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生活保護バッシングはしない方がいい - 2023/11/12



私は社会で役に立たない人間だ。

私を雇っている会社は、人を見る目がなかったために貧乏くじを引いたようなものだ。可哀想〜。
おかげで毎日いろんな人に迷惑をかけている。

私だって迷惑をかけてまで働きたくはないし、できれば家でおとなしくしていたいのだが、生活をするために仕方なく労働している。


語弊があるかもしれないが、生活をするために、働かなくても良い方法がある。
それは、生活保護を受けるという方法だ。

もちろん、誰でも生活保護を受けられるわけではない。扶養してくれる親族がおらず、財産がない人だけが受けられる制度だ。

社会で生きるのが難しく、親族の助けを得られない人は、ホームレスになる前に、男女問わず生活保護をもっと受けるべきじゃないかなと私は思う。



生活保護受給者を悪とみなし、バッシング等をすることはやめるべきだと切に思う。


生活保護受給者だって楽をしているわけではない。

財産は厳しく調査されるし、「信用」がないのでクレカの分割払いも使えない。一定額以上の貯金もできない。
好きなところに住むこともできないし、生活保護の住宅扶助の金額に収まる家賃で借りれる部屋は、決して状態が良くない部屋も多い。
ケースワーカーとの定期面談もあるし、生活保護費の用途の報告もしないといけない。

生活保護受給者は、ただお金を支給されて医療費もタダで自由に生きているわけではないということをわかっていない、もしくは想像できない人が多い。


そういう無知な人も、働かずに生活費を得ることに差別的な人に加担して、生活保護バッシングをしてしまいがちなのかもしれないと思う。

そんなことをするから、本来社会に出て無理してはいけないような人間や、社会不適合者まで無理やり働かなくてはいけないことになり、本人や周りに負の影響が出てしまう。

それに、生活保護をスティグマのように扱うと、世間体を気にして生きる真面目な人は生活保護に頼れなくなる。

「体を壊してあまり働けないが、生活保護には頼りたくないので月8万円の収入でなんとかやりくりしています」
という人がいたら、それは全然褒められるようなことではない。

こういう真面目な人こそ、生活を立て直すために一度生活保護の受給をすべきだ。

一度社会と切り離されてしまえば、もう戻れないのではないかという恐怖も理解できる。

しかし、そのままの生活を続ける限りは、死ぬまで毎月8万円の収入で生活しなければならなくなってしまうという仄暗い現実があり、
それを打破する必要があるので、一度大きく舵を切った方がいいと思う。


生活保護バッシングの内容は「寄生虫」「役立たず」「社会のお荷物」等さまざまあるが、
どれもこれもとどのつまりは
「我々は苦しい思いをして働いてるんだからお前らも苦しんで生活費を稼げ」という主張に収斂していくので、全く正当性を感じない。

生活保護バッシングをしている人たちは想像力がないのだ。

五体満足で年齢が若くても、彼らの想像が及ばないほどに社会の構成員に向いてない人間というのは実際に存在する。

そういう社会不適合者たちが無理やり働きに出て、彼らと一緒の職場になった時に、彼らは暖かく仲間として受け入れてくれるのだろうか? とても疑問である。



昔は社会に適合できない者は少なかったと予想される。
なぜなら、会社勤めをするにあたり、現在のようなスキルを必要とされなかったから。

昔は「ちょっとドジな人」「変わった人」「不思議ちゃん」で済まされていた人間に、最近は病名がつくようになった。

労働者に求められるスキルは格段に高くなり、無能な人間が担っていた単純な仕事はシステムに取って代わられるようになった。
「まともな人間」のハードルはどんどん上がっていく。
また、これからもその動きは加速するであろうことが予想される。

スキルが追いつかないこと以外にも、単純に病気になったり、稼ぎ頭がいなくなったりすることであっという間に貧困に陥るケースはもちろんある。

そもそも、日本という沈みゆく船に乗っている我々が、いつまでも自分の生活はこのまま安泰だと思ってしまう方がお気楽すぎる。

つまり、今は社会の構成員として適合できている人間でも、今後は想定外のことで爪弾きにされる可能性があるということだ。誰にでもその可能性はある。私にだってもちろんある。

その時に助けてくれる制度こそが、生活保護だ。
生活困窮に陥った時、生活保護バッシングをしていた過去は呪いとしてかならずその人自身に跳ね返ってくる。
生活保護が恥だという価値観が捨てきれなければ、生活保護に頼れずに孤独と貧困に喘ぐこととなる。

だから、私は生活保護バッシングを絶対にしない。
むしろ私がお世話になるその時まで、生活保護制度は必要なんだと主張していきたい。



私は、将来父親がいなくなってしまえば、親族がいなくなる。

つまり、私という個体を、有象無象と切り離したひとつの存在としてみなしてくれる人間が誰一人いなくなる未来が、そう遠くないというわけだ。

言い換えれば私は、生活保護の受給条件の一つである「扶養してくれる親族がいない」という条件を、近い将来にクリアしてしまう。

そうなったら、私も生活保護をもらって生活したい。むしろ、そうしないといけないような気さえする。

私のような、社会の構成員としては不良品の烙印を押された人間が、
むりやり社会に出てアクションをおこすことで、迷惑を被る人間もきっと多い。

今すぐ私をお払い箱にして、私が今いるポジションに社会適合者を据えた方がよっぽど良いに決まっている。

社会は社会適合者のみで円滑に回していけばいい。

統合失調症などの精神的な持病等があり社会に出るのが難しい人や、
社会生活に向いておらず迷惑ばかりかけてしまって辛さを感じている人は、
生活保護を受けて、その範囲で生活することが普通に許される世の中にならないものかといつも思う。

それこそが全体最適ではないかと私は思っている。

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