魁!!テレビ塾 第4訓『TERRACE HOUSE』
作為をすべてヤラセと批判する
“余裕のなさ”が息苦しい!
押忍!! ワシが当テレビ塾塾長、福田フクスケである! 出るか出るかと思っていたらやっぱり出た。ワシの尿管結石の話ではない。『TERRACE HOUSE』のヤラセ疑惑だ。共同生活を送る6人の若い男女の夢や友情や恋模様を“台本一切なし”で追うこの番組。某週刊誌によれば、スタッフの指示や意向で出演者が告白したりキスしたりすると、“手当”がもらえるとか。
事の真偽より興味深いのが、この手の恋愛バラエティに対するヤラセ批判は、『あいのり』の頃から変わらずあるという点だ。それでも当時は、「世界一周」「ラブワゴン」といった虚構性の高いギミックを盛っても、視聴者はギリついてきていた。それが、いまや『TERRACE HOUSE』では、「一緒に暮らす」くらいリアリティを感じられる程度の作為に抑えても、なお“ヤラセ”って叩かれちゃうのである。
そもそも、「お膳立ては作り物(ヤラセ)でも、そこに放り込まれた人間の感情やリアクションは本物だ」というのをおもしろがることは、バラエティの王道フォーマットのひとつだったはずだ。
たとえば『はじめてのおつかい』に対して、「確かに台本はないけど、あんなにスタッフが見守っている作られた状況で、必要もないのに子供を騙してわざわざ買い物に行かせるなんて、ヤラセじゃん!」という批判は聞いたことがない。『TERRACE HOUSE』も、やってることの構造は同じなのに……。
どうも最近の視聴者は、テレビ局の意図する作為や演出をまんま受け入れることを、情弱でダサい屈辱的な行為だと思っているふしがある。特に“恋愛”が絡むとその被害者意識が強くなることに、恋愛格差社会における非モテ層の余裕のなさを感じるのは、モテないワシの考えすぎですかね!
◆今月の名言
スタジオキャストのYOUが毎回番組冒頭で述べる前口上より。海辺のオシャレな家で、写真家や俳優志望など浮わついた夢を追う若者が共同生活を繰り広げる。現代のトレンディドラマとも言える。
(初出:学研「GetNavi」2014年5月号)
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【2023年の追記】
このときすでにヤラセ報道があったにもかかわらず、その後も「恋愛リアリティショー」というジャンルの人気は衰えることなく、よりゲーム性や虚構性を高めた『オオカミくんには騙されない』や、階層格差を可視化させて一発逆転の射倖心を煽る『バチェラー・ジャパン』などのヒットシリーズが多数生まれました。
そしてこの原稿を書いた6年後、まさにこの『TERRACE HOUSE』で痛ましい悲劇が起きます。
当時の私は、「視聴者はテレビ局の作為を何よりも嫌悪している」と思っていました。「お膳立ては作り物(ヤラセ)でも、そこに放り込まれた人間の感情やリアクションは本物だ」という、いわばプロレス的なテレビの楽しみ方を許容できない視聴者のことを未熟だ、とすら思っていました。
しかし、本当は違ったのだ、と今なら思います。世間は「大っぴらに叩いてもいい“コンテンツ”としての人間が欲しかった」だけだったのではないか。それは視聴者の成熟ではなく、単なる麻痺だったのではないか。私が思うよりも世間は残酷でグロテスクだったのかもしれません。
ちなみにですが、この当時は半ば冗談や皮肉として書いた「『はじめてのおつかい』って、必要もないのに子供を騙してわざわざ買い物に行かせるヤラセじゃん!」という言説は、近い将来、子供の人権や尊厳の観点から本当に問題視されるようになる気がします。それが果たしてテレビをつまらなくさせる狭量なクレームなのか、まっとうで良識的な考えなのかは、ここでは判断をいったん保留にしておきます。