朝の朗読、いいかんじ。
ここのところ毎朝、「おはようございます」を言っています。
一人暮らしの部屋から、スマホのむこう側にいる人たちへむけて。
毎朝のClubhouseでの朗読。
2月3日(水)からはじめて、はやくも一か月がたちました。
本日3月4日(木)で29回目です。(1か月といっても2月は28日しかありませんでしたからね。よく続けました)
平日は7時45分から、休日は8時45分からの15分間。
わたしの好きな本をただひたすら声にだして読んでいます。
この朝の習慣は、わたしにとって、まるで瞑想のようです。
自分の好きな本の一文、一語、一音を、口から出して、耳から入れる。
心地よい集中した時間を過ごしています。
はじめたきっかけ。
ここ半年くらい、「ずっと音読をしたいなぁ」と心の中に秘めていました。
「秘めていた」は大げさか。身近な友人には漏らしていました。
でも、自分ひとりのために「よーし読むぞ」と、重い腰をあげることはできませんでした。
そうして、うずうずしているなかで、1月末に訪れたClubhouseの流行。
「クラブハウスなら、その場かぎりだし、聴く人も私の知り合いだろうし、気軽にはじめられる!」と、思い切ってはじめてみました。
そういえば「音読」と「朗読」って何が違うんだろうと思い、グーグル先生に質問。
簡単にいうとこんなかんじでした。
音読(おんどく):声に出して読むこと
朗読(ろうどく):誰かにむけて声に出して読むこと
相手がいるかどうかの違い。
わたしは、自分のやりたいことが起点にある。
でも、Clubhouseでやるからには、聴いてくれる相手がいるだろう、ということで、「音読」ではなく「朗読」としてはじめました。
もっと掘り下げてみる、朗読したいと思ったきっかけ。
自分の声が心地いい。
小学生のときには「高くて変な声」とたくさんいわれました。
卒業文集には、好きな男子から「いつまでもそんな声なのかな?」と書かれました。その場では笑ってやり過ごしたけど、こうして今でも覚えている程度のショックは受けたわけです。
自分の声が嫌で嫌でたまらなかった。
中学生のときには「女性でも声変わりすることがある」と知り、自分の声がすこしでも低くなることを期待しました。
でも、低くならなかった。あー、残念でした。
大学生になるころには、声変わりはあきらめました。
周りも気をつかえるようになったからか「変」と言われることはなくなり、「声かわいいね」と言われるように。
「かわいいんじゃなくて、声が高いだけだよ」と、適当にかわしてました。ほんとに高いだけだし。
社会人になると、この声のせいで若く見られて舐められることもあるから、ジャケットを着たり、態度をでかくして、デキる自分に見せる努力をしました。
これ、古くからの知り合いには、元からその態度でしょ?とツッコまれそうだけれど。笑
意識してデカくした態度だったんですよ?笑
しかたないよなぁとあきらめていた自分の声。
でも、Podcastがきっかけで、自分の声がとても好きになりました。
2020年8月から友人といっしょに、オンラインエンタメ作品の好きなところを話すPodcast「好きだから勝手にありがとう」をはじめました。
それから自分の話す言葉や声と向き合うようになりました。
配信したPodcastを一番聴いているのは、私なんじゃないかな。
自分がのびのび話せている回は、何回も何回も聴きます。
友人とのたのしい会話のくだりには自分でも笑ってしまいます。
自分の抱く気持ちを、素直な、正直な、言葉ではなせていることがわかるから安心します。
言葉だけではなく、声を聴けば、自分の興奮具合もわかる。
緊張してたり、ちょっと無理しているときもわかる。
なんだ。とっても、気持ちや感情が、わかりやすくて、良い声じゃん。
いままで、ほめてもらっても適当にあしらってきた、この声を活かしてなにかできないかなあ。と思いはじめました。
数年前。実家に帰ったとき、見つけたのは小学三年生のときの通信簿「歩み」でした。
先生からの自由記述の欄には、「本読みが上手」と書かれていました。
ああ、小さいとき、本が好きだったんだな。
見つけたときには気にしていなかったけれど、Podcastをはじめて以降、ぼんやりと本読みしたいなあという想いが芽生えました。
いまは、その想いを自分がだいじにしてあげようと思っています。
クラブハウス朗読をはじめてみて感じた違和感とその解消。
「ありがとう」でつくられてしまう構図をやめたい。
クラブハウス朗読での最後の声掛けについて思っていることです。
(友人とのPodcastは、タイトル「好きだから勝手にありがとう」のとおりの想いでやっているのでいいのです)
クラブハウス朗読をはじめた当初は、「聴いてくれてありがとうございました」と言っていました。
その「ありがとう」は、
わたしからすると
わたし 話させてもらう人、
相手 受け取る人、受け取ってくれる人
もしくは、聴いてる人からすると
わたし 話してくれる人、
相手 受け取らせてもらっている人
みたいな、ちょっと上下っぽい構図になってない?というのが、だんだん気になりました。
それは、自分にとっても、相手にとっても、違和感がある言葉なのではないかな、と。
わたしが本を読んでいる時間、
聴いている人は、ただ聴いていてもいいし、ご飯を食べていてもいいし、掃除をしていてもいい。過ごし方は、自由。
わたし含めみんなに平等にある「自由な15分」の中で、各々が好きに過ごす時間が重なっている感覚が、自分にはあります。
時間を共有する部屋のような。
だから、最近は、
「わたしが自分の好きな本をただひたすら声にだして読む朝の15分を一緒に過ごしてくれてありがとうございました」と言うようになりました。
かなりしっくりくるようになりました。
「ありがとう」という言葉が残っているけど。
感謝の気持ちはあるのです。
これからも続けていくと、心境の変化とそれに合わせたしっくりくる言葉を、見つけられるような気がしています。
この朝の気持ちいいリズム、もうしばらく続けていきます。
ダーマツ文庫(クラブハウス朗読)
平日7:45~ 休日8:45~
読む本は前日か当日に決めています。たまに寝坊します。たまに休みます。Chouseのアカウントは「damatsu」です。(検索していただくと、ブタのイラストアイコンがでてきます)
🐤Twitterでもお知らせしています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?