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人間らしさを考える、

わたしは古代史のロマンが好きです。
山に登ることも好きですが、そうした大自然が古代の文化を支えていた頃をよく妄想します。

たまに、森に入って狩猟採集生活をしたいなと思います。そうすると、定住生活に馴れた軟弱な思考では、毎日の食事の確保は大変なものだろうなと思います。倉庫の設備や農耕、牧畜の知識がないと難しい。食事も確保できないと、それ以上に手が回りません。だから血縁数人で暮らして人出を増やすというのは合理的だと思います。むかしは川の近くに住んで、水に困らないようにしていました。水は山のほうが綺麗だから、山の頂上ちかくに陣を張って、暮らした一族もいたでしょう。そうした一族の村を守る神がいても不思議じゃない。そうして八百万の神の原種ができたのではないか。

女が強かった文化なので、男の子は大人になると妻問いをすることになります。大人とされる年齢にまで育つと、祝物を持たされ、一族に見送られて村を出ます。晴れて自由の身になった青年は、気分のままに近場のムラに停泊したり、船をもらって冒険に漕ぎ出したりしたんでしょう。危険な旅路を心配して川岸の松の陰から見守る母の姿が…。
もしくは日持ちのする保存食を貰って、本州を横断したり縦断を試みたりしたものもあったでしょう。その途中で、山賊になった人もいるかも知れない。善人ばかりではないですから。

そうして旅をした男の間で、様々な村の噂話を共有して、風土記の口伝が始まったような気がします。
インドネシアやミャンマーのほうには、同じような女系家族で、男の子が旅をする風習をずっとしている村があるそうです。


狩猟採集だけでは安定しなかった人口も、植物に目を向け、土を焼成すること、植物を乾かして家と倉庫をつくる農耕を組み合わせたことで人口を安定させた縄文時代が、一万年続いたのもこうした平和な均衡が保たれたゆえだと思います。男は身を固めたければ妻問婚をすればいいわけで、それで定住先を得ます。通貨概念がなかった文化で、自由に冒険できることは男のロマンではないでしょうか。

経済ってものが生まれてから、それに縛られるようになりました。権力が生まれ、独占欲をむき出しにし、身を粉にして女より働いた男は女よりも上だという認識を得ました。

男が女より上だから、女を差別する。日本はそんな国是がある気がします。出産するかどうかも女の選択なのに。考える立場の人に男しかいないからいつまでも変わらない。

最新の厚生労働省の調査で、国内の自殺者は延べ2万人、G7の中ではトップで、女のほうが多く、子ども500人台で高止まりしています。そうだろうなと思います。
カウンセリングしたところで、うまく話せない人もいます。自然の中に行くことでよくなることも多いという話も聞きます。

言ってもわからない人たちに話すより、物言わぬ大自然の緑や四季の変化に癒されに行くと、自分と対話することができます。
スローライフを実践する人は、どこかでそれに気づいたからかと思います。
わたしは若い頃に実践をして、都会育ちには厳しいと戻ってきました。それぞれのバランスを、きっと取れればいいんですよね。
コロナ禍で得た経験もプラスになればいいなと思います。
家にいても平和の感覚を内在化できればいいわけです。そのためにいろんな所へ自分で行って、好きだと感じて感動して、その気持を武器に日々を生きていければいいんだと思います。

女性の社会のつくりを概観すると、見えてくるものがあります。
多くの村を好きなように行き来する男たちは消費者、評価して選ぶ人。
村を作り上げ、既存のコミュニティとして選ばれる立場が女性。
今の雇用活動は男女平等法を雇用機会に切り替えたから歪みが生じたと、上野千鶴子女史の記事に見ました。古来、機織りなど任されていたのは女性ですし、細かいのが得意な女性に任せればよく、男で出来上がっていた社会に女性を混ぜようとしたから前提がおかしいのです。
維新後、男が作り上げる側にいたのはなぜでしょうか?生計の要件一つで十把一絡げに仕事を召し抱えたからではないでしょうか。

批評がうまい人に経営をやらせたらうまくいくかは個性によりますよね。でも男は批評がよくできるから製造や作り上げることもよくできる、客観的視点があるからだなどとわたしは幼少のことからよく言われました。よくできてますかね?人口の多さに甘えていただけで、人材の質より量に甘えていたことは明らかです。

女性は育てられる場面が少ないし、男は締め上げればいいという基本で上の世代はやってきました。その結果、精神疾患を量産しています。

もっと、離れて考えればいいのに。みんな近視眼的になり過ぎに見えます。

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