの『闇の奥』に通じるものが感じられます。
マクナマラ国防長官
ところで、キプリングとエリオットという組合せに意味はあるのでしょうか。
ベトナム戦争当時にアメリカの国防長官だったロバート・S・マクナマラは自著『マクナマラ回顧録』の中でキプリングとエリオットの詩を引用しています。
“ペンタゴン・ペーパーズ”の作成者でもあったマクナマラ国防長官はベトナム戦争が泥沼化する過程にすべて関与し、ベトナム戦争は「マクナマラの戦争」とすら呼ばれたそうです。この回顧録の中でマクナマラは、「(ベトナム戦争において)われわれは間違っていました。ひどく間違っていました」と言い、それは「価値観や意図についての過ちではなく、判断と能力によるあやまち」であり、何より無知からくるあやまちだったと言います。その無知は「地域に住む人たちの歴史、文化、政治、さらには指導者たちの人柄や習慣についてのわれわれの深刻な無知」でした。その結果、アメリカは政治判断を誤り、ベトナム戦争はアメリカにとって泥沼化したのです。※10
この回顧録は『地獄の黙示録』の公開10年後に書かれた本ですが、マクナマラが『地獄の黙示録』を観て影響を受けた可能性は低いでしょう。
キプリングとエリオットは、“ベスト・アンド・ブライテスト”(最も優秀で聡明な者たち)だったはずのベトナム戦争当時のアメリカ政府のエリートたちに好まれる文学者だったのかも知れません。
マクナマラたちが犯した誤りに気付かずに戦闘に勝つ方法を突き詰めた結果、カーツ大佐は狂ってしまったのでしょうか。
『祭祀からロマンスへ』と『金枝篇』
エリオットに関係する場面は他にもあります。それはウィラード大尉がカーツ大佐の所持品を見る場面です。
カメラはまず二冊の背表紙を映します。それらは辛うじて“The Holly Bible”(聖書)と“Goethe”(ゲーテの『ファウスト』か?)と読めます。そしてカメラがパンすると平積みされた二冊の本がアップ・ショットになります。こちらははっきりと題名が読み取れます。
立花隆や町山智浩が指摘するように、二冊はウェストンの『祭祀からロマンスへ』とフレイザーの『金枝篇』です。
映画の中で登場人物の蔵書が映し出されるとき、それは何を意味するのでしょうか。それは、本の内容が持ち主である登場人物の思想や人格、価値観、知識などに反映されていることを意味するはずです。
しかし、この場合はそれだけにとどまらず、立花隆は「この2冊をそこで映し出すのは、それから展開していくシーンを、この2冊の文脈で見てくれるようにとの、コッポラからのメッセージと言って良いだろう。実際、彼は、カンヌ映画祭における記者会見などでは、この2冊の文脈で自分の映画を説明しようとしている」と言います。※9
『祭祀からロマンスへ』(“From Ritual to Romance”1920年刊行)は聖杯伝説の研究書です。
聖杯とは、キリストが最後の晩餐で使った杯、または磔刑となったキリストの身体から流れ出た血を受けた杯のことです。そして聖杯伝説とは、行方不明となった聖杯を探し求める物語群です。聖杯伝説には様々なバリエーションがありますが、その中核は次のような物語です。
書名にある「祭祀」とはキリスト教以前の農耕民族の豊穣儀礼を意味し、「ロマンス」とは中世ヨーロッパの騎士道物語のことです。
著者ウェストンは『金枝篇』に着想を得て、聖杯伝説の起源はキリスト教ではなく、タムムズ・アドーニス信仰であると結論づけました。その信仰はキリスト教以前に生まれ、ギリシアとオリエント地域、すなわちフェニキアやエジプト、バビロニアに発した農耕民族の豊穣儀礼です。
ウェストンは聖遺物である槍や聖杯と、聖杯伝説の多くのバージョンに登場する漁夫王(フィッシャー・キング)と呼ばれる人物を探ります。漁夫王の伝説は病んだ王の物語です。その国土は王が病んでいるために雨も降らすに荒廃しています。国民は、探求の旅の果てに現れる異邦人、または聖杯を見つけ出して帰還する英雄を待ち望みます。※カール・フレンチ著『完全ガイド』111ページ
『金枝篇』(1890〜1936年)は、世界各地の風習、信仰、神話、伝説などに関する膨大な文献史料を集めた本です。
冒頭で著者フレイザーはターナーの絵画『金枝』(The Golden Bough)を紹介します。ターナーの『金枝』は、古代ローマ帝国時代の詩人ウェルギリウスが書いた叙事詩『アエネーイス』に登場する“金枝”の挿話を描いた絵画です。
英雄アエネーアースが亡父に会うために死後の世界に行こうとすると、そこに行くには聖なる場所で“金枝”(ヤドリギ)を手に入れて黄泉の女王に捧げねばならないと巫女に告げられます。
ターナーの『金枝』で左端に立つ女が巫女であり、彼女が左手に持つのが“金枝”(ヤドリギ)です。奥に見える湖は黄泉の世界への入り口があるとされるアウェルヌス湖だそうです。
そしてフレイザーはローマ郊外にあるネミ湖とその森にまつわる伝説に言及します。
ネミの森には女神ディアーナに仕える祭司がいて森の王と呼ばれている。森の王になりたいと望む者は今の王と戦って殺さねばならない。しかしそれには約束事があり、王と戦う前にまず金枝を折って手に入れねばならない。
