【対談後編】ポストコロナへ向けて。いま政治家に求められるものとは何か? 宮台真司×福山哲郎 5月16日
今回は、忌憚のないご発言と「宮台節」で知られる、社会学者で東京都立大学教授の宮台真司さんに、検察庁法改正案とコロナウイルスへの対策についてお話とご意見を伺いました。こちらでは、後編をお届けします。(前編はこちら)
※実際の対談の様子はこちらからご覧いただけます。
政治家に必要な資質とは何か?
福山:保守主義についても、やはり日本ではずいぶん誤解をされています。保守主義は、急な改革を求めるのではなく、時間とともに少しずつ少しずつ改革をしていくもの。人間はそもそも完全な存在ではないからこそ、ゆっくりゆっくりやっていくのが保守主義の立場であるのに、今回の検察庁法の改正にしても、安倍政権は非常に乱暴なやり方で、数の力で押し切る、数は正義だと言ってしまう。私は、数は正義だとは思わないんですが……。
宮台:それは駄目だと、ジャン=ジャック・ルソーがフランス革命の少し前に言っています。ルソーによると、ある決定がなされたら他のメンバーがどのような目に遭うかということを想像できて、しかもそれが気にかかるという状況がない場合にしか、実は民主制は回らないと。さもなければ、結局多数派工作のためのリソースを持っている人間、つまり元々リソースを持っている勝者が勝つというトートロジーになってしまいます。日本もそういうふうになってしまっている気がします。
社会が大きくなり分業体意識が複雑化していけば、共通前提がなくなっていき、結果として自分たちの利益を求めるようになるのは当たり前のことです。行政官僚と同じですね。しかし、だからこそ、政治家はそれと同じであってはいけない。国民には、いろいろな地方の、いろいろな階級・階層があり、いろいろな性別があり、いろいろな私的な生活を送っている人間がいる。それぞれの人間がどうなるかということをすべてについて想像できて、すべてになりきってその痛みに寄り添えるような人間。そういう人間しか政治家になってはいけない。
福山:自分も含め反省して言えば、そのような人間ばかりが政治家になれるかと言えば、民主主義はそこまでの機能が整っているわけではないと思います。
宮台:そうですね。民主制ってもしかすると終わりつつあるのかもしれません。政治家の中でより高潔で倫理的な人間、より国民全体のことを考えているに違いない人間を選ぶということができない。浅ましくさもしいような感情を代行してくれる自己中心的で排外主義的な政治家に投票することになってしまえば、制度は民主制だったとしても、高潔な倫理観を欠いた人が政治家になってしまいますからね。
福山:今、野党にいる我々も非常に責任を感じます。安倍政権があれだけの支持を受け続けている状況を作っている片方には、野党の政治家のある種のだらしなさがあるわけです。我々も正直に言えば政治家としては、ある種の……
宮台:福山さん、それはある種の生き方の問題だと思います。例えばコロナの問題について、ドイツのメルケル首相のスピーチがものすごく感動的なのに対して、安倍さんのスピーチはまったく何の感動も与えない。その理由は、プロンプターや原稿のせいではなく、国民のためを思っているのか、国民のために自分は犠牲になってもよいと考える倫理があるのかどうかにあると思います。感動を生んでいる理由は、この人には倫理があると思えることなんですよ。倫理があると思える人を政治家にしなくてはだめなんです。野党についても同じことが言えます。倫理を持っていると人々に納得させることができなければ、野党はどんどん沈滞するし、野党の中でもそういう倫理感を持ち、倫理的な生き方を見せてくれる人間や政党がどんどん力を得ていくことになると思います。
政治家から広がるモラルハザード
福山:現実問題として1,000万のツイートが起きました。検察庁法については、国会をインターネット上で何万人もの方が生で観ていました。劣化している日本社会、経済的にも厳しくなっている不透明な状況の中でも、これだけ多くの国民の皆さんが国会に注目をしていただいているということは、次の時代への光にならないのでしょうか?
