意外と忘れがちなコストの話

各種団体(行政、企業)が、人の感覚(ブランド、ネーミング、展示会等)を考えようとした時、忘れがちなことをいくつか並べてみます。
これ、私が時々感じる違和感です。

ありがちな内容なので、自分を戒める意味で、改めて考えてみます。
(あくまで個人的な考えです。)

・その行動には必ずコストがかかる。

人が業務として何かをする時、少なからず何かしらのコストはかかっています。
会議、ワークショップ等する時にも、主催者がいる場合、その人が固定給であっても、支える人の人件費はかかっています。
会場を押さえる時に誰も動かなければ会場をキープ出来ません。
会場を管理する人は間違いなくいて、そこで給料をもらっていますし、会場には光熱費が発生しています。
文字を書く、紙を使うにしても金銭は動いています。
その議事録やまとめにもお金はかかっています。
また、そこで決まったことを大々的にプロデュースして世に知らしめるためには、更にお金がかかります。
そこまで含めて予算です。
有志がボランティアでやっていても、その人達のエネルギーは食事によって賄われるので、各個人は知らない間に自分のコストを持っていかれてることになってます。
気軽にしていることにもお金はかかるため、どこかで「予算付け」をしなければなりません。

逆にコストをかけてから、効果検証でもいいとは思います。
でも、その振り返りを途中で見ていく必要はあるんじゃない?とは思ってます。


・それによって得られる効果を明確に。

企業ならロゴを変えるとか、行政ならイメージ戦略を取るとか。
その場合、期待出来る「対価」を明確にしないままスタートすると、大概のものはほとんど意味をなさなくなります。
企業なら、そのイメージ戦略によって何%の売上上昇が見込めるか、直接的ではなくとも採用に優位に働くか、新規取引の引き合い、打診がどれだけ増えるか等。
行政なら、ブランド化、ネーミング等により、民間にどれだけの経済波及効果を与えられるか。
行政の場合はこれが全てです。
例えば移住者が増えると試算するにしても、最終的にはその移住者が市内にお金を落としてくれるから意味を持ちます。
観光客が増えるにしても、そこでお金をいくら落としてくれるかが全てです。
それを単一的に、移住者数、観光訪問客数に置き換えてもいいし、市民による経済循環が何%活発化するかでもいいと思います。

逆の手順なら、このベンチマークを決めてから取り組むべきだと思います。その上で結果を何としても出す決意が必要です。
仮にそれが達成できなかった場合は、それはそれで教訓としてきちんと残すことが大事だと思います。

いずれにしても、そこに対価が発生するはずです。

逆に、それがどの程度になるか、効果測定、結果が見えないものに予算をつけるのは、「ギャンブル」であることは肝に銘じるべきかなぁ…

・見込み効果>予算なら成功
 見込み効果<予算なら失敗

聞いたところ心地よいもの、見た目にかっこいいものでも、
見込み効果<予算
なら、基本的には単なる持ち出し以外の何物でもないです。

精神的安定を求めることを効果とするのであれば、それに伴って得られるものは何で、その満足度はどのくらいになるか。
少なくともそれは目標値として定める必要があるでしょう。

どこか他の企業や自治体がやってるから、では説得力に欠けます。
実施したところはどんな効果を得ていて、それを自分達の団体に置き換えた場合、何を得られるかを明確にしなければ、何の意味もなさなくなります。
状況によって得られるものは変わる気がします。

力技でもいいので、何か説得力のある数字が必要だと私は思っています。

手順は逆でもいいけど、それは早さを重視する考えの時だと感じてます。

人材育成なんかは、逆の手順の方が有効だと思います。その経験を糧に次に繋がる確率が高い。
私の経験では、ほぼほぼそうなってます。

…きっと同じ考えの方いるんじゃないかな?

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