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Netflix『誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる』全8話

ドラマ

 原題『아무도 없는 숲속에서』(誰もいない森の中で, 英語タイトルは "The Frog"(カエル))は、Netflixで2024年8月23日に公開された韓国のドラマです。韓国総合ランキング1位、グローバルTOP10の非英語部門で4位にランクインしています。

 脚本は、新人脚本家ソン・ホヨンがJTBC新人作家脚本公募展に出品したもので、2021年JTBC新人作家脚本公募展シリーズ部門で優秀賞を受賞しています。

 ドラマは、2つの物語が交互に語られていきます。1つは2000年に地方のモーテルで起きた事件。もう1つが2021年に深い森の中にあるペンションでの出来事です。宿泊客とのトラブルという共通性、そして2000年の事件が初めての事件となり、2021年にペンション近くに赴任してきたユン・ボミ所長。それ以外のつながりが分からないまま2つの物語が続き、視聴者の不安は高まっていきます。

 ジャンルとしては、スリラー、ホラー、サスペンスなのですが、善悪が単純化されたド派手な殺し合いや、画面いっぱい飛び散る血を期待する人には向いていません。哲学的な問いや心理的な描写によるホラー要素で構成されています。物語の展開はやや遅めで、息苦しく、それが物語の展開やキャラクターに対する関心を盛り上げ、どっぷりと引き込まれていきます。

誰もいない森の中で

森の奥で木が倒れた
誰もいない森で木が倒れたら音はするのか?

 ドラマのタイトルになっている「誰もいない森の奥で木は音もなく倒れる」 "If a tree falls in a forest and no one is around, does it make a sound?" は、観察と知覚に関する疑問を投げかける哲学的な思考実験を指しています。

 この言葉は、ジョージ・バークレーを起源とする説が広まっています。1710年に出版された "A Treatise Concerning the Principles of Human Knowledge" に類似した言葉が見つかります。

 音は人間が聞いて初めて音になるのか?木を見たり、聞いたり、触ったり、匂いを嗅いだりする人が周りにいないとしたら、どうして木は存在すると言えるのだろうか?ジョージ・バークレーは主観的観念論という形而上学的理論を展開し、その問いに答えました。

 意識によって知覚されることなく、何かが存在することはあるのだろうか?

 この質問に対する答えは、音の定義によります。音とは空気の振動を知覚することと定義できます。したがって、音が聞こえなければ音は存在しない。しかし、木が倒れると、その動きによって空気の波が生まれます。この物理現象は、耳以外の器械でも測定することができます。音を波そのものと定義すれば、音は発生していることになります。

 現在の言い回しは、1910年にチャールズ・リボーグ・マンとジョージ・ランサム・トイスが著した「物理学」に見られます。

"When a tree falls in a lonely forest, and no animal is near by to hear it, does it make a sound?
静かな森で木が倒れ、それを聞く動物が近くにいないとき、木は音を立てるだろうか?

Mann, Charles Riborg and George Ransom Twiss. Physics. Scott, Foresman and Co., 1910.

 アルベルト・アインシュタインは、昼休みの散歩の途中でアブラハム・パイスにこの問いを尋ねました。今日に至るまで、量子力学界では観測者がいない場合の存在はせいぜい推測に過ぎず、証明も反証もできないという見解が主流になっています。

 未観測の世界も観測された世界と同じように機能すると仮定していいのか?つまり、観測は結果に影響するか?

 イギリスの科学哲学者ロイ・パスカールは、このなぞかけに関連して、次のように論じています。

 仮に人間が存在しなくなったとしても、音は伝わり続け、重い物体はまったく同じように地球に落下し続けるだろうが、それを知る者は誰もいない

Bhaskar, R. (2008 [1975]),A Realist Theory of Science, London:Verso

The Frog

ユン巡査
カエルにはなるな
運悪く石に当たったカエルだ
カエルは瀕死の状態
意識がもうろうとして
身体が乾いていく
息も苦しくなる中でひたすら考え続ける
”誰が石を投げた?”
”なぜ自分に当たった?”と

