望郷の宇久島讃歌(7)
第1章 望郷の宇久島
● 鎮台ゴッの捕獲 1686
五島列島最北端の島、宇久島の方言では、「蜘蛛(くも)=こぶ」の事を訛って「コッ」と呼ぶ。例えば、「オニグモ」――これは島を離れ、ずっと後になって知った名前だが――のことを子供の頃は「ドロゴッ」と呼んでいた。「ドロゴッ」は、昼間葉陰に隠れ、夜巣網に戻って、昼の間に網に引っ掛かった昆虫を食べる大型の不気味な蜘蛛だった。「ドロゴッ」という名前はその土色の体色に因んで呼んだものだろう。
また、田の畔に巣を張る黄と白のストライプのある蜘蛛を「田ゴッ」と呼んだ。これも後に知った事だが、「田ゴッ」の正式名称は「ナガコガネグモ」だ
った。
そして、これからお話する「コガネグモ」のことは、「鎮台ゴッ」と呼んでいた。「鎮台」とは明治政府によって、東京、大阪、熊本などに置かれた軍団のことである。因みに、「西南の役」の当初、西郷軍と勇敢に戦ったのは熊本鎮台の将兵であった。
女郎蜘蛛は、良く喧嘩(闘争)をするので、戦を本領とする鎮台の兵隊さんのイメージに重ねて「鎮台ゴッ」と呼ぶようになったのであるまいか。また他の説では、鎮台の兵隊の制服が黒の地に金のストライプが付いており、鎮台ゴッの体の模様に似ていることから付けられた名前だと言う。
島の春は海からやって来る。三月頃になると、宮城音弥の「春の海」さながらに冬の荒海が一転して穏やかになり、海岸ではワカメやアオサなどの海草が伸び、蟹や岸辺の小魚の動きが活発になる。子供たちは未だ冷たい水に入り、蟹や小魚獲りに熱中した。
春の蠢動はやがて海から陸に及び、段々畑には青々と麦が伸び、雲雀が青空に舞い・歌い、畑の畔には菫が咲きそろう。子供たちは菫の花で相撲をする。菫の花には花房の下の方に「天狗の鼻」に似た蜜の入った袋がある。この「天狗の鼻」を互いに掛け合わせて、それぞれの花の茎を二人の子供が互いに引っ張り合って、茎が千切れた方が負け。宇久島の子供達はひねもす温かい畑の日溜まりでこの菫相撲に興じたものだった。
菫のシーズンが終わると、間も無く、男の子供達にとっては、更に血を沸かせる遊びがある。それが鎮台ゴッの喧嘩である。鎮台ゴッは、既に述べた通り、体(正しくは胴体)に黄金色と黒色の縞模様が付いていて他の蜘蛛よりも美しく、まるで武者のように凛とした気品がある。ただし、それはメスのことである。鳥の場合は、オスの方が優美で体も大きいが、鎮台ゴッの場合は逆だ。写真のように、メスの方がオスよりも圧倒的に大きく、美しい。オスはメスの付属品のように小さく――メスの1/5程――、体色は地味な茶色一色である。オスはちんまりとメスが張り巡らせた網の中に〝居候〟している。
3~4月頃には手足――どれが手でどれが足かわからないが――も含め1センチにも満たないが、温かくなりエサの昆虫が増えるにつれて脱皮を繰り返し、夏にさしかかる頃には3~4センチ程に成長する。巣も体の成長に合わせてだんだん大きくなり、次第に低い所から高い所に作るようになる。そして当然のことながら獲物のサイズと量も増えていく。
麦の穂が出始める頃、子供達は段々畑の崖の斜面の草藪や小松の林などに分け入り、鎮台ゴッの巣を捜した。鎮台ゴッは風の穏やかな陽当たりの良い場所を好んで巣網を張る。従って、鎮台ゴッが巣を作る場所は毎年ほぼ決まっていて、子供達は過去のデータに基づき、それぞれおはこ(穴場)の場所を知っていた。
