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Piano For Train (4) 復路:京都~米原~豊橋~浜松
ここまでの話
Piano For Train (1)
旅の始まり~往路:京成小岩~上野~熱海
Piano For Train (2)
往路:熱海~沼津~島田~浜松
Piano For Train (3)
往路:浜松~豊橋~大垣~米原~京都
[復路:京都~米原~豊橋]
片山さんの家を出るのが朝の6時を回ってしまって、京都駅に着いたのは7時の少し前だった。
朝飯はやはり駅そばだろう、と思っていた。
京都駅の琵琶湖線ホームにある駅そばは以前に一度食べたことがあったのだが、なかなかのクオリティだったのだ。そこに行けたらな、とぼくは考えていた。
昨晩の酒が少々残っていて、ぼくは若干二日酔い気味だった。
だが、二日酔いの朝に食べる駅そばというのがこれがまた良いのだ。体内に残った酒のせいで水分と塩分を奪われた身体がそれらの補填を欲している。
かといって胃はもたれ気味なので、優しい味のものが食べたい。
とすれば駅そばでしょうとなるわけだ。
ぼくは片山さんの家から京都駅に向かうバスの中で京都駅琵琶湖線ホームの駅そばのことを思い返していた。あれは美味かったなあ、と。名前を失念していたのでヤフーでググってみたら「麺家」という名前だった。よくある名前なのだがチェーン店なのだろうか。
その駅そばを一年ほど前に食べた時は、ほぼ朝から飲まず食わずの状態だったので、かなり「腹減り補正」が入っていたのは否めない。そういう時には何を食べても大体美味いのだ。しかし、その時の身体に染み渡るような天ぷらそばの滋味を思い出して、ぼくはちょっとうっとりしていた。
よーし今から「麺家」の駅そばを食べるぞー、と。
余談だがもう一軒、ぼくが京都駅でよく行く立ち食いうどん屋がある。「九十九(つくも)」という店名のうどん屋だ。市営地下鉄の出口のすぐ前にある。 市営地下鉄で京都駅まで行って新幹線に乗り換えて、という時にはこの「九十九」がその道中にあるのでいつもそこに寄る。
今回もここに行くか「麺家」に行くか、かなり悩んだ。
ここ(「九十九」)のオススメは二品。
一つは朝の時間限定の「わかめ卵とじうどん(380円)」である。写真は今回の旅で撮ったものではないのだが、ぼくのスマホの写真フォルダの中に残っていたので掲載しておく。
たっぷりの青ネギとわかめを味わい豊かな卵で綴じた逸品がなんと380円である。味はめちゃくちゃ優しい。何か失敗をしても「大丈夫だよ、その失敗こそが次の君の成功のきっかけになるんだよ」と言ってくれる人ぐらいに優しい。実に良い。二日酔いの朝には特に良い。
確か朝の9時だか10時だかまでの限定メニューなのでそれ以降はこのメニュー自体がないか、あったとしてももう少し高い値段なので、それは仕方のないものなのだと思ってほしい。
もう一つのオススメは「鶏卵カレーうどん(680円)」だ。
このメニューは店も一番の看板メニューとして推している。スパイシーさよりもダシの旨みを効かせたカレーのダシを、鶏卵の卵とじが優しく包み込む。
こちらも過去に撮った写真がスマホのフォルダの中に残っていたので掲載しておく。ぼくのスマホの写真フォルダは麺の写真で溢れかえっているのだ。
このカレーうどんの特徴は、とにかくすさまじいボリュームだ。
味が優しいせいで軽く食べられると錯覚してしまうのだが、食べ進める内に満腹感がどんどんとせり上がってくる。680円という価格は立ち食いうどん屋としてはハイパーセレブな価格設定であるが、このボリュームを考えれば納得がいく。ほぼ二食分に匹敵すると言っても良い。
