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「本当にやりたいこと」を見つけるよりも大事なこと
子どもの頃、ピアノを習ってた
自分の意思ではじめたのかすら
怪しいし、
もちろん、ピアノを習いたいと
親におねだりした記憶もない
おそらく姉が習ってたから
母が習わせたかったから
って理由ではじめたんだけど、
ピアノがすごく好きだった
ピアノを弾いてるときの
何もかも忘れられる感じが好きだった
毎日、言われなくても
練習してた
母が休憩を終えて夕食を作り始めたら
私のレッスンタイムだった
でも、中学受験でお休みしたまま
小学校でやめちゃった
私立中学に通うのに
親に経済的な負担をかけさせていると
自覚があったから、
遠慮したような記憶もある
・
やめなきゃよかったなあ〜
これは、いまでも、そう思う
いまでも、毎日、弾き続けていたかった
(物理的にピアノを家に置けるかとか、
そんな時間があるかどうかは別問題だけど)
それくらい、好きなことだった
ピアニストになれなくても、
音楽の先生になれなくても、
ただのプレイヤーとして楽しむ
弾き続けることが
どれだけ人生を豊かにするか
それを教えてくれる大人は
当時は周りにはいなかった
・
いま、息子が週6で剣道に通ってる
なんでそんなに続けたいのか
相変わらず理解できないけれど
(痛いし、怖いし、しんどいし)
あんなに厳しい稽古に
毎日行ってるだけで尊敬する・・・
と、本人にも言ってみた!
すると本人、すごく嬉しそう!!
親から「尊敬」されるなんて
思ってもみなかったようだ
「行きたくないなーって思う日はないの?」と
尋ねると、
「ない!!!!!」と
即答で、これまた・・・
のけぞりそうなほどビックリした
・
そっか。
息子にとって剣道は、
本当にやりたいことなんだ
本当にやりたいから
毎日当たり前のように通えるのだ
この話をすると、よく
「子どものうちに本当にやりたいことが見つかるなんて
素晴らしい」と言っていただく
それはそう。
なんだけど、
最近は、ちょっと違うと思ってる
本当にやりたいものが何か
が分かることが重要なのではない
本当にやりたいことをやってる時って
自分がどういう感覚になってるのか
没頭して試行錯誤する実感を
持っている、知っていることこそ、
その人の強さになるのだと思う
だって、「何を」やるかは
生活やその時の興味で変わるものだから
1つのことに固執して
ただやり続けるのも違うし
何をやるかよりも、
どうやるか、どう取り組むか、
それで何を感じ取るのか、
そっちのが大事
そして、没頭したときにしか得られない充実感を
子どものうちに知っていること、
これはきっと強いだろうなと思う
だって、自分が本当にやりたいことなんて
やり始めてみて、面白いからハマって続けていくうちに
「これがやりたかったんだ、自分」って
再確認していかないと、永遠に分からないものだから
まずはやってみないと分からない、
没頭するときにしか得られない気持ちよさ
子どものうちに、これを知ることができたら
大人になっても、きっと何かに打ち込めると思う
剣道じゃない何かに取り組むときにも。
とはいえ私はいつか、ピアノを弾けるお家に住みたい
いつでもまたできそうだな、って思えるのも
子ども時代に真剣に取り組んで、
それなりにできるって自負を持ててるからだと思う