FULL CONFESSION(全告白) 17 無駄口天国

GEN TAKAHASHI
2024/10/19

基本的に映画作家・GEN TAKAHASHIの作文。

第17回 無駄口天国 


 「知らなくてもいいことが多過ぎる。だから撮る」ーこれは、私の劇場映画監督デビュー作『心臓抜き』(1992年公開)で、伊藤猛が演じた主人公・名雪が、映画の最後につぶやくセリフだ。日本映画監督協会新人賞ノミネートまでは残って、NHKでも放送された30年以上前の同作を、突然、思い出した。

 「伊藤猛」という俳優を知っている人は、彼の家族と友人知人を除いてはピンク映画事業関係者や、実際には関係がないけどピンク映画文化を心情的に信奉している映画ファン以外にいないといって間違いではない。
 私は20代から30代にかけて、その伊藤猛と日常的に深い人間関係にあって、だからなのか伊藤が死んで10年も経った今頃になって、伊藤が夢に出て来たり、やつの一般映画初主演作となった私の映画のラストシーンを不意に思い出したのかもしれない。

 いわゆる「有名人が回想する人物伝」に関心を示す人は多い。だが、無名人が語る交遊録に興味を持つ人は少ない。というか、ほとんどいない。
 私は自身が無名なのだが、いわゆる「有名人」を多く知っていて直接の交流も多くあった。それこそ「秘録」と喧伝して売り物になるような逸話も多いし、語るどころか映像の記録として保有している事実も少なくない。私がこれらを不特定多数に向けて語らない理由は、派閥や「村」が大嫌いだからだ。

 伊藤猛がいた「ピンク映画村」、有名芸能人が集まる「芸能村」、その他「小演劇村」「アングラ演劇村」「新宿ゴールデン街村」「六本木村」「ロフト(平野悠が作った居酒屋)村」「SNS村」に至るまで、村と村人しかいねえのか?というほど、映画社会も「村社会」でしかない。

 そこへ行くと、私は正真正銘の「流れ者」で、どこかの「村人」でいたことは一度もないから、どの「村」と「村人」にも嫌われ敬遠される。そして「映画」とは、私のような「村人ではない者」にしか創造することが許されないものだ。本来ならば。
 私の祖父で、世界のアニメーション史に名を刻む、映画監督・薮下泰司も映画界の「流れ者」だった(知らない人は検索してね)。
 
 現在「東映アニメーション」となった「東映動画」設立者のひとりで重役にして、日本の戦後初のカラー長編アニメーション『白蛇伝』(1958年)の脚本・監督で、ウォルト・ディズニーとの親交もあった藪下は、世界的なアニメーションの先駆者でありながら、生涯は貧しかった。
 東映動画が人気漫画原作でアニメを作りだしたから「漫画原作でアニメができるか!」と、自ら東映重役の椅子を蹴ってフリーランスに転じたのだ。独立したけど世界のアニメーション監督は経営の腕はなかった。当然、当時の1千万円(いまなら億だ)の収入も失って、一家は借金に追われた。

 だから、その娘だった私の母親は「映画監督とは貧しいものでしかない」と信じて、愚にもつかない富士銀行(現・みずほ銀行)の社員となり、挙句に銀行の裏帳簿を「自宅に持ち帰れ!」と上司に命じられて隠匿する犯罪の共同実行者になって、最後はカネしか価値観がない富士銀行社員と結婚退社した。貧しい映画監督と、どちらが恥なのだ。

 あまり熱心に観ていたわけではないが、私が心中で大先輩だと思っている映画監督のひとりに新藤兼人氏がいる(知らない人はネット検索して。便利な時代だなあ)。
 新藤さんは100歳まで生きた、世界最長寿監督の2人目だと記憶するが、この人は「近代映画社」という自分の陣地を作って、そこから多くの映画人を輩出したけど、自身は「村」に属さなかった。それが映画人にとって最も重要な条件なのだ。

 ところが、ハリウッドを筆頭に、映画界や芸能界のほとんどは、すべて「村人」の既得権益社会にしかなっていない。
 それは世上で批判される「派閥政治」とまったく同じものでしかない、「映画の創造」の正反対にある、ただの「利権」だ。そこに上手に入り込む「映画監督」はたくさんいる。良かったね。でも、私にはそういう芸当はできない。

 現在、世界人類の大半が「SNS村」の村民になっている。本稿の最初に記した伊藤猛のセリフは、いまこそ意味を持ったと自負する。いまの世界は「無駄口天国」でしかなくなってしまった。

 同時に「無駄口地獄」でもあるが。

 そして、2025年、私と同じく「村人」しかいない映画界で珍しき「流れ者」の無名の大物映画プロデューサーと数十年ぶりに組んだ映画が撮影される。日本の劇場公開は2026年になる。

「村人」どもよ、震えて眠れ。

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