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Piano For Train (5) 復路:浜松~静岡~興津~富士

ここまでの話
Piano For Train (1)
旅の始まり~往路:京成小岩~上野~熱海
Piano For Train (2)
往路:熱海~沼津~島田~浜松
Piano For Train (3)
往路:浜松~豊橋~大垣~米原~京都
Piano For Train (4)
復路:京都~米原~豊橋~浜松

[復路:浜松~静岡]

 電車が浜松へついた。ここから本格的に地獄の静岡県がスタートする。
 乗り換え時間はそんなになかった。

 ぼくはやって来た電車に乗り込んで座席を確保した。車内にはまだ誰もおらず、日差しが電車の中に差し込むのが綺麗だったので写真を一枚撮ってしまった。

 撮ってから「そう、これがロングシートなんだよ」と思った。空いている時にはこれぐらいののどかさだし、基本的には昼の時間帯の静岡はそんなに混雑していない。これが朝のラッシュ時の東京ばりに混雑していた上でこの長大な静岡の面積を鈍行列車で行かなくてはいけないとしたら本当に地獄だ。
 つい面白おかしく魔の静岡県とか地獄の静岡県とか分け入っても分け入っても静岡県とか言ってしまうが、静岡はのどかで本当に良い。
 居酒屋で生ビールを注文した時に「やらまいか!」と言われて「おいしょお!」と答えなくて良ければなお良い。

 この写真では「はままつ」のプレートが見づらいなと思ってもう一枚写真を撮った。ほら、はままつ。

 電車が発車する時に浜松在住の友人の鈴木さんがまさかいないだろうなと思って周りを見渡したが、もちろんいなかった。残念。

 浜松から静岡までは約1時間強。17駅の行程だ。走行時間が一時間を超えて、停車する駅の数が20駅前後になってくると強敵感がしてくる。そりゃあ強敵だよ。そう、ここは魔の静岡なのだから。

 浜松を出て一つ目の駅が天竜川という駅なのだが、天竜川駅とその次の豊田町駅との間を流れる天竜川を渡るときにぼくはいつも少しテンションが上がる。
 新幹線で渡るときとは単純に大きな川の上を渡るだけなのだが、この鈍行列車で渡るときには川の中洲の上を通る。なかなか大きな中州で「ここなら住めるな」と思ってしまう。今回も「ここに住んだら楽しいかなあ」などと考えてしまった。

 ここからは磐田とか掛川とか藤枝といった、ぼくの頭の中ではサッカーと結びつく名前が続く。
 ぼくたち世代は子供の頃に「キャプテン翼」という漫画が流行っていたので「静岡県と言えばサッカー」といった思い込みがある。作者の高橋陽一氏はぼくの地元の東京江戸川区の隣の葛飾区の出身のはずなのだが、やはり彼にも「サッカーと言えば静岡県」という思いがあったのだろうか。「キャプテン翼」の舞台は静岡県南葛市という架空の地名なのだ。
 他にも「トシ、サッカー好きか」でお馴染みのサッカー漫画「シュート!」も静岡県の掛川が舞台になっている。

 こういった思い込みがあるので、静岡出身の同世代の人に会うとついつい「やっぱり子供の頃ってサッカーやってました?」と聞いてしまうのだが、「やってた」と答えてもらえる確率は大体50%弱ぐらいだ。サッカーをやっていない静岡の人も当たり前にたくさんいるのだ。

  ただ、ぼくの個人的な希望を言えば、静岡の人はみんな若い頃にサッカーをやっていてほしい。山形県の天童市の人もみな異常なレベルで将棋が強くあってほしい。そういうことでこっちに「やっぱそうなんだ!」と思わせてもらいたいのだ。
 もしもぼくが静岡県出身だったとして、ぼくのような鬱陶しいやつに「ねえねえ、サッカーやってたんですか?」なんて聞かれたら、
 「ボールは友達、とまでは言わないけど、やっぱり苦しいときも嬉しいときも、"あいつ”が近くにいたかな」
 ぐらいは言うと思う。
 そんなウザい質問をしてくるやつにはこれぐらいテキトーな答えでいいのだ。嘘でもいいのだ。

 広大な静岡県を鈍行列車でえっちらおっちらと横断しながら、全ての高校サッカー部でチョーシこいた先輩が後輩に「○○、サッカー好きか?」と問いかけていますように、とぼくは祈っていた。