宮台:そうなるように、この機会を奇貨として利用しなければだめだと思います。国会がこれだけ注視されるのは、新型コロナのディザスターのおかげです。在宅のために視聴することができるわけです。これまで日本人は、忙しすぎて政治をウォッチする力もなく、参加もままならなかった。ところが、コロナによって初めて政治を見ることができた。そこで、この惨憺たる有様を知ることができた。これは、コロナによる良いチャンスなんですよ。もちろん悪い面もたくさんありますが。
福山:今、いろんなところに芽が出てきているようにも思います。NHKの国会中継なんて、視聴率1%しかありませんでしたし、テレビのコメンテーターでも国会審議を見たことがないのにコメントしている人も結構いたと思います。やはりこうした状況では政治は変わらないんだけれども、今はすごいチャンスで、政治家もこういう状況だと国会審議で何を言うかより慎重に検討せざるを得なくなります。
宮台:NHKは国会で予算を決めている準公共放送です。にもかかわらず、政権にべったりのことしかやらない。もちろん社員の中にはそれに抵抗する人もおられますが、政権にとって都合の悪いことはほとんど報じない。予算権を握られているだけでここまで政権の〓〓を舐めるというのは、NHKの組織や経営幹部が情けなくはありませんか。どうして内部告発者が出てこないのか。NHK以外の他の業種も同じです。日本はどこをとっても金太郎飴的に同じです。だから、安倍さんは日本人の象徴なのです。その意味では、安倍さんさえ替われば日本が良くなるということはありません。また同じような人が出てきます。特に検察庁法を変えてしまえば、まったくチェックされない、頭の悪い、倫理観のまったくないような政治家が統治権力の中枢に居座り続けることになりますし、国民の多くもそれをチェックするような倫理観を持っていない状況でです。みんなが損得勘定だけで生きるわけです。もちろん損得は大事です。しかし、損得だけで生きるのは人間としては貧しいし、それによっては、国対がめちゃくちゃになり、国を滅ぼすことさえあります。そういうことを皆さんに考えてほしいと思います。
検査体制にもモラルハザード
宮台:コロナについてですが、感染者数という報じ方はやめていただきたい。あれは感染判明者じゃないですか。何を母集団としてあれだけの感染者数なのかということをいわなければ、まったく意味がない。尾身さんなんかは言っちゃったじゃないですか、20倍はいると。
福山:10倍か12倍か20倍かおっしゃいましたね。
宮台:だったら、それを専門家会議で言えばいいじゃないですか。何をいまごろ言っているんでしょうか。そこに倫理の欠如、あるいは、倫理よりも〓〓舐めというあり方が……
福山:〓〓舐めはまずいかと。
宮台:はいはい。マスコミはまるで天気予報のように感染者数を報じていますが、あれにはまったく意味がない。感染判明者ですから、検査数が多い日は感染者も多い。とにかく、検査数を増やさなければ実態はつかめません。実態がつかめない以上、感染者数にはまったく意味がありません。あれはただの感染判明者です。それを強調しておきたい。
福山:全員のPCR検査は無理でも、各国は圧倒的に無症状者や軽症者も含めた全体像で感染者数を出しているという事実はあります。
宮台:それを疫学リサーチといいますね。一番いいのは結構大規模な無作為抽出だけれども、それだけの検査をする余力がなければ、東京都市部/近郊、大阪都市部/近郊、地方都市都市部/近郊というようにゾーニングをして、その中で無作為に調査していくと、抗体を持っている人がどれだけいるのかがわかります。それで初めて感染者数が推定できます。
グローバリゼーションの落とし穴
福山:コロナの問題も先が見えず、経済的にも厳しい状況が世界的に続いています。この25年ぐらいのグローバリゼーションの流れがここで若干変わる可能性もあると思いますが、そのあたりはどう思われますか?
