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【第5話】パーティーとプロポーズと靴下の穴〜本当のサプライズは足元からやってくる〜

声の大きい人と、何も言わない人=田中八作の対比

第5話の序盤は、「声が大きい人ってうさんくさい」というセリフから連鎖していくように、熱すぎるコーヒー、声が大きい大豆田旺介(岩松了)の選挙カー、バースデーケーキの多すぎるローソク、つけすぎたワサビ、大量に吹きつける日焼け止めスプレー、15種類も入ったきのこ鍋……など、過剰な「多すぎるもの」のイメージが目につく。

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しかしこの回は、むしろ声が小さい人、物言わぬ機微、言葉にならないコミュニケーションなどの「目に見えないもの」を察することが物語を駆動させていく。

その筆頭が田中八作(松田龍平)だ。「気に入ってもいない水門の絵を、もらったからって飾ってる」(第4話)ような彼は、とことん受け身で、自分の意思や主張を他人に押し付けない「何も言わない」人だ。彼の優しさには下心や打算がないが、裏を返せばそれは自分にも他人にも関心や期待がないということ。その空虚な容れ物のような態度に、人が自分の理想を勝手に投影できるから、彼はモテるのだろう。

三ツ屋早良(石橋静河)いわく、「一生負け続けてくれる」理想の恋人であると同時に、「優しさで人に壁作る人って怖い」という短所にも反転する八作のキャラクターは、「彼の何も言わないところを好きになって、何も言わないところが辛くなって」と語る大豆田とわ子(松たか子)の一言に端的に集約されている。

そんな彼の物言わぬ主張のなさが、綿来かごめ(市川実日子)には古本の隙間に住む「コナチャタテ」に見えるのかもしれない。

第4話で早良をわざと貶めて怒らせた八作のことを、親友の俊朗(岡田義徳)は「全部察した上で気を遣ってくれてたんだよな」と好意的に解釈する。早良が本当に好きな相手を暴露して俊朗が傷つくのを回避しようとしたのか、それとも矛先が自分に向きそうだったから保身に走ったのか、八作の真の意図は図りかねるが、こうした「言葉にしない/目に見えないものを察する」ことを巡るやりとりが第5話には頻出する。

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言葉にしない察しあいのコミュニケーション

とわ子が八作と離婚した経緯について、「まっ いろいろあるよ」とお茶を濁すかごめ。八作に送られて帰る途中、深夜までやってる古本屋の話題を持ちかけられ、パーカーの紐が片っぽ抜けたと話を中断して帰るかごめ。どこに住んでるかと聞かれ、その場から見えるタワマンだと嘘をつくかごめ。こうした「言葉にならない」やりとりから、かごめが八作からの好意に気づきつつも、気づいていないフリをしていることを、視聴者はなんとなく察してしまう。

とわ子と八作もまた、お互いに察し合い、気遣い合うようなコミュニケーションをする2人だ。離婚の原因となった「八作に他に好きな人がいた」問題に触れながらも、決定的な喧嘩にはならないよう踏み込まない。とわ子の「ありがとね」は、八作が本気で憤ってくれたことに対してか、靴下をくれたことに対してか、曖昧なままにされる。そもそも第1話で、とわ子は「布団が吹っ飛んだ」エピソードから、徐々に遠回しに母が亡くなったことを八作に打ち明ける。いつだって無造作に無神経に核心に触れてしまわないよう探り合いながら、2人は話すのだ。

しかし、だからこそ私たちはその言外の意味を深読みしてしまう。八作との離婚の原因を「意地張ってた」「若さゆえ」だと強調するとわ子(分別のついた今だったら別れていないのか?)。取引先の社長に侮辱的なことを言われて精神的ダメージを負い、自然と足をオペレッタに向けるとわ子。靴下を唄にあげちゃったと言われ、思わず「うん、それがいい」と返してしまう八作。他に好きな人などいなかったと言いながら「小説の中の登場人物が好きっていうのと一緒だよ。現実的じゃないんだから」と言い訳する八作(成就しない人が好きだったと暗に認めていないか?)。