この「わかめ卵とじうどん」と「鶏卵カレーうどん」を擁する「九十九」と「麺家」と、どちらに行こうかと悩んだ挙げ句ぼくは「麺家」を選択した。
「九十九」は新幹線を利用する時にいつでも行けるが、JRの琵琶湖線を利用する機会はそれほど多くないからだ。今日は「麺家」でしょ!と、そう思っていた。
結論から先に言おう。
食べられなかった。
ぼくはこの選択に失敗していた。
琵琶湖線のホームに着いたのは6時45分を少し回ったところだった。
お目当ての「麺家」の店舗を見つけてぼくはいそいそとそこに近寄ったが、そこにはなんと「7時開店」と書いてあったのだ。
10分少々待てば店は開く。次の電車は!?と思って電光掲示板を見た。
6時56分に新快速がくる。
これに乗りそびれると、30分以上のタイムロスになる。次の電車は新快速よりもちょっと遅い「普通の快速」だったからだ。
ぼくは「麺家」を諦めて、やってくる新快速に乗ることを選択した。
そしてその瞬間にぼくは「これは縁がなかった」と思った。
ぼくはあまり非科学的なことやオカルティックなことには理解を示さない方だが、こういう感じの「今日はすれ違う日」とか「今日は色々と何とか噛み合う日」とか、そういうことは信じがちだ。
移動している時に信号が全て青信号でスムーズに進める時と、常に赤信号で引っかかる時とがある。
そういう時には「今日はそういうリズムの日」と思ってしまう。
この復路は「すれ違うリズムの日」だった。それをぼくはここから知ることになった。
寸前のところで「麺家」を諦めて米原行きの新快速に乗り込んだぼくは、すぐにスマホで時刻表を調べた。米原では20分弱の乗り換え時間があり、またここで「駅そばチャンス」がやってきたなと思った。
米原に駅そばがあれば絶対に食べてやる。ぼくはそう決意した。
そういう決意がぼくのテンションを妙に上げていたのだろうか。
身体は眠いのだが、新快速の人権バリバリのボックスシートにも関わらず、この区間ではぼくは眠れなかった。
仕方がないので石山駅で無駄に駅の写真を撮ってみたりしていたのがスマホの写真フォルダからわかる。
近江八幡から能登川を行く時に、車窓から田んぼが見えた。
その田んぼの中を日傘を差しながらゆっくりと歩くお姉さん(関西においてはどんな高齢の女性でも「お姉さん」と呼ばなくてはならない)が二人いた。
朝っぱらから日傘を差して腰を曲げながら田んぼの中をゆっくりと歩く生活を、ぼくはとても上等に思った。これは一つの幸せの形だな、と感じた。東の空から差し込む太陽の暖かさが心地よかった。
電車が米原へと到着した。
次の乗り換え電車は豊橋行きだった。大垣乗り換えを経由せず、もちろん名古屋でも降りず、直通で豊橋まで行ってしまう神のような新快速だった。「ほぼ新幹線みたいなもんだな」とぼくは思った。
ただし、米原~大垣~名古屋~豊橋という滋賀~岐阜~愛知を一気に横断するその距離の代償は「時間」だった。この区間の運行時間は優に二時間を越える。
二時間をこの空腹状態で過ごすのは地獄以外の何ものでもないと思ったぼくは、琵琶湖線が米原駅に到着すると元気に電車を降りて駅の探検を始めた。秋田のなまはげのように「駅そばはいねがー、駅そばはいねがー」とさまよいはじめたのだ。
駅の中には駅そば店は見つからなかった。ひょっとしたらあったのかも知れない。けれどぼくには見つけられなかった。それはそれで縁がないのだ。仕方ない。
ぼくは改札を出て駅前の路上に出た。
米原駅は、新幹線も止まるような滋賀県のターミナル的な駅である。さすがに駅前にはそば屋の一つや二つあるだろう。そば屋がなかったとしても、マクドナルドぐらいあるだろう。
そう思って駅前に降りたってから愕然とした。
何もなかった。