 浜松~静岡間でのもう一つの川のハイライトは大井川だ。金谷駅~島田駅の間にある。さっきの天竜川同様に大きい川だ。
 渡るときには「お、大井川きたぞ!」とテンションを無理矢理上げる。うん、上げるんだよ。上げとかないとやってらんないんだよ。


 あのねえ、何べんも言うけど、静岡、長いのよマジに。こういう風にして何かしらの楽しみを見つけていかないとそう簡単には攻略できないわけよ。ホント、静岡ナメてるとヤバいよ。

 川の写真?ないよ。この時は心を無にしていたんだから。

 
 そのように数十分に一度やってくる「川渡りタイム」の時に無理矢理テンションを上げつつ心を無にしつつ頑張っていたら、電車は静岡駅についた。
 浜松~静岡間はなかなか難易度が高いなあと改めて思った。


[静岡~興津]

 静岡駅につく少し前にスマホで乗り換え案内を調べていた。
 スマホが言うには「今オメーの前に興津行きの電車が発車待ちしてると思うがそいつには乗るな。そいつを見逃して次の電車に乗れ。次の電車は富士行きだから、それでとりあえず富士まで行ける」とのことだった。

 これはこうした鈍行列車旅のあるあるなのかもしれないが、これは「興津行きの電車に乗って終点の興津で次の電車を待っていたら次の富士行きの電車が興津にやってくるので、結局同じこと」というやつである。
 スマホの乗り換え案内は「ねえ、ここまで大変でしたでしょうしなるべく乗り換えは少ない方が良いでしょ?ほら、ここの静岡駅でゆっくり一息ついておくんなさいよお」という具合になるべく乗り換え数の少ないものを提案してくる。
 問題ない。乗り換えも辞さない。いいのだ、この目の前の興津行きの電車に乗れば。
 「わたしは一向にかまわんッッ」
 ぼくの中の烈海王が言った。

 ぼくは死刑囚ドイルと対峙した時の烈海王の心持ちで興津行きの電車に乗った。

 静岡から興津へはたったの四駅、ものの15分ほどでついてしまう。
 
 途中に清水という駅があった。ぼくはこの清水駅には少し思い出があった。

 数年前、こうやって青春18きっぷと鈍行列車を使って京都~東京間を移動している時の帰り道、清水で途中下車して一泊したことがあったのだ。
 
 これはやむにやまれぬ一泊だった。
 
 その日はなかなかに大型の台風が日本にやってきていて、JR東日本の電車は夕方までに早々に計画運休を決めていた。
 ぼくもこの「魔の静岡ロード」を鈍行列車で走りながら、その電車はもうすぐ止まる、絶対に東京まではたどり着けない、ということはわかっていたし「途中下車して泊まるならどこの街だ?」とずっと考えていた。
 「テキトーに泊まるならばそれなりの規模の街を」ということは第二話でも書いた通りだが、この清水の街は「ちびまる子ちゃん」でお馴染みの街だ。あの国民的マンガの舞台になった街はそこまで寂れてはいないだろうという憶測のみで途中下車した。
 その憶測はそれほどはずれていなくて、清水はまあまあ栄えていた。新幹線が停まらない駅なのにこれほどまでとは。米原はもうちょいがんばれ。

 その時にぼくが清水駅に降りた時間には台風はまだ中国~関西地方でぶいぶいいわせている時間であり、この東海地方にはやってきていなかった。
 だが「これからえげつない台風がやってくるぜ」というとき独特の前兆モードに入っていて、空は怪しかったし風もびゅーびゅー吹いていた。
 清水駅近くの安いビジネスホテルにチェックインしたぼくは荷物をホテルに預けると、財布とスマホだけを持って外をうろうろした。
 
 清水駅は駅のすぐ近くに海があった。
 台風の本番がやってきた時には荒れ狂う海を見に行こうと思っていたぼくは、その下見がてら海まで行ってみた。
 海には市場があった。正午も過ぎた時間帯ではほとんどの店がすでに閉まっていたが、何軒か開いている店もあり、ぼくはそこで海苔とネギトロとタチウオのタタキを買った。コンビニで小さいサイズの醤油を買って、これでホテルの部屋で一杯やろうと考えた。

 まだまだ台風は本格化しなかったので、ぼくはそれらのツマミを持ってホテルに戻って一人宴会を始めた。
 ネギトロを海苔で包んだやつは当たり前に美味かったが、予想以上にタチウオのタタキが美味かった。
 タチウオという魚は淡泊そうに見えて脂が乗りまくっている時期は良くも悪くも「ラードでも食ってんのか」というほどにぎとぎとしている。たくさん食べるとすぐに飽きがきてしまうのだが、この多くの薬味と合わせたタタキはその脂を薬味が爽やかに変えていていくらでも食べられた。率直に言って絶品だった。

 それらを食べ終わり、いい感じに酒も回ってきたころ、外は嵐の様相を呈し始めていた。

 窓の外がびゅーびゅーと不穏な音を立てる。

 どっどどどどうどどどうどどどう

 いよいよ来たぞ!嵐が!