鎮台ゴッを捜して、麦畑や松林を歩いていると、紅い野アザミや白い野イバラなどが様々な花が咲き、ほのかな甘い香りを漂わせていている。これらの花には花蛇、蜂蜜、カナブン、様々な種類の蝶などが群がっている。厚かましいカナブンは野アザミの花の中に鼻先をもぐり込ませて、花を独占している。また、草の中を歩くとバッタやキリギリスなどの幼虫が驚いて跳びあがる。これらの昆虫はいずれも鎮台ゴッにとっては御馳走である。
子供達は小枝を持ち、鎮台ゴッの巣を見つけては、その小枝に鎮台ゴッを巣ごと巻き取る。こうして数匹の鎮台ゴッを小枝に巻き取り、これを自宅に持ち帰って、庭の垣根や植え込みなどに放つ。
●鎮台ゴッの飼育
翌朝起きてその場所に行って見ると、蜘蛛達は、それぞれ自分が選んだ場所に巣を作り終え、巣の中央に〝デン〟と構えている。時には未だ巣を作っている場面に出会うこともある。鎮台ゴッは、夜を徹して巣を作ったのは明らかである。蜘蛛は「ドロゴッ」のように夜行性のものもいるが、鎮台ゴッの場合は昼も夜も活動しているようだ。
鎮台ゴッが巣を作る様はまるで職人芸、否芸術家の域だ。大学の建築学部で学んだ訳でもないのに、なぜか素晴らしい〝糸紡ぎの芸術〟を見せてくれたものだ。先ず、一点を中心に放射状に縦糸を張る。これらの放射状の糸の端は木の葉や茎などにしっかり固定される。今度は横糸の番だ。中心部から時計回りに……そう記憶している……螺旋状に糸を一定間隔で紡いでいく。1ミリの狂いも無い完璧な網、蝶や蜻蛉などの昆虫の通り道を塞ぐ待ち伏せ陣地で、それは狩りの場となる。
私は、家の庭の夏蜜柑の木や槇の木などに、採ってきた鎮台ゴッを放ち巣を作らせた。庭にはこの時期夏蜜柑の他ツツジや梨の花が甘い香りを漂わせて咲いており、蝶などの昆虫が来て、たまに鎮台ゴッの巣に引っ掛かることもあったが、餌の量としては足りなかった。鎮台ゴッより早く・大きく成長させるために、私は時々バッタの幼虫、カナブン、蝶などを採ってきては、鎮台ゴッ達の巣網めがけて投げ、餌として与えていた。
私が投げた昆虫は、粘っこい蜘蛛の糸に引っ掛かると逃げようと必死にもがく。蜘蛛は巣の網に伝わって来る獲物があがく振動を敏感にキャッチする。獲物が疲れて静かになると、蜘蛛は自ら巣を揺らして昆虫を驚かせ、再びもがかせようと試みる。万一、木の葉や花びらなどが引っ掛かった場合は反応は無いが、昆虫の場合は蜘蛛が発した振動に驚いて、再びもがく。
それまでは巣の中央で一個の動かない“物体”だった蜘蛛は、昆虫が巣網に引っ掛かった瞬間に生気を取り戻し、本来の「狩人」に変身する。巣網に伝わる振動の源を目指して獲物に近付いて行く。鎮台ゴッは八つも目があるが、視力が低いのではないか。その証拠に、人が近づいても逃げないのが普通だ。人が近づくと、巣網からポトリと地面に落下し、じっとうずくまっているのが偶にはいるが。8つも目があるが、ピントが合わずぼやけて見えているといわれている。
視覚が鈍い代わりに、指先で感じ取る振動や触覚は極めて鋭い。鎮台ゴッは、獲物を指先で確認するや、お尻の先から極細の白い糸の束を、二本の後ろ足でフワリフワリと上手に繰り出して昆虫を網で巻き取ってしまう。
子供の私は、鎮台ゴッが糸束を繰り出す様子を〝手品〟か〝魔法〟でも見るように、蜘蛛のお尻に目を近付けて丹念に観察した。すると、実はお尻の部分に数個の小さな赤い突起物があり、そのひとつひとつの先から白い液状のものがにじみ出ていて、それを蜘蛛が後ろ足をくっつけて引き出すと、しなやかな極細の糸が魔法のように次から次へと湧き出ているのがわかった。