逆方向を見ても、何もなかった。
ちょっと待てよ、こんなんで新幹線停めていいのか!?と激怒したくなるほどに何もなかった。
少し歩いたところに土産物屋があったので、そこで何かしらの食料をゲットできるのではないかと思って立ち寄ってみたが、なぜかそこはケーキ類が充実したスイーツショップだった。
「今はケーキではねえんだよ」と心の中で呟いた。
結局そこで「米原水」と書かれた謎のミネラルウォーターが売っていたので、それだけを買って店を出た。米原水って何だよ。「この水には特殊な力が宿っています」とかいって法外な値段で水を売るようになったらヤバいムーヴメントの始まりだからな、と思いつつも100円程度の値段だったのでヤバいムーヴメントとはあまり関係なさそうなので買った。
結局駅そば店らしきものも発見できなかったので、駅ナカにあったコンビニでおにぎりを一つ買って、米原水と共に豊橋行きの電車へと乗り込んだ。
もはや当たり前のようにボックスシートで人権を確保すると、コンビニおにぎりを食べながら米原水を飲んだ。
ムカつくことに米原水がかなり美味かった。まろやかなのにすっきりとした味わいの水で「何だよ米原水!うめえじゃねえか!」と思った。
おにぎりを食べながらスマホで豊橋駅の駅そば情報を調べた。どうやら豊橋駅には「壺屋」という駅そばがあるらしく、そこのきしめんがなかなかに美味いという情報を手に入れることが出来た。
豊橋では絶対にきしめんを食べる。絶対に、だ。
そう強く思った。
それは絶対にねじ曲げられないことだった。
たとえ次の電車の出発時刻が迫っていたとしても、絶対に豊橋できしめんを食べる。
「ねじ曲げられねえんだ・・・・・・!自分が死ぬことと・・・・・・博打の出た目はよ・・・・・・!」
と言ったのは赤木しげるだが、それぐらいの勢いでぼくの中では豊橋できしめんを食べることはねじ曲げられないことになっていた。
絶対にきしめんを食べてやるんだ・・・・・・!
そう思いながら本日のパワプロを少しやっていたら、気付かない内に熟睡していた。
豊橋までは一気にワープしてしまった。
[豊橋~浜松]
ボックスシートでの快適な睡眠によって豊橋にワープしたぼくは、少々ギラついていた。本当にお腹が空いていたからだ。
京都駅で寸前のところで駅そばを逃し、米原駅ではその「何もなさ」に面食らった。
森進一のヒット曲「襟裳岬」の中に「襟裳の春は何もない春です」という歌詞があるが、米原の秋も何もない秋です。
とにかくここで何とかきしめんを、と思ったぼくは、獲物を狙うジャッカルのようにギラつきながら豊橋の駅そば「壺屋」を探した。幸いにして次の浜松行きへの電車の乗り換えには15分ほどあった。急いで食べればその乗り換えに間に合うのだ。
豊橋は駅としての規模がかなり大きく、駅ナカに小さなフードコートみたいなものもあった。このフードコートの中に「壺屋」があるのかなと思って見てみたが、そこにはなかった。
「壺屋がねえんならここには用はねえよ!」と思いながら駅ナカを歩くと、駅の一番スミに「壺屋」はあった。
「"約束の地"はここか・・・」と感慨に耽った。
店に入ると、食券券売機の前で知らないおっちゃんが店員と軽くモメていた。
「大盛りは何グラム増なのか」を聞きたいおっちゃんと「大盛りは半玉分増なので何グラムとかはわからない」という店員の小競り合いだ。
「グラム数がわからなければ大盛りは買えない!」と声を荒げるおっちゃんに「じゃあ買うな」というツッコミを入れたかった。そういうこまけえことを気にする奴は駅そばにくるな、と。言いたかったけれど我慢して、じっと待った。
おっちゃんは券売機に現金を入れてからも再度店員を呼んでメニューの説明を求めたりしていた。
それをここでやるな!はよせい!
