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 私立文系クラスの1番後ろの席には吉田が4人いる。

 通常のクラス分けであれば多少の考慮があってB組にもF組にも吉田が割り当てられるものだが、我が校が生意気にも進学校を自称しているせいで、私立文系のD組に吉田が4人も集まってしまった。

 その中で1番拗ねた表情をして、そのくせ背筋が伸びた小太りの男が僕の友人である吉田
だ。

 食堂の端で、僕は岡田将生に転生したら峯岸みなみと優木まおみを夜中2時に呼び出してフェラチオだけさせてタクシーに放り込んで返すんだと豪語する。その際に、唯一笑ってくれていたのが1000円カットで整えられた前髪と乳首の浮き出だワイシャツと瓶底メガネの吉田だった。

 吉田は野心家だった。将来は小説家になるんだと言った。ただそれは、サッカー部で1番うまいヤツがプロになりたいだとか、そういった類の現実逃避であるように見えた。吉田は小説家になりたいと言いながらエロゲのシナリオを少し書いてはまた別のエロゲのシナリオを書いていた。

 吉田は昔から要領がよかった。クラスで10番目くらいの成績を維持し続け、昼休みは僕と猥談に興じ、ART-SCHOOLとnumber girlを聴いていた。運動と顔面が垢抜けず、クラスメイトのみんなは吉田の要領の良さに気が付いていなかった。

 吉田は、そこそこ頭の良いの大学に進学し、アニメのサークルでそこそこの地位を築き、最終的にはよく分からない会社に就職した。

 吉田はカクヨムで連載をしてみたり同人誌を書いてみたりしていたが、僕にそれを見せることはなかった。僕をゲーム実況に誘ってきて、何本か撮影をしたこともあったが、吉田はモノマネばかりして面白いことを言おうとしなかった。吉田はプライドが高かった。

 吉田は社会人になり、ナンパ塾に通い出した。200万円を一括でブチ込んで公園でナンパの練習をしていた。吉田は10キロほど痩せた。ハイブランドの服を公園の土煙で汚しながら、吉田は、それはそれは不器用に童貞を捨てていた。

 吉田はナンパ塾に通いはじめてから変わった。PDCAくらいしか僕には分からないが、その他にもいろいろなサイクルを回していた。吉田はエンターテイナーになりたいと言っていた。僕は、エンターテイナーになりたいならPDCAを回すよりもまず自意識を過剰にするべきであると思った。

 吉田はいろいろなサイクルを回した結果、日本でも有数のコンサル企業に転職する。

 吉田は、出会ってから10年近く、ずっと僕の才能を買っていた。吉田は、芸能人、それも、橋本環奈だとか広瀬すずだとか、そういったレベルの女を抱くことを人生の目標にしていた。

 吉田は目標の達成に向け、有名ユーチューバーになろうと決心する。その歳、僕は吉田とM-1グランプリに出るべくネタ合わせを始めた。

 吉田は、仕事帰りの公園で満足げに腕を組んでいた。吉田はボケとかツッコミとかじゃなく、なぜか終始アメリカンジョークを話すような口調で僕に話しかけていた。

結局のところネタ合わせは何も上手くいかなかったが、吉田は鉄棒の写真を撮ってフィルターで加工しインスタにアップしていた。その1つ前の画像はリッツカールトンで仕事をしているという内容の投稿だった。

 吉田が書いてきたネタは最後がホラーになるものであったが、途中もホラーであり、それはホラーなのではないかと僕は思った。僕は、警察に110番しても電話が繋がらないサラリーマンのネタを書いていたが、途中からページが白紙になっており、そのとき、エロゲのシナリオを書いては消していた吉田のことを思い出した。

 吉田は、面白い人間になりたがった。ただ、吉田のセンスは例えるならばスーツでキメながらリッツパーティと称して昆布とか地味な具材を載せて食べている写真を撮るだとか、ボールペンを投げて色々なものを経由した後に奇跡的に筆箱に入るだとか、そういった類のものだった。


 僕は、吉田に、「なんでそんなにエンタメにこだわるんだ?」と尋ねたことがある。

 吉田は、ファンを抱いては捨てて芸能人を抱き、なんでもかんでもヤリまくり本当の意味でモテるにはエンタメしかないからだというようなことを答えた。僕は、大いに同感だと頷いた。僕と吉田は健全な23歳であった。

 「幸せ」のことを勘違いだと決めつけた僕と吉田は、そこから2年間ほど、エンタメをやろうと会議をすることになる。

 僕と吉田は、エンタメをやろうだとか言い始めてから仲が悪くなった。

 僕は自分の才能のなさを認めたくなくて努力をしなかったし、吉田は自分の才能を信じて面白くなるためにDJ社長の動画を視聴していた。

 それでも、おそらくこれは客観的にみても僕の方が面白い人間ではあったし、だからこそ、僕は吉田を見ているのが辛かった。苦しかった。僕は芸人になんてなれないと思って社会人をやりながらエンタメだなんだ言っていたからだ

 ある日、吉田に、「面白くなるにはどうしたらいいだろうか」と尋ねられた。

僕は、これは今でも少し後悔しているが、

「面白くはないけど金を稼ぐ才能がある吉田が面白くなろうとする姿」が面白いし、普通に面白くなるにはセンスがないし、ネットのおもちゃになる方ががストレートに面白くなるよりも早いから、とにかく金を稼げばいいと思う。と答えた。

 吉田は不服そうであったが、落ち込むでも怒るでもなく、不服そうにしていることこそが僕の意見が正しいことの証明でもあり、僕が明確に人を傷付けてようとしていたことも同時に証明していた。

 その件で特に喧嘩をしたワケでもないが、僕と吉田は疎遠になった。連絡を取ろうと考えることも年に数回はあるが、なんとなく、僕は吉田のことを傷付け続けるだろうと思うと連絡がとれなかった。

 僕は、自分が吉田より精神的に幼いことや、才能との向き合い方について明らかに間違っていたことを、才能のない吉田を通して痛感し続けていた。当時は無自覚であったが、だから八つ当たりをしてしまったんだと思う。

 吉田がいま、面白い人間になっている気配はない。ただ、カネは稼いでいるだろう。

 僕は、仕事がうまくいかず、才能にも見放され、燃えないままシッケてしまった花火のように火がついは消え、期待されては消えを繰り返していた。

 そうこうしているうちに年齢も30を過ぎて、物理的に芸人になることが難しくなったところで、僕は、自分に才能があるとかないとかじゃなくて、自分の才能に賭けることができなかったんだと気付いた。

 僕は、残っていた才能の値段を可能な限り高く釣り上げ、転職に成功した。

いろいろと調べてみたが、就職した会社からすると強者男性と言えそうである。

僕よりはるかに高い学歴の人間がフィルターで足切りされるレベルの会社に転職をした。

 結果、なにも出来ず抑うつ剤で肝臓を悪くして倒れるだけの毎日であり、なんの自慢にもならなかったが。

 Twitterや、友人関係や、転職の面接などなど。僕は自分に与えられていた芸人未満の才能を出来る限り高く換金して生きてきた。その維持費が払えずに精神薬を服用している。

 才能を換金し終えた今なら、吉田と仲良くなれるだろうか。ちょうど吉田もコンタクトレンズの目の渇きに疲れ、不摂生から下っ腹が出始めたら頃なのではないか。

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