宮台:グローバル化の基本理論となっているリカルドの「比較優位説」によると、それぞれの国は得意なものを生産してあとは国際貿易で何とかやればいいということになりますが、グローバル化はもちろんそれ以上の現象であり、実際には資本・人・モノ・金の移動ということになります。リカルド的な枠組みの欠点は、安全保障を考えていないという点です。例えば輸出入禁止措置とか経済封鎖がなされたり、今回のコロナのように軍事的な理由ではない経済封鎖がなされた場合には、国際貿易やグローバル化が今後も続くだろうという前提で振る舞っている国や人はどんどん駄目になっていきます。
日本はどうかと言うと。水道法とか種子法とか、いわゆるネオリベ系の勢力によって、経済財政諮問会議系の勢力によって、どんどんどんどんグローバル化の方向に棹差す方向性を案内されて、その方向へひたすらスロットルを踏んでいたのが安倍政権です。だから、コロナ禍で経済封鎖とグローバル化封鎖が起こったことで、安倍政権こそが日本の安全保障に最大限悖(もと)る振る舞いを決定的にしてきたという事実が明らかになりました。このことに気が付く国民がどれだけいるか。
福山:種子法も水道法も我々は徹底的に反対しました。実は私は本会議場で「どっちが保守なんだ」と野次った経験もあります。こんな法律を通してこの国をどうするつもりだという思いが本当にありました。どういうふうにこの国を守るための最低限の構えを作るのかという議論を、具体的に始めなければいけませんね。
右か左かじゃなくて、まともかクズか
宮台:こうした広い意味での安全保障が問題である一方で、軍事だけのことを考えている安倍さんみたいな人間はとんでもないわけです。人間はもともと高度に複雑化した社会を理解できるだけの頭を誰も持っていません。だから、思い込みで変えるととんでもないことが起こるよというのが、バークの保守主義の神髄なんです。この立場を、私は「社会保守」と呼んでいます。これに対して、経済的に自由でありさえすればいいんだ、政治はそれに介入するなというネオリベ的な立場を「経済保守」と言います。経済保守は、実は社会保守の後の19世紀末に出てきた考え方です。その後、ソビエト連邦共和国ができ東西冷戦になると、反共こそが保守であるという「政治保守」、「イデオロギー保守」が出てきます。それとは別に、今のアメリカでは「宗教保守」という、思考停止の原理主義者がどんどん出てきているというような状況もあります。
福山:日本は戦後それでずっときましたよね。
宮台:そうですが、自民党はそれなりにドブ板政治をする地域政党でもあったので、他の国では労働者と資本家という対立だったのに対して、日本では地方と農村という対立がある中で、自民党は、地方にお金をつけていくということをやった。例えば田中角栄なんかには典型的な功績があり、そこはやっぱり認めないといけないと思います。社会保守と経済保守と政治保守と宗教保守の間には、何らの関係性もありません。安倍政権は少なくとも、経済保守と政治保守ではあるでしょう。あるいは日本会議的にいうと、一部宗教保守でもあるかもしれません。ところが、社会保守ではない。本当の保守主義は社会保守だけです。他の人間はすべて”自称”保守なので、経済保守や政治保守や宗教保守をゆめゆめ保守だと勘違いなさらぬように。それが最低限の教養です。
福山:立憲の枝野代表も自分のことを「保守」だと言って、「何でだ」と言われるんですけれども、実は我々が言っているのは社会保守の部分なんです。そのあたりの整理なくして日本の政治は説明がつかないと、この15年間ぐらい命題のように考えてきました。
宮台:例えば沖縄の翁長元知事はすごい方だなと思いました。自民党に属していようが何だろうが、彼は社会保守でした。社会保守というのは基本的に、経済も政治も社会のために貢献するものだという発想を捨てないということなんです。政治や経済のために社会がズタズタになってもいいという考えは、保守の反対です。翁長さんは、そういう発想をずっと持ってこられて、自民党県連のトップだったけれども素晴らしい政治家だったと思います。そういう意味ではいまの自民党の中にも素晴らしい政治家は、数は少ないけれどもいると思います。実際に今回の検察庁法改正案に異を唱えた人も出てきましたし。そういう意味では、自民党だから全部だめだというわけではありません。
福山:安倍政権がどれだけ続くかわかりませんが、一方で衆議院が来年の10月までの任期ということで、この1年ちょっとの間には必ず衆議院選挙があります。時代の変わり目や、日本の社会や経済をどうやって立て直していくかも含めて、この1~2年はかなり大切だと思います。そのさなかに、政治に対するこれだけの注視、監視の目が拡がっている。有権者の方々もいろいろと考えて投票行動を起こしていただくことが大切だと考えています。
宮台:右か左かじゃなくて、まともかクズかなんですよ。それが炙り出されています。右か左かじゃなくて、まともかクズか。周りを見ても右か左かで判断している人間は、それ自体でクズ=言葉の自動機械です。まともかクズかというところだけで人や政治、あるいは政治家を判断していってほしいと思います。
コロナ禍、政治には何が求められる?
