Otis Redding(オーティス・レディング)を聴く
認知度
Otis Redding(オーティス・レディング)というと、日本語ネイティブの世界で、或いは日本国の中で、どれくらい認知されているのであろうか。
それは、音楽の専門家でもなければ、オーティスが居た時代を生きていた訳でもない自分には正確には測れるものではない。
しかし個人的な体感からすれば、さほど高い認知を受けていない印象がある。
それは、僕が20歳とまだまだ若かったり(!?)、バンドや音楽サークルなど音楽リテラシーの高いコミュニティにいる訳でもなかったり、僕を取り巻く環境の問題で、そう言った体感になっているのかもしれない。
とは言え、タ○ーレコードに行っても渋谷店くらいにしかCD置いてないし、関東のFMラジオを聴いていたって彼の曲は全然かからない(インターFMでもせいぜい"(Sittin' On) The Dock of the Bay"だけとかね)。
メディアでは、ソウル確立の担い手の一人としてしか語られず、個人としては掘り下げられないことが多い。
そう言ったところからすれば、やっぱり、オーティスの日本でのマーケットは決して大きくない、と言えてしまうだろう。
であるから、オーティス愛好歴5年足らずながらも、自分なりに彼の魅力や素晴らしさを、この記事で大きく主張していきたいと思う。
オーティスに関する公的史実
繰り返しになるようだけど、自分は、オーティスの時代を肌で知っている訳でもなければ、英語をスラスラ読める訳でもなく、彼については本当に基礎的な史実しか知らない。
そのため、今回は突っ込んだ〇〇○ペディアみたいなことは書かないし、書けない。
ただ、彼を知らない方にも共有しておくべき点がいくつかあるので、そこだけ軽く説明することにする。
①非モータウン
前述の通り、ソウルに影響を与えた人物であるオーティス。
当時、ソウルというと、モータウンというレーベルから生み出される音楽、アーティストがアメリカの総合的な市場では優位に立っていたが、彼の台頭によって、ソウル市場に「モータウンだけではないぞ」というインパクトを与えた。
②Monterey Pop Festival
1967年、ほとんどの出演者が白人の人気ミュージシャンで構成される当該コンサートに出演。数少ない黒人の出演者として、白人オーディエンスを沸かせた。
③飛行機事故による死と遺作
1967年末、自家用飛行機が墜落し、26歳という若さで事故死。死の数日前にレコーディングされた遺作の"(Sittin' On) The Dock of the Bay"は、翌年のビルボードチャートで自身初の1位となる。
④死後の高い評価
死後になって、ローリングストーン誌などを筆頭に音楽史界隈から高い評価を受ける。特に①のような評価を受けるようになっていく。
つまりは、オーティスは、商業的には特に"(Sittin' On) The Dock of the Bay"のような名曲を持っていて、文化的にもソウルや公民権運動への影響を与えた人物である、と言える。
実際問題、どこがいいの?
