「大きなスーツケースの老人とイトーヨーカドー」
僕は金沢へ向かうため、福島駅のホームで東北新幹線はやぶさ128号を待っていた。
小さなベンチに腰掛けると、大きなスーツケースを杖代わりに、80代くらいの老人がゆっくりと歩いてきた。こんな事言うのも失礼だが、元気に見えない円背の小さな老人だ。歩行に関して言えば、スーツケースがないと歩けないんじゃないかと思うほどだった。
これはスーツケース型手押し車なんだなと、独りで納得しながら眺めていたら、その老人は僕の隣に座った。座って見るとスーツケース(手押し車)の大きさが際立った。座るとこれまた器用にスーツケースに両手をかけ、良い感じの手置き台になっていた。
僕らが座る目の前には、4日前に閉店したばかりのイトーヨーカドー福島店があった。かつては鮮やかに赤青白のトリコロールカラーのロゴが描かれていた真四角の屋上看板が真っ白になっていた。
まるで豆腐のような看板は、朝日が反射して、眩しくもどこか懐かしげな光を放ち、僕らを照らしていた。
ふと思い出したように、隣の老人は折りたたみ式携帯電話でイトーヨーカドーを撮り出していた。スーツケースを台にして、慣れた様子で。
福島市民なら、きっと誰もがイトーヨーカドーの思い出を持っているだろう。それが僕より年配の人から見たら、きっともっと深い思い出があるだろう。勝手に老人の脳内を巡らせながら、感慨深くなってしまった。
ちなみにだが、僕のイトーヨーカドーの思い出で特筆するようなものはない。ただ断片的な懐かしい記憶のカケラが、胸の内から込み上げてきて、気づいたら僕もイトーヨーカドーだった豆腐看板の写真を撮っていた。
僕らは東北新幹線はやぶさ128号に乗り込んだ。それぞれのイトーヨーカドーの思い出と豆腐看板の写真と共に。
最初は寂しく思えた白い豆腐看板が、写真を撮った後は真っ白なキャンパスに感じた。何かが始まる予感みたいに。
新幹線は春を駆け抜ける。イトーヨーカドーの思い出を乗せて駆け抜ける。
あとがき
昨年書いたトランヴェール風noteの続編です。