思ったけれど言わなかった。
5分ほど待ってやっとぼくが券売機で食券を買える番になった。
迷わずにノーマルきしめんをチョイスする。おっちゃんに「食券買うのなんて5秒だよ!おい!」と言ってやりたかったがもちろん言ってない。
この時点でぼくの頭の中では二つの選択肢が浮かんでいた。
(A案)もしもそこまできしめんが美味くなかった場合には、味わうことは二の次で、とにかく完食スピードを重視。次の乗り換えに間に合わせよう。
(B案)万が一きしめんが美味かった場合には、乗り換えに遅れるのもやむなし。身体全体できしめんの悦びを享受しよう。
採択されたのは(B案)だった。
こちらがその「壺屋」のきしめんである。
380円。極めて良心的な値段のこのきしめんは、めちゃくちゃ美味かった。これまでの人生で食べてきた数多の駅そばの中でも三本の指に入るのではないかというぐらいに美味かった。ぼくは即座に全神経を集中しながら目の前のきしめんと対峙する選択をした。
個人的な好みでいくと、名古屋駅に複数あるきしめんの殿堂「住よし」、ここもきしめんの中では相当上位にランクインするのだが、それをあっさり抜き去っていった。きしめんに関してはこの豊橋の「壺屋」が最強だ。あくまでも個人的な好みであるが。
名古屋駅の「住よし」は、関西人でもそれなりに食べられると思う。つゆは黄金の関西風ダシに近いからだ。
しかし、この「壺屋」のつゆを見てほしい。
関西人が見たら発狂しそうなほどの醤油の黒さである。
これはきっとしょっぱいに違いない。味はきっと優しくない。
何かしらの失敗をした時に「自己責任って言葉、あなたの辞書の中に入ってる?」と聞いてくる上司ほど優しくない。絶対にそうだ、と思ってつゆを一口運んだ瞬間、
「お前バカヤロー!今回お前の尻拭いでおれがどんだけ苦労したかわかってんのか!ったく、今回だけにしてくれよ!でもな、お前にはそうやって面倒かけられても何とかしたくなるような魅力があるんだよな。だからついついおれも・・・まあやめとくか!こういうのは説教臭くなっちまうからな!」という上司のような優しさがあった。強さの中に優しさがあった。
麺を一口啜る。
先ほどまでの流れでぼくの頭の中に赤木しげるが未だに鎮座していたので、「きたぜ、ずるりと」というセリフが浮かんだ。
醤油の効いたエッジのあるつゆ。それを引き立てる甘すぎない刻み揚げ。そして豊穣の味わいのきしめん。
ああ、おれのアンコはそこにある。
全てがパーフェクトだった。
ぼくは一口一口を噛みしめながらそれを味わった。本当に美味しかった。
店を出た時には時刻は乗り換え電車の発車1分前で「ぎりぎり間に合うかな」と思ってホームまで走ってみたが間に合わなかった。走ってホームについた瞬間にその電車は徐々に加速を始めて走り去ってしまった。「今日は色々とすれ違う日だな」とも思ったが、それでも良かった。先ほどのきしめんを急いで食べるぐらいならば電車を一本乗り過ごすことをぼくは甘受したかった。
だがしかし、とも思った。
今こうして文章として「豊橋駅の"壺屋”のきしめんがめちゃくちゃ美味い」と書いているが、ここには大いなる補正がかかっていることをぼくは知っていた。
もしも読者の誰かがこのきしめんを食べに行って「そんなに美味くねえじゃねえか!フクシマあいつ嘘つきやがって!」となる可能性も大いにある。
この時のぼくは腹が減りに減り、そのきしめんを楽しむのにこれ以上ない状態がすでに出来上がっていたのだ。そういった「美味い補正」があったのは間違いない。
ぼくは10年以上前に訪れた旭川のラーメン屋「梅光軒」のことを思い出していた。