獲物を網で素巻きにし、逃げる心配がなくなると、次にはその獲物の両端の二ヶ所の糸だけを残し、他の周りの糸を全部噛み切ってしまう。そして残った二ヶ所の糸を支点にして指で獲物を回転させながら、お尻から吹き出す綿状の糸で改めて完全にグルグル巻きにしてしまう。
最後に獲物を網に固定していた二ヶ所の支点を噛み切って、獲物を口にくわえて巣の中央に持ち帰り、ゆっくりと時間をかけて昆虫の体液(養分)を吸い摂る。蜘蛛はこうして十分な餌与えられ、脱皮を繰り返して成長して行く。
●鎮台ゴッの決闘
鎮台ゴッの価値は、その強さで決まる。従って、子供たちは、相撲の親方が若い力士を鍛えるように、鎮台ゴッも未だ成長の過程から戦わせて訓練する。鎮台ゴッの戦いの土俵は一本の枝の上。枝は、樹皮がザラザラして蜘蛛の手足の小さな爪が引っ掛かり易いものを選ぶ。
先ず、巣から取り上げた2匹の蜘蛛を枝の両サイドに止まらせる。2匹の鎮台ゴッは、例の糸を出すお尻の先を枝にこすり付けるようにして糸をくっつける。ちょうど、登山者が岩にハーケンを打ち込み、これにザイルを繋いで、骨落に備えるのに似ている。勿論、蜘蛛のお尻はこの糸で枝に結ばれていることになるので、万一手足が枝から離れてもブラリと糸にぶら下がって、直接地面に落下する事は無い。
行司役の子供は、相対する2匹の蜘蛛を指先で少しずつ追い、公平に中央に向かって進め、蜘蛛同士が鉢合わせになるように仕向ける。二匹の蜘蛛は前進するたびに何度も枝にハーケンを打ち込みつつ、慎重にソロリソロリと前進する。そして、いよいよ対決だ。
前にも述べたが、蜘蛛は、目は良く見えないようだが、指先は大変に敏感である。二匹が接近し、指先がかすかに触れ合ったかに見えた瞬間、一瞬稲妻が走ったかと思われる程の緊迫感が生じ、殺気が漂う。蜘蛛の指先が剣に代わる。四本の前足を上げて〝正眼の構え〟――この構えは前足で相手を素早く押さえつけ、ガブリと噛み付くのに格好の姿勢である。両方が、〝正眼の構え〟で睨み合い、一瞬、時間が止まる。
と、次の瞬間、まるで〝ジャブ〟を入れるかのように、フワリと指先が動き、相手の動きを誘う。そして、しばらくは、ジャブの応酬。互いに虚を探り合う。サッと一瞬の虚を突いて、一匹が相手の手足を制し、上から押さえ付けて噛み付く。噛み付かれた方は必死で逃げようとする。一方は逃がすまいと執拗にタックルをかける。双方が揉み合い、遂には尻から伸ばした糸につかまりつつ空中戦に移る。
やがて、勝敗の時が来る。負けた方はすべてを諦めたかのように早いスピードで糸を伸ばし手足を万歳の格好で落下する。勝った方は、その糸を手繰り寄せたり、又は敗者の糸を伝ってなおも追撃したりする。敗者はこれから逃れるために、自ら糸を噛み切って地上に落下することもある。もし敗者が自ら糸を噛み切らない場合は、勝者はみじめに空中で宙吊りとなり息をついている敗者の糸を噛み切って地上に突き落とす。これが勝利宣言である。
勝負は、このように簡単に終わらない場合もある。負け戦を強いられていた方が、途中から態勢を立て直し、反撃に出ることもある。一度枝から突き落とされても、再度糸をよじ登って、再挑戦して相手を打ち負かす根性のある蜘蛛もいる。そんな根性のある鎮台ゴッの戦いを見た時は、「おまえは、根性のある奴だな。よく頑張った。」と声をかけたくなったものだ。