なぜ古い王は殺されなければならないのか、なぜ金枝を手に入れなければならないのか。その謎を解くためにフレイザーは古今東西の史料を渉猟したのだそうです。
エリオットの『荒地』
そして『祭祀からロマンスへ』と『金枝篇』が同時に映し出されると、エリオットの『荒地』が連想されるそうです。何故ならば『荒地』はこの二冊に大きな影響を受けているからです。そのことを『荒地』の注釈でエリオット自身が記しています。長くなりますが引用してみます。
「この詩は、その題も、全体的構想も、詩やイメージの象徴的意味の多くも、聖杯伝説に関するジェシー・L・ウェストン女史の著書、『祭祀からロマンスへ』(ケンブリッジ)から着想を得ている。私がこの本に負うところはじつに大きく、詩の難解な個所の解明には、わたし自身の注よりもむしろウェストン女史の本のほうが役立つと思う。この詩が解明の労に値すると思う読者に、女史の本(それ自体たいへん面白いものである)を推薦する所以である。もう一つ、わたしが広い意味で恩恵をこうむっている人類学の本がある。われわれの世代に深い影響を与えた『金枝篇』で、特にわたしが参考にしたのは、アドニス、アッティス、オシリスを扱ったニ巻である。これらの本についてすでにご存じの読者には、わたしの詩の中にある植物神崇拝儀礼への言及箇所は、すぐにそれとわかっていただけると思う」(岩崎宗治訳)※10
改めて『荒地』の内容を考えます。
エリオットの『荒地』は原題を“The Waste Land”と書きます。何を意味するのでしょうか。
デニス・ジェイコブ
ジョン・ミリアスによる初期の台本にもコッポラが書き直した撮影台本にも、エリオットや『金枝篇』などの引用はありませんでした。それらの引用は、撮影の終盤になって自らの台本に疑問を感じ、また現実的な理由で台本通りに撮影できなくなったコッポラが、大学時代からの友人デニス・ジェイコブの助言を得て取り入れたものです。
完成した『地獄の黙示録』からは想像もできませんが、当初コッポラは娯楽戦争映画を作ろうとしていました。「『史上最大の作戦』や『ナバロンの要塞』、『遠すぎた橋』のような映画を作ろうと思っていた」とコッポラは述懐します。
当初の撮影台本では、『地獄の黙示録』のクライマックスは大規模な戦闘場面になるはずでした。ウィラード大尉を従えた元グリーンベレーのカーツ大佐が率いる“王国”軍と北ベトナムのゲリラ部隊そしてカーツを暗殺しようとするアメリカ軍との間で三つ巴の戦闘がジャングルの中で展開されるのです。
しかし、撮影現場に現れたマーロン・ブランドはかなりの肥満体でした。アクション場面を演じられないのは明らかでした。映画にはカーツ大佐の全身像がシルエットで映されるショットがありますが、これは軍事アドバイザーとして参加していた身長1m90㎝の元海軍兵ピート・クーパーが代役を務めて撮影されました。※ハントン・ダウンズ『コッポラ「アポカリプス・ナウ」の内幕』岡山徹訳、クィックフォックス社、1979年、126ページ
原作『闇の奥』では、クルツは身長が7フィート(約2メートル)と書かれています。またブランドは、コッポラが頼んでおいたにもかかわらず、小説『闇の奥』を読んでおらず、さらに台本の変更を要求したそうです。
すでに撮影は予定を大幅に遅れており、“Apocalypse When?”などと業界紙に揶揄されていたのに、ブランドは契約通りに4週間の拘束期間を主張して譲らなかったと言います。
※1:『地獄の黙示録ファイナル・カット』販売:(株)KADOKAWA、2020年
※2: 町山智浩『〈映画の見方〉がわかる本』洋泉社、2002年、161ページ
※3: 立花隆『解読「地獄の黙示録」』文春文庫、2004年、156ページ
※4: https://youtu.be/xlfnm9gV52w?si=4yqt-7s8pDPBiUSf
2024年5月17日閲覧
※5:キューブリック・ブログ
https://kubrick.blog.jp/archives/52074616.html
2025年1月2日閲覧
※6:スティーヴン・キング『シャイニング(下巻)』文春文庫、41ページ
《ロイドはぜんぜん忙しくないと答えた。
「よおし。できたらそいつを、このカウンターのふちに並べてくれ。片っ端からひとつっつかたづけてくから。“白人の責任”ってわけだよ、ロイド、わかるか?」深町眞理子・訳》
※7:T S.エリオット『荒地』岩崎宗治訳、岩波文庫、134ページ
※8:エリオット『四つの四重奏』岩崎宗治訳、岩波文庫、113ページ
※9
※10 立花隆『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異のの速読術』文藝春秋、2001年、160ページ
※11:松岡正剛の千夜千冊
https://1000ya.isis.ne.jp/1199.html
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