エピソード4

 この話は、韓国のことわざ「무심코 던진 돌에 개구리가 맞아 죽는다」(無意識に投げた石に当たって死んでしまう)に由来しています。「軽率な行為が誰かにとって苦痛になる可能性がある」という意味が込められています。

 イソップ童話には、以下のような話があります。

ある日のこと、五六人のこどもたちがいけのそばであそんでいましたが、その中の二三人が、おもしろはんぶんに、水の中へ、いしをポンポンなげはじめました。
ところが、いけの中には、たくさんのかえるがすんで居たので、こどもたちのなげた石にあたって、ひどいけがをしたかえるが、大ぜいありました。
とうとう、がまんができなくなって、かえるの中で、一ばんとしをとっていてりこうなのが、いけからあたまだけをだして、
「みなさん、石をなげるのだけはやめて下さいよ。」
と、云いました。
すると、こどもたちは、
「ぼくたちはなにもわるいことをしているんじゃない。ただ、石をなげてあそんでいるだけだよ。」
と、こたえました。
しかし、としよりのかえるは、
「それはそうでしょうが、みなさんがあそびはんぶんになげる石で、私たちはひどいけがをします。あそびはんぶんにすることで、他人のいのちにもかかわるようなめいわくをかけるなんて、あまりかんしんしませんね。」
と、云いますと、こどもたちは、もういいかえすことばもなく、みんなこそこそと、向うの方へ行ってしまいましたとさ。

イソップ童話集/こどもとかえる

 現実は、立ち去らず、反省もしないのです。

 「三体」(劉 慈欣)には、射撃手仮説と農場主仮説が登場します。

 あるずば抜けた腕をもつ射撃手が、的に十センチ間隔でひとつずつ穴を空ける。この的の表面には、二次元生物が住んでいる。二次元生物のある科学者が、みずからの宇宙を観察した結果、ひとつの法則を発見する。すなわち、〝宇宙は十センチごとにかならず穴が空いている〟。射撃手の一時的な気まぐれを、彼らは宇宙の不変の法則だと考えたわけだ。

「三体」劉 慈欣

ある農場に七面鳥の群れがいて、農場主は毎朝十一時に七面鳥に給餌する。七面鳥のある科学者が、この現象を一年近く観察しつづけたところ、一度の例外も見つからなかった。そこで七面鳥の科学者は、宇宙の法則を発見したと確信する。すなわち、〝この宇宙では、毎朝、午前十一時に、食べものが出現する〟。科学者はクリスマスの朝、この法則を七面鳥の世界に発表したが、その日の午前十一時、食べものは現れず、農場主がすべての七面鳥を捕まえて殺してしまった。

「三体」劉 慈欣

 この世界から抜け出すには、どうしたらいい?
 残されたのは諦観なのか?

Ain't No Love in the Heart of the City

 象徴的に流れてくる音楽は、Bobby Bland の "Ain't No Love in the Heart of the City"です。

Ain't no love in the heart of the city,
There ain't no love in the heart of town...
Ain't no love, and it sure 'nuff is a pity,
There ain't no love, cos you ain't around...
Baby, since you been around...
Every place that I go, well it seems so strange,
Without you love, things have changed...
Now that you're gone, y'know the sun don't shine,
From the city hall, to the country line...
That's why there ain't no love in the heart of the city
There ain't no love in the heart of town....
There ain't no love, and it sure 'nuff is a pity,
There ain't no love, cos you ain't around,
Coz you ain't around...

"Ain't No Love in the Heart of the City"

街の中心には愛がない街の中心には愛がない...愛がないのは確かに残念なことだ愛がないのは君がいないからだ...ベイビー、君がいなくなってから...どこへ行っても不思議な感じがする...君がいないと物事が変わってしまった...君がいなくなって、太陽が輝かないのはわかってる、市役所から田舎の線まで...だから街の中心には愛がないんだ街の中心には愛がないんだ...愛がないのは確かに残念だ、君がいないから愛がないんだ、君がいないから...

 1974年にリリースされたR&Bの名曲で、Blandのアルバム「Dreamer」に収録されています。愛する人がいなくなった後の孤独かにゃ喪失感を描くラブソングです。

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