ハーバード見聞録(22)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


ルート・キャナル(6月13日の稿)

「ウーッ、イタイッ」という久しぶり(大袈裟に言えば半世紀振り)の歯の疼きだった。

西洋バスタブに湯を満たして、30分以上も半身浴をし、湯上りに喉が渇いたので「風呂上りのビール」ならぬ、冷蔵庫の冷たい水をコップ一杯一気に飲んだのが合図のようだった。

右下の「親知らず」の隣の歯が、まるで火山が噴火したように一気に疼きだした。

その虫歯は、昨年熊本の自衛隊病院で、中まで腐った歯を丁寧に治療して歯冠を被せてもらったものだった。今春、退官する3日前、その歯が冷たいものや甘いものに沁みるので応急的に処置してもらったが、その後痛みが無いので放置し、アメリカに来てしまったのだった。西部方面総監部の医務官の箱崎1佐が薦めて下さった様に、渡米前に完全に治療して来なかったのが悔やまれた。

中々痛みが直らない。小学生の頃、乳歯が何度か相当に痛んだ記憶はあるが、大人になってからは初めてだった。一本の小さな歯の痛みが、頭全体、顔全体を占領してしまうくらいの痛みだった。

そんな痛みの中でも夕食は食べた。スパゲッティーとケーキだった。痛くない方の歯で一生懸命食べた。恥ずかしい話だが、私は無類の健啖家なので、歯の痛みぐらいでは聊かも食欲は衰えない。

食後徹底的に歯を磨いた。ブラシだけではなく、フロストと呼ばれる糸楊子(陸上自衛隊久留米駐屯地の歯科医官の斉藤2佐より送って頂いたもの)で、歯茎が痛いほど磨いてみた。しかし、一向に治まる気配は無い。ソファーの上でゴロゴロとのた打ち回るようにして時を過ごした。

久しぶりに、妻から肩や首を長時間揉んでもらい、日本から持ってきたサロンパスを首筋や顎に貼ってもらった。少しは収まりかけたが、〝再噴火〟し、以前にも増して痛み出した。夜中過ぎになって、さすがの薬嫌いの私も、妻の説得に応じ、箱崎一佐のアドバイスで日本から持ってきた鎮痛剤を飲んで見た。やや表面上の痛みは和らいだものの、顎の深奥部に巣食った痛みは消えなかった。それでも鎮痛剤がなかったなら、その夜は更に耐え難いものだったことだろう。

一晩中「痛み(覚醒)」と「ウトウト(微睡)」の間を何回も行ったり来たりしていたら夜明けを迎えてしまった。「ウトウト」状態では、30年近くも昔、長崎県の大村市にある第16普通科連隊で小銃小隊長をしていた頃、近くの大野原演習場の小山をめがけ攻撃している夢をまるでビデオを巻き戻すかのように何度も、何度も同じ場面を見た。

布団の上に身を起こすと、隣に寝ている妻は未だ夢の中だった。私は、それ以上訓練の夢の続きを見るのも、痛みをこらえて臥せっているのも嫌になって、そっと起きだした。痛みを忘れる為に、パソコンを起動してメールを見たり、返事を書いたりした。

そんな状態でもちゃんと腹が減っているのを自覚した。私の食欲は馬並だ。朝食では、痛みをこらえながらも、たっぷりとオレンジのマーマレードを塗ったパンを食べ、熱いコーヒーを飲んだ。不思議に食べている至福の間は、痛みを忘れた。そして、またしっかりとブラシと糸楊枝で磨いた。

何だか痛みが和らいだようだった。「これで治ったかな」とソファーに寝転んで、天井を見ていたら、再び「ウーッ」と唸るほど痛み出した。テレビを見ながら悶々とするほか無かった。

昼過ぎてから、気晴らしに妻とチャールス川河畔に散歩に出かけた。少しは痛みが和らぐような気もしたが、夏の昼下がりの炎天下を睡眠不足で歩くのは疲れた。岐路ハーバードスクエァーに差し掛かった。ここに「ホリオーキセンター」と呼ばれるハーバード大学の施設の一部があり、その一角に診療所があるのを思い出した。

