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検察庁法改正案、何が問題だったのか。 【対談】郷原信郎×福山哲郎 5月17日

今回は、この間検察庁法改正案の問題についても積極的に発言を行なっている、元検察官で弁護士の郷原信郎さんに、検察庁法改正の問題点についてお話を伺いまいた。

※実際の対談の様子はこちらからご覧いただけます。

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透明性がない?検察組織が抱える問題

福山:松尾邦弘元検事総長ら検察OBの皆さんが意見書を法務省に提出しました。非常に異例なことです。「検察官も一般の国家公務員であるから国家公務委員方が適用されるというような皮相的な解釈は成り立たない」といった内容で、安倍政権に対して強烈に批判的な文章になっています。このような動きが検察OBから出ることに対して、どのようにお考えでしょうか?

郷原:まさに大先輩というか、検察の殿堂入りといった年代の方々が考えられている検察の世界と今の検察の世界の情景があまりにも違ってしまっていて、それが法律まで改正されてもっともっとひどい状況になってしまうということに対して、大変な危機感を持たれてのことだと思います。検察の現状に対する危機感は、私もずっといろいろな面から持ってきて、かなり批判もしてきました。今回の検察庁法改正についても、松尾元総長ら大先輩と私は基本的に同じ方向です。

福山:この意見書には、大阪地検特捜部が押収資料を改ざんした事件についても書かれていました。自戒というか、後輩たちへの危機感も表されています。今回の議論では、検察の今のあり方を批判的に見ている方もいます。改ざんや冤罪事件を例に、検察の暴走は駄目なのだから、政治の介入が必要なのだという意見があります。また、それとは真逆で、検察にはそういう批判があるからこそ今回の法改正はより駄目なんだという意見があります。今回の法改正では余計に検察の信頼がなくなり、弱体化するという方向でご議論されていると思うのですが、いかがですか?

郷原:松尾元総長らと私の考えはちょっと異なる部分があります。検察の世界は透明ではありません。起訴・不起訴に関しても説明責任は負わない。情報開示責任も基本的にはない。要するに、起訴するものはすべて検察の中で決めることができるし、その結果は裁判所が判断すればいいという考えなんです。組織自体が非常に不透明なのです。その中で、やはり間違いも起きるし、間違いを認めないなどの問題も起きます。検察は問題を抱えている組織なんですね。現状でもこんな組織の状態なのに、それがもし政権の思うがままに、政権の意向を忖度する組織に成り下がってしまったら、こんなに恐ろしいことはありません。
 政権が歯止めをかけるというのは、常に正しい方向で刑事事件の立件や処分を考える力が政権にあって、これは間違っているよと正す力があるのなら話は別です。でも、安倍首相にそんな力がありますか?安倍首相が考えられるのは、自分のところに火の粉が降りかかってこないようにすることぐらいです。ですから、検察のあり方の問題を内閣のチェックで正そうなどということは、私は決して考えるべきことではないし、今それをするような力は内閣にはないと思います。 

着々と作られていく「忖度」の構図

福山:正しいことを検察側に指導し、検察に対して一定の歯止めをかけるというのは、理想論というか、なかなか現実にはそうはならないという議論ですよね。

郷原政治の側でやるべきことは、もっと検察の運営や処遇について、透明性を持たせることです。政治資金規正法違反、公職選挙法違反などの、社会に対して非常に重要な大きな影響を与えるような事件は、国民の利害が関わる問題ですから、それらにはより詳細な説明が必要だと思いますし、それを制度にしていくというのであれば、これは検察の暴走に歯止めをかけることにもなります。しかし、そうした方向ではなく、検察を思うがままに動かせるような方向で考えるのは、絶対に駄目だと思います。

福山:まったくそうですね。制度として検察がより透明化する、説明責任を負ってもらうということを担保するために政治が何らかの考えを検討することは必要だけれども、今回のように人事に介入できるような仕組みでやるというのはまったく方向としては違います。