2匹の蜘蛛の実力の差が大きい場合には、弱い方は哀れにも、逃げ遅れて噛みつかれ、例の綿のような糸で、グルグル巻きにされることもある。勿論、私はこんな場合は、2匹の間に人差し指を入れ、仲裁して助けてやったが、驚いたこととは、強い方は私の指にまで噛みつこうとした。鎮台ゴッの闘争心・攻撃精神はすさまじい。
一度負けると、負け癖が付くものだ。人間の中にもこの類がいるように、負け癖が付いた蜘蛛はどことなく消極的で弱々しかった。私はこんな弱い蜘蛛達が可哀想で、せっせと餌を与えて、体力を回復させ、何度も何度もチャンス与えてやった。中には見事に立ち直り、力を付けるものもいた。そんな時は、まるで自分のことのようにうれしかった。八十歳に近いこの頃、こうやって思い出を書いていると、何故かひとしお、あの頃見た弱い鎮台ゴッに心引かれている自分に気が付く。
鎮台ゴッは、一般的には、サイズが大きく、光沢があり、体全体に生気がみなぎり、見るからに元気の良い奴が強い。また、体型としてはボクサーと同様、手足の長いリーチのある蜘蛛が戦う上で有利である。島の子供達は、手足の長い蜘蛛のことを「テナガ(手長)」と呼び珍重した。一方手足の短いのを「ドンジュ(鈍重?)」と呼んだ。これはリーチが短いので当然ハンディはあるが、脱皮すると必然的に「手長」に生まれ変わるので、即戦力としては期待できないが、大事に育てた。
人間に個癖の強い変人がいるように、鎮台ゴッの中にも変り種がいた。意外な変り種の代表例を紹介しよう。そいつは、見た目には弱そうに見えるが、めっぽう強かった。その蜘蛛は、たしか山道広吉君が飼ってた奴だった。子供達はその蜘蛛に「眠り狂四朗」というあだ名を送った。「眠り狂四郎」という名の蜘蛛は、一応「手長」ではあったが、まるで精気が無く、普段はデレッとして動きが緩慢だった。戦う土俵である枝の上に登っても、けだるそうに後ろ足二本だけで、ダラッと宙づりにぶら下がったままの格好で、まるで眠っているかのように見え、いささかも戦意も感じられなかった。
戦う相手の蜘蛛が、徐々に間合いを詰めて来ても身じろぎもせずとじっと転寝しているかのようだった。その様子は、眠り狂四郎が冷たく相手を見放ち、月光に照りはえる剣を持ったまま微動だにしない姿に似ていた。
相手の蜘蛛は、〝狂四郎〟の気配が感じられないまま、前に進んでくる。〝狂四郎〟は〝気配〟を消してじっと待ち受け、相手が攻撃できる間合いに入るや、〝別人〟――否〝別蜘蛛〟か?――と化し、目にも止まらぬ早さで噛み付き打ち負かす。完全な〝奇襲〟成功である。〝狂四郎〟の〝変人〟ぶりはこれだけではない。他の蜘蛛は、相手に嚙みつくと、すぐさまお尻から糸の網を繰り出して、縛り上げようとする。ところが〝狂四郎〟他の蜘蛛の習性とは違って、相手を糸で巻き付けようとはしない。逃げるに任せ、深追いはしない。更にこの〝狂四郎〟が変わっているのは、定住する巣網を作らないことだ。この点、あてども無くさすらう無宿物の〝狂四郎〟にそっくりだった。
この文章を書いている今頃、宇久島に残る私の家(空家)の庭には、夏蜜柑の花の甘い香りが漂い、ツツジが咲き乱れ、枇杷の実も黄色く色付いていることだろう。80歳近くになった今でも、目を閉じると、巣網を張った鎮台ゴッの凛とした姿がありありと浮かんでくる。