「このままだと、今夜もまた、あの激痛に弄ばれるのか」と思うと、たまらず「Harvard Group Dental Practice」という名の歯科診療所を探し出して飛び込んだ。ハーバード大学のIDカードを差し出すと、女性職員が事務手続きの傍ら「問診表を書いてください」と英文のペーパーをくれた。日本の病院に行った時書いたものと内容は似ていたが、酒についての質問が少し違っていた。「あなたの酒量は?」との質問で、「ビール、ワイン、ウイスキー」の量を記入するようになっていた。日本だったら、「ワインやウイスキー」わりに、「日本酒や焼酎」となっていたと思った。

椅子に座って待つことしばし、診療室のドアの奥から「フキヤマ」と呼ぶ声がした。診療室のドアを開けると肥った小柄の黒狸そっくりのイメージの黒人の中年女性が待っていた。白衣の白さが引き立った。

私を従えてレントゲン室に行った。私の右顎にレントゲンの照準を当て、奥歯でフィルムを噛ませると、「ド・ム」と低音で唸ってドアの向こうに消えた。フィルムを噛み締めながら「ド・ム」とは何だ、と考えた。ああそうだ、「Don’t move.」のことかと合点。

すぐに狸オバサンが入って来た。小柄ながらも堂々と貫禄があり「この人が歯科医なのかな」と思った。治療室に案内するとすぐ消えた。実はレントゲン技師だったのだ。

治療室は日本とほぼ同じだったが、口を漱ぐ紙コップの水が日本では自動で出るが、こちらの診療所ではボタンを押さないと出なかった。

次に登場したのは金髪のオリビア・ニュートン・ジョンの若い頃にそっくりな白人の若い美人歯科医だった。

「この娘が俺の歯を削ったり、場合によっては抜いたり出来るだろうか?」と頼りなげに思えた。案の定、彼女は診断を下すだけの役目だった。後から説明するが、アメリカの歯科治療は分業体制であった。

彼女は何故か、やたら笑顔で、何回も握手をしてくれた。私は事務所で待つ間にあらかじめノートに書いたイラスト入りのメモを見せながら症状を説明したが、「もう結果は解っているわよ」ー―という感じの態度だった。
オリビアは狸オバサンが届けてくれたレントゲン写真を見せながら得意げに「これはルート・キャナルだ」と宣言した。

私は「何のことだ、What?」と問い返した。

彼女は待ってましたとばかりに、イラスト入りのパンフを私に見せながら丁寧に説明してくれた。歯には二本の根っこ(root)がある。その根っこの中は空洞になっていて、その中を顎の骨に繋がった神経が通っており、歯の上部が侵食されると今度は空洞伝いに神経が侵され、まるで運河(canal)が開通するかのように浸潤部分が顎の骨にまで進み、激痛が生じる――と理解した。

帰宅後に辞書を調べて見ると「root canal:歯科用語で、根管のこと」と書いてあった。大体私の理解で正しかったようだ。

「今すぐ抜いても良いが」と聞いたら、「未だ歯の根はしっかりしているから抜かない方がよい」と答えた。

私も心の中で「この娘に俺の奥歯を抜かせるのは少々無理じゃないか」と評価した。

鎮痛剤の処方箋を書いてくれ「来週水曜日にリンという歯科医にバトンタッチするから」と春風のように囁いた。

「何だ、今日は木曜日じゃないか。一週間近くもこの痛みを我慢しなきゃいかんのか」思い「早くならないのか」と聞いた。「患者がイッパイで、その日しかありません」と春風が囁くので、それ以上追及するのを諦めた。