郷原:今回の人事の問題も、結局は、透明化が必要だということなんですね。検察庁法改正への反対意見に対して、さらに反対する結構有力なものとしては、人事権は内閣にあるんだからそれが根本じゃないかと、定年延長についても人事権を持っているんだから当たり前なんだ、橋下徹さんのような主張があります。確かに人事権は内閣にあります。それを内閣が行使するのであれば、いい。正面から責任をもって、自分たちはこういう人を検事総長にして、こういう検察をやってもらいたいんだと堂々と言ってもらうんだったら結構です。ところが、安倍政権が実際にやろうとしているのは、忖度の構造を作るだけじゃないですか。

福山:検察庁法に違反をして、解釈を変えてわざわざ黒川さんを定年延長してくださいって、歴史上そんなこと一度もやっていないのに、黒川さんだけ別にして解釈変えてやってくださいということを、法務省が普通言うわけないですよね。

郷原:理屈を考えたのは法務省なのかもしれません。検事総長は誰だという結論があって、そのための選択肢を考えていったら、延長しかなかったんじゃないですかね。でも、発端は内閣、政権の側から、誰々を検事総長にしろという指示があったから、公式ではないけれども指示があったからなんですよ。結局、それをすべて役人の側に押し付けるやり方はこれまでとまったく同じです。財務省に対してそれをやったのが森友問題です。近畿財務局に対して押し付けて、その結果、自殺者まで出た。今まさに法務省はそういう目に遭っているわけです。結局、その発端を作っているのは政権側、安倍首相側なんです。

福山:我々が政権を担っていた時には、特に法務省人事に関しては慎重にしなければならないというある種の抑制した考え方がありました。政治が地方行政等に関わるわけにはいかないというのが、どこかに矜持としてありました。しかし、まさに今は、真逆で、忖度しろということが行われようとしているのだと思います。

郷原:とにかく権力者に忖度せざるを得ない構図があり、何か問題が起こったらすべて忖度した側の問題にされてしまう。この構図がこれまでにどれだけ大きな問題を生じさせてきたのか。今回の法案では、その忖度の構図が検察にも作られてしまう。

日本の三権分立は守られていない

福山:しかし、司法の場に対してそういうことをするのは、三権分立に対するひとつの危機感だと思います。それについてご説明いただけますか?

郷原:法律を形式的に自分の都合のいいように解釈すると、安倍首相の言っているような話になるわけです。検察は行政組織なので、人事権も自分たちにあるし、三権分立の問題ではないと。国会と内閣の関係もそうじゃないですか。本来は三権分立でそれぞれけん制し合っていなければならないが、今の内閣と国会はけん制し合っていますか?残念ながら、そのような関係にはなっていません。今政権はものすごく居心地がいいわけです。野党の力が十分ではないためにそうなってしまうのです。では、司法はどうなのかというと、司法もこれまでも内閣との関係が本当に十分な緊張関係にあって三権分立の原則がしっかりと守られていたかというと、必ずしもそうではない面があります。ただ、刑事司法については隔たりを作ることで、検察の組織を内閣から切り離してきました。人事権はあるが、慣例的に内閣が直接指名をすることを差し控えてきたわけです。そして、何よりも内閣には解任権がありません。

福山:63歳の誕生日でお終いですからね。

郷原:それが、刑事司法の強大な権限を持って事実上の司法判断をしてしまう検察を、辛うじて内閣と切り離していたのです。しかし、今回の改正案が通ると、その砦が破られてしまう可能性がある。検察官も人間なので、自分の一度しかない人生において、検察官の最終のポジションがどこで、いつまで続けられるか、それは重要なことになります。そこを内閣の判断でどうにでもなるという状況になれば、思い切ったことはできなくなります。

福山将来のポストについて影響があるかもしれないなと思ったら、その歳が近づく50代後半から60前後ぐらいからちょっと行動が変わるかもしれませんよね。

郷原:変わります。もちろん人にはよりますが。本当に筋を通す人もいるはずですが、おそらく多くの検察官はやはり皆人間なので、正義に殉じることを期待するのはなかなか難しいと思います。

すでにある、検察内の「忖度」の構図

福山:緒方元広島高検検事長がある事件で逮捕されたことを例に、検察の忖度について議論をされていますが、解説していただけますか?