前の項目で触れたのは、飽くまで彼という存在がもたらす文化的な重要性について。ただ、音楽を好きになる時に、いちいち前述のような客観的要素を気にするかというと、おそらく大方のリスナーは気にしない。
では、彼の素晴らしさはどこにあるのか。次の項目以降で触れていこうと思う。
魅力1:魂のライブ
魅力の一つ目は、ライブ音源の凄みである。
ここで、自分のオーティス遍歴を書かせて貰うと、
僕がオーティスを本格的に知るきっかけは5年ほど前、テレビ版ベストヒットUSAで上の音源のビデオを観たこと。
この時思ったのは、技術どうこうはよそにしても、こんなに人を盛り上げられるパフォーマーがいるのか!ということ。
この曲自体は、ローリング・ストーンズのカバーであるが、正直、本家より素晴らしい。
それまで、HR/HMとかのいわゆる白人音楽にどっぷりだった自分は、ソウルは敷居の高いオジサン音楽としてみなしちゃっていたのだが、彼のパフォーマンスが自分の知っているロックよりもロックだったので、完全に心をもっていかれた。
これぞ、ソウル。まさに魂からの歌声こそ、彼のアトラクションであろう。
魅力2:傑作カバー
では、オーティスのオリジナルの代表曲というと、どれになるだろうか。
一つは、既出の商業的成功曲(死後だけど)である、
"(Sittin' on) The Dock of Bay"
あとは、日本でもCM曲にしばしば利用されたり、ブルースブラザーズでも使われている、
"I Can't Turn You Loose"
あとは、アレサ・フランクリンによるカバーで著名な、
"Respect"
まあ、ここまでオリジナル曲を3曲挙げてみたが、オリジナル曲と言う一つの切り口だけでは彼を語り切ることはできない。
そこで、加えて語られるべきなのが、オーティスによりカバーされた楽曲音源の数々である。
前述の「ライブ音源の凄み」にも関わってくる話だが、オーティスは、自分のオリジナルであるかどうかに拘らず、披露する曲を自分のモノにして、会場を最大限に魅了する力を持っていた。
実際、残されたオーティスによるカバーは傑作ばかりであるから、いくつか紹介したい。
例えば、今も顕在、モータウン発、スモーキー・ロビンソンおよびテンプテーションズの名曲、
"My Girl"
例えば、あのビートルズの、
"Day Tripper"
そして、彼の師の一人であるサム・クックの名曲、
"Shake"
同じく、サム・クックの有名曲、
"What a Wonderful World"
原曲と聴き比べればよくわかるが、元の良さを消すことはせず、それでいて全部オーティスのものになって、うまい具合に味を出している。
これらのカバーも彼の魅力の一つであり、以下の話で重要になってくる。
魅力3:「前近代」のアーティスト
ハタチの自分が史実として知っているのは、
それまでライブに来てもらうためのサンプルとしての役割が主だったレコードが、ビートルズ登場以降、その円盤単独で商品化されていった
ということ。
1967年というと、音楽業界を想像すれば、ビートルズによる革命が始まってまだ数年経過したような時代である。
乱暴に、ストリーミング流行(隆興)の今を現代、レコードあるいはCDの売り上げが全てだった時代を近代と定義すれば、オーティスの時代は近代より前の「前近代」、もしくは、近代へ向かう道の途中のフェーズと言うことになるだろう(いや分かんないけど汗)。
さらに言えば、著作権のような楽曲のオリジナリティへの意識も今のように高かった訳ではなく、他人の曲をライブでやることにも抵抗は少なかった時代とも言える。
このような時代背景からして、やはり、当時の音楽家の主戦場はレコードではなくライブであったのだと思われ、これまで拙い日本語で説明してきたことと併せて考えれば、自分の曲であるかどうかなどは一旦他所にして、カバーもたくさんやってライブで人を魅了していたオーティスは、実に前近代を代表するアーティストの一人と言っていい。
そして、僕のような、この時代を知らない人にとっては、オーティスの楽曲を聴くことで、前近代の風を感じることができる。
これこそ、現代にオーティスを聴くことの素晴らしさ、魅力であろう。
あえて他の人とは違う昔のアーティストを聴いて「わい、音楽知ってます」感を出したいスノービッシュな若者にはとてもおすすめである。
最後に自分の好きな音源
ここまで、長々書いたが、とりあえず、オーティスのカバーやライブ音源はすごいと言うことくらいが読者の方々に伝われば良い。
僕自身、オーティスに対する見識をあまり深めないままに記事を書いているので、間違っていることがあったら、ごめんなさい。
最後に、自分の特に好きな音源を紹介して、終わっておこうと思う。
Charla Thomas(カーラ・トーマス)とのコラボで、終始、掛け合い?みたいなことしかしていない内容なのだが、なんだか楽しい楽曲、
"Tramp"
ちなみに、カーラは2018年にフジロックを含めたライブのために初来日していて、きちんとその情報を知っていたし観に行きたかったのですが、大学の試験でいけませんでした。本当に大学を恨んでいます。
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