見出し画像

教職への道を自ら失うまで

リレーションシップヒーラー
ふくゆき🐳
 

経歴のことを。


 

大学は

社会学部社会心理学専攻 


別途で
中学高校の
英語の教職免許をとっていました
 

なんでか?
 
母の影響でした。
 

母は書道の先生でした。
 
ただ諦められないもうひとつの夢があった

かつての環境から
大学に行かせてもらえなかったこと
でも行きたかったこと。
 
その夢を叶えるべく
母は
わたしが幼い頃から
通信大学に通いました
 
仕事を続けながら
介護をしながらだったので
とても多忙

 
それでも
夢を突き詰め
大学院や研究職を経て
最終的には大学教授に。
(夢を叶えた後に病に倒れる)
 

自立して
社会で活躍する女性像
 

それを
かっこいいと思っていたし

わたしも
そうなりたいと思っていました
 

だから

働かない選択肢は
持たなかったし

将来の
選択肢の一つに
教師が入っていたのです
 

強化は英語。

 
言葉の垣根を越えた交流に
憧れていたから


教職免許の資格をとるための授業は
朝一番早い時間帯か
夜にかけての一番最後の授業が多く
 
家から2時間以上かかる通学時間の私にとっては

ハードなスケジュールでした
 

女性が自由に
好きなことして社会に出て
一人前に働くのは
難しい

相当の努力と根気が必要
 

そんなことを
なんとなく母から感じ取っていたので
   

早く大人になるべく


その合間に
たくさんのアルバイトを
詰め込みました
 



そうして
迎えた
就職活動期。 


教職一本に絞れず
わたしは
同時進行で

教育実習と
就職活動を
こなしていきました
 


やがて迎えた
実習期間
 


わたしは
中学校の担当を。 

そこでの経験は
かけがえのない宝物になったのですが


ただ


わたしは


このまま進むことに
ものすごく絶望したのです
 

その時扱った
文法英語が
将来にどれだけ役に立つのか

自分のやってることに
疑問も出たし
 

一番出たのは

「社会人として働いた経験値がない私が
何を根拠に
子供達に社会の素晴らしさを
伝えることが出来るのだろう
(やるとしても一度社会で鍛えなければ)」

 
というような
自信のなさでした

(だからこそ新卒で教員になられる方のことも尊敬が止まないです)
 


きっとそれは

圧倒的な子供達の光に

自分が与えられるものなどないような

そんな心境が

露出したのだと思います
 


そうして

わたしは

資格だけを、取得し



受験をせずに


一般企業への進路に

集中することに決めたのです
 


その選択に

チクリとしたものが残ったとすれば
 

親の期待に応えられなかったんではないか


ということでした🌿
 


 
今思えば


親の期待に応えることを降りた


ひとつの成功体験だったのかも


しれないけれど☺️




 







 



いいなと思ったら応援しよう!