『デューン』は完結したのか
『デューン砂の惑星』"DUNE" (1965) を書き始めた当初は、『デューン』は救世主が登場する神話だった。
巨大なエネルギーを生み出す惑星に暮らす人々。政治と経済が連動していることを突き止めようとしていた。また、絶対的な予測とその落とし穴を検証するものだった。意思を拡張するメランジに依存することで何が起こりうるかを伝えようとした。スパイス・メランジや水は石油のメタファーとして描いた。
生態学を扱った小説であると当時に人間についての物語でもあり、人間的価値観と人間的関心についての物語でもある。
フランク・ハーバートの『デューン砂丘の大聖堂』"CHAPTERHOUSE: DUNE" (1985)に続く物語で完結する予定だった。しかし、彼はそれを書き上げる前に亡くなってしまった。
フランク・ハーバートが残したとされる数千ページに及ぶメモを元に、彼の息子と助っ人によって、数多くのフランチャイズ小説が作成された。そしてデューンを完結させる、Hunters of DuneとSandworms of Duneの2冊が書かれた。どこまでがフランク・ハーバートのアイデアに忠実なものであるか分からないし、採用されなかったアイデアも含まれているかもしれない。なによりも、二人で大量のドキュメントを作成したせいで、中身が薄くなってしまっただけでなく、中心的なテーマから逸脱してしまっている。
また、書き上げられた文章は、知的で創造的で博学なフランク・ハーバートに及ばないどころか、文学としてのレベルにも達していない。フランクは言語、宗教、心理学、生態学などの多様な分野について研究していたが、ハーバード・ジュニアとその協力者が、その分野に興味を持たなかったのは明らかだ。コピー小説とはまだ好意的な言い方で、盗作といわれることもある。
オリジナルのデューンのテキストを深く愛しているのなら、ブライアン・ハーバートとケヴィン・アンダースンの書いた本を開くべきではない。必ず不快になること請け合いだ。
しかし、デューン世界の二次創作を受け入れ、楽しみたいのなら、BHとKIAの作品を楽しむことは間違っていない。まだ日本語化されていないが、まるで教科書を読むような味気ない文章は、機械翻訳がとてもうまく訳してくれるという利点もある。
「『デューン』は完結したのか」という問いに対する答えは、