帰り際には、心をこめて(私にはそう感じられた)いっぱいの笑顔で握手をしてくれた。

「アメリカでは医療事故の訴訟が多いので、患者に対するサービス精神が旺盛なのかな」と思いつつ別れた。

事務所に立ち寄り、来週の予約をするとともに心配だった治療費について聞いて見た。

「ラフに見積もって全ての治療費はいくらぐらい掛かるのですか」

「えーと」という慎重な言葉の先に、「約1200ドルです」と言うではないか。私は本当に驚いた。

「先日ハーバード大学の保険で5000ドル以上の大金を払ったんだけど」

「その保険は歯科をカバーしていません」

「エーッそんな!」

たった一本の歯を治すのに1200ドル(約13万円)とは。実は後で分かったことには、それだけでは済まなかったのである。

「まっ、しょうがないか」と思う他無かった。

ドアから出ると妻が心配そうに待っていてくれた。私は治療費が1200ドル掛かることをどう説明しようかと思った。処方箋を持って診療薬局に立ち寄り鎮痛剤をもらった。同じ鎮痛剤でも一粒が日本の三倍くらいも大きかった。アメリカ人は体が大きいからだろうか。

その夜は不思議に歯の痛みは殆ど無かった。それでも鎮痛剤を寝がけに飲んで眠ろうとした。しかし、疲労困憊しているはずなのに、眠れない。家内に「何だか体がだるくて寝付けないよ」と言ったら、私の額に手を当て「微熱があるわ」という。

昼間歯の痛みを堪えて炎天下の中を歩き、たっぷり汗をかいてハーバードの歯科診療所に入ったらクーラーの物凄い冷気に当たり冷え切ってしまったのが原因だったのだろう。仕方ないので、今度は風邪薬を飲んだ。

次週の水曜までの一週間は、殆ど鎮痛剤を飲まなかったが、心配した痛みは出なかった。だから迷った。「このまま痛まなかったらみすみす13万円も余分に払う必要は無いんじゃないか」と。思い余って、広島の義妹の弟の下田氏(歯科医)に電話で相談した。

「それはちょうど免疫力と炎症が拮抗している状態なのですよ。免疫力が強いときは痛まないが、体が少し疲れたりすると何時また激痛に見舞われるかもしれませんよ。私もボストンに留学して、そちらの歯科医療のレベルは知っているがハーバード大学の診療所だったら問題ないんじゃないですか」とのアドバイスで、治療を受けることを決心した。

翌週20日(水)同診療所を訊ねた。担当医はリン氏という中国系と思われる40歳前の男性だった。竹中平蔵大臣そっくりで、私の母の名と同じなので何となく近親間が持てた。

リン先生の役割は、虫歯の腐った部分を削り取り、ルート・キャナル(歯根)の管の中の神経を抜き取って、その空洞の中にある物質を充填する治療を担当した。

リン先生はにこやかに会話をしていたかと思ったら、看護婦から注射器を受け取ると私の歯茎に深々と刺し一気に麻酔液を注入した。一本だけかと思ったら、なんと3本も。

「俺はアメリカ人並みには必要ないのに」と思ったが、どうすることも出来ない。顔の右半分、そして舌までも麻痺し、唾を飲み込むことが困難になり、舌が喉に詰まりそうだった。

リン先生の口癖は、治療しながら、

「ワンダフル」

「グッ、グッ」

「エクセレント」

「ビューティフル」

「テリフィック」

等と喧しいほど連発することだった。

自分の腕に自信を持つことを自己暗示する為に言っているのか、患者の私を安心させる為に言っているのか分からなかった。

歯根の中の神経と思しきものを二回取り出して看護婦が差し出すガーゼの上に乗せた。その後からの歯根に特殊な材質で作った針のようなものを何本も押し込んだ。歯の根元を強化する為のものだろう。その上に充填剤を詰め込んで治療を終えた。帰りに事務所に立ち寄ると、1200ドル請求され、小切手で支払った。

翌週も水曜日に来いと言うので、出かけた。その日は、矢張りリン先生だった。私は、はじめに「今日は麻酔は一本でいいです」と断ったのは良かったが、先生の手元が狂って最も敏感な舌を刺してしまった。激痛と共に舌がしびれてしまった。私が何かを訴えようとすると、リン先生は機先を制して「ノープロブレム」で済ましてしまった。その後、虫歯の穴の中を丁寧に削り、再度詰め物して終わった。今日こそは、歯冠を被せて治療を終わるものとばかり期待していたのだが。