福山:東京都知事にしても大阪府知事にしても、現場の自治体のある種の権限行使ができるというのは、メッセージとして非常に強いですよね。
宮台:そこが実は今の希望です。”安倍とともに去りぬ”では困るなということで、やはり各自治体が政府の言うことを横において、自分はこうやるということを、例えば和歌山県知事なんかは初動が良かったですよね。
日本は今非常に卑怯なことをやっている。日本の場合は強制的な外出禁止や都市封鎖を行う法律がないということもさることながら、非常に卑怯な政権運営が伝統的にあるわけです。政治家が行ったのはあくまでも自粛要請であって、その結果どうなるかは皆さんの自己責任だと言えるわけです。加藤厚労大臣の物言いが典型的でした。強制ではなく自粛の意味は、政治家の責任逃れなのだということを考えてほしい。
実は失業者数と自殺者数は、日本ではほぼ完全に相関しています。なので、経済がダウンして失業者がどんどん増えれば増えるほど、自殺者もそれに比例して増えると予想されます。コロナで死ぬのも怖いし嫌なことだけれども、経済が落ちて自殺者が増えるのも嫌なことです。ここから先は政治家の方も、コロナ死と経済的な死、経済的な自殺の両方を合わせた数がどれだけ少なくなるかを見て、そのバランスで政策を立てていくしかないということを国民に訴える必要があります。
福山:本当にそうですね。自由主義経済の中で国民は頑張って生きておられます。しかし、国が営業の自由を制限して、表現の自由を制限して、そしてさらには移動の自由すら制限をしているわけですから、そこの部分について国が補償するというのは当たり前の話だと私は思います。
宮台:ヨーロッパでは8割補償が標準です。
福山:そうした原理原則がない中で、国がどれだけ面倒を見てくれるかわからない中で、何か月も自粛しなくてはいけないのに、あとは自己責任で借金しろというメッセージはあまりにもひどい。
宮台:いやあ本当にひどいんです。それだけひどい政権なんですよ。ただ、これもコロナによって10倍速で現実化した話で、日本経済はコロナの前から徹底的に駄目だったんです。経済成長率は民主党政権の時の方が安倍政権の時よりもずっと上です。その意味で言えば、「民主党政権の悪夢」と安倍さんが言うけれど、今は、まさに自民党政権という、安倍政権という悪夢中の悪夢を見ているわけです。
ポストコロナの社会で必要なのは、「信頼」
福山:最後に、ポストコロナの社会についてコメントをいただければと思います。
宮台:世界中の多くの免疫学者たちは、持っても抗体は弱く、持続する期間もおそらくは半年~1年であろうと予想しています。だから、今後10年あるいはそれ以上の長きにわたり、ロックダウンしと再開が世界中の都市で繰り返されます。そうなると、経済活動を維持し、社会をコントロールするために、テクノロジーを用いたハイテクな生体監視が必ず持ち込まれます。そうなったときに、生体監視を、中国のようにバーティカルに、つまり統治権力の言うことを否が応でも守るように使うのか、それとも、ヨーロッパが推奨しているようにデータを匿名的に蓄積したうえで、交通経路や都市にフラグを立てて、フラグを用いるかどうかをそれぞれの賢明な判断に任せるのか、いずれかになるでしょう。垂直的なテックと水平的なテックがお互いに競争していくことになります。その時に民主社会に特有の水平的なテックが生き残るために必要なことは、市民相互の信頼と統治権力への信頼なんですね。安倍政権のように嘘、隠蔽、改ざんを常習とする政権から出てくる情報、政権の〓〓を舐める学者から出てくる情報を信じられるわけがないじゃないですか。統治権力に対する信頼と市民相互の信頼を回復することが、中国のような徹底した垂直的生体監視に陥らないための鍵になります。どういう種類のテックがよいのかについて倫理的な判断も忘れてはいけません。
福山:個人に紐づいたものを使うのではなく、それをすべて匿名化して使う際には、ちゃんと匿名で行いますよという統治側への信用がなければ、悪用されるのではないかと疑念が湧いたり、独裁的なものになびいてしまう社会になってしまうリスクが高まるということですね。
宮台:そうです。なので、すべての西側の社会がどちらに向かったのかということは、5~10年のスパンで可視化されます。その時に日本人の性能が高かったのか低かったのかということが明かになることでしょう。
福山:本日は、示唆に富んだお話をいただき、ありがとうございました。
※宮台さんとの共著です。是非、ご一読ください。