あれはまだぼくが26歳ぐらいの頃のことだった。
ぼくはまだ京都に住んでいた頃なのだが、京都から青春18きっぷを使って北海道を目指したことがあった。北海道に友人の田中くんが住んでいたからだ。
色々あって、旭川に到着した時には二日か三日ほど、ほとんど飲まず食わずの状態だった。
ちなみに二日か三日ほど飲まず食わずでもあったが、同時に風呂にも入っていなかったので、この時にはなかなか香ばしいスメルを漂わせていたはずだ。それは大変に申し訳ない。
旭川でたまたまタバコを買うために立ち寄ったタバコ屋の店員に「この辺で美味いラーメン屋ってどこですかねえ」と尋ねたところ、「梅光軒なんかが有名ですよ」と教えてくれた。
そして行ってみて、食べてみた。
衝撃だった。「こんなに美味い食い物が世の中にあるのか」と思うぐらいに美味かった。
濃いめの醤油スープに中太のちぢれた麺が絡み合って、それはまさに彼岸の食べ物のように思われた。
もちろん、ここには間違いなく「飲まず食わずの飢餓状態が味を補正している」という部分はある。
その数年後にそういう飢餓状態ではない時に「梅光軒」を訪れたことがあるが、確かに美味いことは美味いのだが、そこまで悪魔的な美味さはなかった。
食べ物の「美味い・不味い」の判断は、食べる側のコンディションによるものも大きいのだ。
ぼくはまたかつてのあの梅光軒のラーメンのように「美味えっ!美味えようっ!!!!」と一心不乱に麺を啜る機会がいつか訪れないかと十年以上ひそかにずっと期待していたが、まさかこの瞬間にそれが訪れるとは思ってもいなかった。
とにかくぼくは生き返った。九死に一生を得た。
まだほんの少し残っていた米原水で喉を潤しながら次の電車を待った。
そうだ、ここからは地獄の静岡ロードが始まるのだ。分け入っても分け入っても静岡、のあの静岡県だ。
しかもここからは基本的人権が剥奪される。ここまでのボックスシートの快適な旅から、ロングシートで隣の人に遠慮がちに身体を小さく折り畳む苦難の道のりが始まるのだった。
「せめて人が少ない車両に行こう」と思ったぼくは、階段近くのまん中の車両を避けて一番端の先頭車両のところで列車を待った。
列車は10分ほどするとやってきた。浜松行きの普通列車だった。
列の先頭に並んでいたぼくは、車両に乗り込むとすぐに一番先頭の操縦室の横にある二人掛けの横並びの席に座った。ここならば相当混雑してこない限りは横に人が座ってくることもないだろう、と思ったからだ。
考えが少々甘かった。
列車の先頭車両、それも操縦室の真横の席は「鉄ちゃんホイホイ」であることを忘れていた。
しばらくするとすぐにその席の周辺には鉄分の高そうな方々がわらわらと集まり、ぼくはその鉄分の高そうな方々に囲まれることとなった。
よく考えればすぐにわかることなのに、とぼくは思った。
様々な「テツ」と呼ばれる鉄分が高めの方がいる。乗りテツ、撮りテツ、模型テツなどなど。
その中でも乗りテツの方々は先頭車両の操縦室横の席周辺に集まるというのを、ぼくはこれまでに「タモリ倶楽部」などを見て知っていたはずなのに。タモさんや故原田芳雄氏などが先頭車両の操縦席の真後ろから電車の運行とともに流れて行く正面からの景色を眺めながら恍惚の表情を浮かべていたではないか。
仕方がないからもう浜松まではテツの方々と共に参ろう、とぼくは腹を括りながら、先ほどの「壺屋」のきしめんの味を思い浮かべてぼくはぼくで恍惚となっていた。
電車はゆっくりと浜松を目指した。
(第五話に続く)
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