郷原:この事件は、第一次安倍政権下で起きた、元検事長が詐欺罪で逮捕・起訴されるという衝撃的な事件です。朝鮮総連という北朝鮮の事実上の大使館的な役割を果たしている組織があります。北朝鮮の非合法な活動にも関連している部分があるので、緒方さんは、元公安調査庁の長官でそういうところもよくご存じなわけです。一方で、朝鮮総連は、北朝鮮の国籍をもともと持っていた人たちで日本に住んでいる人たちのために最低限の援助をするという役割も果たしていました。朝鮮総連の本部のビルが差し押さえられてなくなるかもしれないという事態となり、緒方さんは、正義感から救済のために会社名義でビルを買い受けたんです。これが時の政権の逆鱗に触れた。当時の政権は、北朝鮮に対して徹底的に厳しくすべきで、朝鮮総連も排除してしまえという考え方をしていました。緒方さんが、そこに立ちはだかるような動きをしたので、ものすごい怒りをかったわけです。緒方を何とかしろという政権の意向を法務・検察が受けて、それを忖度をして、通常であればやらないような事件で自分を逮捕・起訴したのだと緒方さんは著書で述べています。
 検察からすれば、緒方さんは身内、それも大幹部だった方ですからそんなことはやりたくはなかった思います。しかし、忖度が働くと、そういうことでもやらざるを得ないわけです。現行制度でもそういうことが起きているのです。検察が政治の意向を受けてどうなるかということに関して、政治の側を攻撃する事件を控えるんじゃないかということばかりが問題視されておりますが、そうじゃない積極面に出ていく方向もあるんですよ。緒方元検事長の事件は、政権側の意向とそれを忖度した検察の行動が積極的に出ている事件です。それをよく認識しなくてはいけない。

福山:一方で、本来は立件しなければいけないものに対して手を抑えることもある。今回の法改正は、より忖度の度合いを高める可能性があるから駄目だということですね。

郷原不透明なまま、忖度の構図を作ってしまう。これが最大の問題だと思います。

強姦でも不起訴にできてしまう、検察の絶大な権限

福山:そうなると、国民は不安で仕方なくなりますね。

郷原:改ざんとか隠蔽とか露骨なことをやらずとも、検察には権限があり裁量があります。通常はやらないような事件でもあえて起訴すれば、裁判所は犯罪が成立する限り無罪にはできません。ここが検察の判断の重要なところです。検察には検察のダイナミズムというものがあります。捜査によって証拠というものが動いていくんですね。ですから、検察がやるべき事件でもこれはやらない方向にしようと思えば、やるべき捜査をやらないで事件が立たないような消極的な証拠を集めればいいし、それでもし不起訴が不当だといって検察審査会に申し立てをされても、検察審議会の人も消極的な証拠を見たら、不起訴でもしょうがないなというようになる。これは、伊藤詩織さんが訴えた強姦の被害、どう考えても不起訴になるとは思えない事件でも、不起訴になってしまう。検察審査会の判断も「不起訴相当」でした。それは検察のアクションの中で、不起訴というものが相当だということが塗り固められていたからです。そのくらい、検察というのは、方針を決めれば最終的な判断を自分たちの思い通りにできる。それが検察の絶大な権限なんです。

福山:絶大な権限があるからこそ、その行使に対してはある種の謙虚さと透明性が必要ということですよね。

郷原:透明性が必要です。検察は、事後的に監査があるとか組織の中に何重もの慎重な決裁制度を持っています。内部のシステムに加えて裁判所のチェックにより、常にあらゆる刑事事件は法と正義に基づいて適切に処理されている、という方針を維持してきました。そこには透明性という考え方や、外部に対してそれを適切に説明するという考え方はほとんどありません。

福山:これこそ政治の役割になってきます。それを今後制度として作っていかなければならない。

郷原:これが実現できたら、私は本当の意味での任命権を内閣が責任をもって行使することもありだと思います。

※郷原さんの記事(BLOGOS 5/17)もぜひご一読ください。


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