fula エッセイ(65)

面接受けに行くことを母に伝えました。

母はほんとうに優しい人。

母はわたしのことをすごく心配してくれていました。

「ここにいるのが窮屈だったんじゃないかと思っていた」
「違うところに行ったほうがあなたは楽なのかな」

見透かされていたような気がしました。
実際そのような気持ちがあってこその面接ですし。

ただ、わたしは母だけと話をしていたので、

窮屈なんかじゃないよ、
ここにいることはとても安心するよ、
ここでの生活が嫌なわけじゃないよ、

とも言い返したくなりそうでした。

わたしは、母と過ごすことについては
とても心地よく思っていたからです。

父が嫌なだけです。
父ともう元の仲に戻れそうにない予感につらく思うだけです。
わたしと父がいるせいで、
母と姉を妙な気持ちにさせてしまうことが、
わたしはつらいだけです。

最近読んでいる本
『ぼっちな食卓 限界家族と「個」の風景』

読んでいると、胸が苦しくなるときがあります。

わたしも自己責任を押しつけている箇所がありました。
「父の健康がどうとか知らない、お酒飲みたいなら飲んだら?」
わたしはそのスタンスでいました。
気にかけまくる母と姉がとても不思議でした。

わたしは不規則な勤務時間で働いています。
夜遅い日はみんな寝ていて、こっそり残りものを食べます。

わたしがひとりでに昼ごはんを食べようとするとき、
昼に帰ってくる父や母を気にして
待っておこうかなと気にするときがあったかどうか。

わたしは、家族の個人化を促してしまう存在なのではないか。
円満な食卓には必要ない存在なのではないか。
わたしだけ「わたし」を中心に回して生活している。

母が元気なうちは、知らぬ間に家事掃除が済まされている、
恵まれた環境。
でもそれが一生続くわけでもなく……

わたしは怖いです。
「家族」というシステムを維持するのに
どれほどの膨大な労力が必要なのだろうかと。
母と姉だけがそれを支えてくれる状態に、
わたしはどう向き合えばよいのか。

わたしは苦しい。
東京に行きたい、というのも
家族を置き去りにしてしまっていないか。
「家族」システムを維持しようともしなかったのに……
わたしは逃げるだけなのかもしれないな。

母を愛しているあまり、
母の愛する「家族」をわたしは崩しているんじゃないかと……
申し訳なさとともに生きてしまう……

まだ採用されたわけじゃないですが、
やりたいこと、だけではどうにもならない、
考えたいことがたくさんあるんだなと。

これは、大人になった証……?

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