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靴下にあいた穴から漏れ出た秘密

誕生日パーティーや突然のプロポーズといったイベントを差し置いて、本当のサプライズが八作の片思い相手の発覚だった、というミスリードも秀逸だ。

自分へのサプライズパーティーの計画を察してしまった勘のいいとわ子には、目に映るすべてのものがパーティーの伏線に見えてしまう。しかし、本当のサプライズには、鮮やかな伏線も、決定的な出来事やセリフもないし、勘も役に立たない(マッサージ店で、いかにも屈強な男性より小柄な女性のほうがハードな施術をする人だった、というくだりで、とわ子の勘のあてにならなさが示されているのが面白い)。穴のあいた靴下という実に些細なアイテムから、もやもやと、じわじわと「八作の片思いの相手は誰か」がとわ子の中で繋がっていく。砂浜の足跡や、足を攣りながらのプロポーズによって、答えは足元にあることを示唆しながら。

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「察することができない」といえば、鹿太郎だ。彼は「これからは普通の恋がしたいの」「器の小さい恋がしたい」という美怜からの言外の好意を察することができず、「僕なんかもうチラ見で十分ですから」と彼女からの視線をそらしてしまう。また、パパラッチに写真を撮られて悔しがるあまり、「私たちの最初の1枚だね」と嬉しそうな美怜の手を振り払う。行き過ぎた自虐と謙遜は、かえって相手の気持ちを見えなくさせ、傷つけてしまうのだ。

慎森にとって「見えていない」存在だったのが小谷翼。2年のホテル暮らしの間、清掃員として自分に毎日挨拶をし、部屋の掃除をしていた彼女を認識していなかった。「覚えてなかった? 見てなかった? 誰が掃除してるかなんて関心なかったか」というセリフは、慎森が清掃員を生身の対等な人間として見ていなかったことを指摘する。「楽しく綺麗に生きる」社会階層の高い登場人物たちの洒脱なコメディだったドラマの世界に、彼らに見えていない立場からのカウンターが突きつけられた衝撃的な瞬間である。

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牧歌的ユートピアに侵入する「有害な男らしさ」

そして、第5話で物語に急展開をもたらす最大の不穏分子が門谷(谷中敦)だ。同じバツ3なのに、「かわいそうな人を見るとほっとけない」「ダメな女性に惹かれる」「僕にとって離婚は勲章みたいなものですけど、あなたにとっては傷」ととわ子をナチュラルに見下す男尊女卑な態度。プロポーズを断られると「男のプライド」を持ち出して報復のように追加予算にNGを出し、契約破棄をちらつかせる悪辣さは、これまでの『まめ夫』の世界にはついぞ登場しなかった存在である。

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とわ子の元夫たちは、一見いがみ合うかのように見えて、回を追うごとにイチャイチャと仲睦まじい奇妙な連帯を強めていく。いわば、とわ子を媒介にして結束した「優しく無害なホモソーシャル」を展開していた。そんな、どこかおとぎ話のように牧歌的なユートピアだった本作の世界観の中に、初めて現れた「有害な男らしさ」の持ち主が門谷なのである。

とわ子が、「離婚はパラレルワールド」(まさに書き初めで書いた「もうひとつの世界」だ)「何回やり直しても同じ結果」と言う通り、繰り返される離婚は、人生がループする円環構造であることを示す。だが、アートイベント会場に設計された「螺旋型のエスカレーター」のように、この世界はループしているように見えて、しかし螺旋のようにまったく同じところには戻ってこず、少しずつ違う場所へ私たちを連れていく。そんなことを象徴していると考えるのは、深読みのしすぎだろうか。

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門谷という不穏分子によってとわ子の姿が消え、均衡が保たれていた理想郷が揺らいだとき、とわ子と元夫たちに何が起きるのか。第6話を心して待ちたい。

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「FRaU」に、『大豆田とわ子と三人の元夫』第5話までのエッセンスを紹介しながらレビューする記事を寄稿しました。

こちらのnoteで書いた内容とだいぶ重複してしまいますが、これまでの総まとめ的な記事なので、よかったらお読みください。

■この記事は投げ銭制です。これより先、記事の続きはありません■

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