「来週水曜日にまた来てください。歯冠を被せるのは私の仕事ではありません」とリン先生は言った。

「おかしいな」と思いつつ事務所へ行った。

「既に私は1200ドル払った。歯冠をかぶせる費用はその中に含まれるんだね」
「(口ごもって)いや、更に300ドルから4200ドル掛かります」

私は頭の中が真っ白になった。

「何、4200ドル?」

「ノー、420ドル」

私の聞き違いであったか。

「それにしても、前回は1200ドルで済むといったじゃないか」

「……」

「仕方がない。それは歯冠の材質によって値段が違うのか」

「……」

「私はここで仮治療し、日本に帰って本格的に治すので最低の値段にしてもらいたい」

「分かった」

「確実に担当の先生に伝えてくれ」

強い口調で事務の女性に迫った。しかし彼女は、釈然としない反応に終始した。

翌週水曜日早朝に電話があり、「今日は、担当医が病気なので、歯科治療を中止します」とのことだった。

「今週中には出来ないのですか」

「来週の水曜しかありません」

「……(クソ、仕方がない)」

結果的には2週間待たされた次の水曜日がやってきた。今度の歯科医もアジア系アメリカ人だった。野球選手からタレントに転向した「パンチ佐藤」に似た、目に迫力のある30代後半の男だった。仕事はてきぱきと速かった。リン先生のように「呟き」は無かった。

パンチは、前回のリン先生と同じように虫歯の穴の中を何度も削り詰め物をし、歯冠を被せる事無く終わった。そして「歯冠を被せますので、あと最小限2回来てください」と言った。いやな予感。帰りに事務所に立ち寄った。

「今の治療は300ドルです」

「ま、仕方が無い」と思いつつ小切手を切った。

「あと、最小限2回来いと言われたがその治療費は今支払った300ドルに含まれるんだね」

「いや、別途頂きます」

「なにーぃ!」

いやはや驚いた。まるで詐欺ではないか。

「2週間前300ドルで済むと言ったじゃないか」

「……」

「じゃ、後2回治療を受けると後いくら掛かるんだ」

「1000ドルほどです」

「何だって」

「今までの治療費を合計すれば2500ドル以上じゃないか。いくらアメリカ人が金持ちだといっても、たった一本の歯を2500ドルかけて治療できる人はアメリカ国民の何割いるんだ。治療要領の全体計画と治療費についてあらかじめもっと説明したらどうなんだ」

「……」

「私はこれにて治療を中止する。これ以上、次々に値上げしていくやり方は納得できない」

人間怒ると、以外に英語がスラスラと言えるものだと後になって気が付いた。

アメリカの歯科医療の現場について、身をもって体験したことをありのままに書いてみた。アメリカの医療・保険制度についてまで調べるつもりはないが、少なくとも、私のようなJ-1ビザ(教育・研究)の身分の者がアメリカで「ルート・キャナル」の歯を1本治す為には、最小限2500ドル(30万円弱)掛かるということが分かった。

後から聞いたことだが、日本からの留学生の一人が交通事故で前歯を欠損したそうだが、治療費が高いので、留学終了後帰国して治すことにし、当座、不便を我慢しているそうだ。

またアメリカ人の中にも、歯科治療費の安いメキシコにまでわざわざ飛行機で出かけて行く人もいるということだ。

世界に冠たる豊かな国アメリカ――と思っていたが、少なくとも「歯科医療」については、経費面では、わが日本の方が遥かに良いということが分かった。

「言論・思想信条の自由」、「福祉」「交通システム」など我々日本人は当然のこととして受けているが、よく調べて見ると、実は日本人が世界の中では殆どトップクラスの恩恵を享受していることが意外と多いのではなかろうかと思った。

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