 そう思うとぼくは外に飛び出さずにはいられなかった。

 ホテルのフロントの人には「すみません!ちょっとコンビニに行くだけですんで!」と言ってホテルを出た。一目散に海の方に向かった。

 海はすごかった。
 荒れ狂っていた。
 凶暴とはこのことか、と思った。

 こういう状況では傘なんて何の役にも立たないことを知っていたぼくはもちろん傘など持って来ていなかった。雨風の当たらない屋根のついた通路からその嵐を眺めていたが、そのうちに「どうしてもこのすさまじい嵐にもみくちゃにされたい」という欲求がやってきて、段々それにあらがえなくなってきてしまった。
 屋根のついた通路を出て海の方に近付いていく。頬に横殴りの雨が打ちつけてきて痛いぐらいだったが、ぼくは酒も入っていたことも手伝って異常にテンションが高まり「風よ吹けー!雨よ降れー!全てをなぎ倒せー!」などとどこからどう見ても頭のおかしな人のようなことを叫んでいたと思う。

 台風などの自然災害は、人間たちに甚大な被害をもたらすことがしばしばあることはわかっている。
 けれど本当に申し訳ない、ぼくは台風が大好きなのだ。
 普段東京にいるときに台風がやって来たときには必ずカッパを着て長靴を履いてフル装備で川に行く。「こんな台風の日に外をほっつき歩いているバカがいたら"チミチミ、危ないからおうちに帰りなさい”と言いに行くためのパトロールだ」という口実にしているのだが、もちろん台風の日に外をほっつき歩いているバカはぼくぐらいしかいないので、そのような注意をしたことはこれまでに一度もない。
 いつもは川で台風を堪能していたのだが、この日は海だった。海の台風はやはり川の数倍迫力があってものすごく楽しかった。

 かなりずぶ濡れでホテルに戻ったのでフロントの人に訝しがられたが「いやあ、すごい嵐ですね」と言って何とかごまかした。
 あれはなかなか良い体験だったなと思い出していると、電車は清水駅を通過した。
 その時にぼくが泊まった駅前のビジネスホテルがまだあったし、ぼくがはしゃいでいた海も、線路を挟んでホテルとは逆側に見えた。

 間もなくして電車は興津駅についた。そこが終点だったのでそこで次の富士行きの電車に乗り換えなくてはならなかった。
 少し時間があったので駅の写真をぱしゃぱしゃと何枚か撮って遊んでいた。
 こういった写真たちだ。

 このあたりのほとんどの駅は海のすぐ近くを通る。ぼくは魚釣りが好きなので、どうしてもこういう海沿いの駅に来ると「釣り竿をもってくれば良かった」というようなことを考えてしまう。
 実際に釣りをしようと思ったら釣り竿以外にも色んなものを持ってこなくてはならないので、そんなに気軽には「途中下車して魚釣り」とは出来ないことはわかってはいるのだけれど。

 少し待っていたら富士行きの電車がやってきた。


 [興津~富士]

 興津から富士へもそれほど遠くはなかった。興津、由比、蒲原、新蒲原、富士川、富士の6駅。約20分ほどの行程だった。
 この区間は本当に海の近くを走るので、先ほど言ったような「釣りに来るならどこだろう」の妄想をずっと繰り広げていた。
 
 ぼくは車を持っていないし、そもそも車の免許を持っていない。若い頃にオートバイの免許を取ったがそれっきりだ。ずっとオートバイにも乗っていないので今は免許証は完全に身分証代わりとなっている。
 この「車を持っていない」というのが良かったなあとぼくは思っている。
 魚釣りという趣味にはほぼ車が必須みたいなところがあって、車を持っている人と持っていない人とでは魚釣りの選択肢の量が圧倒的に違うのだ。
 ぼくはそれが良かったと思っている。

 もしも車を持っていたら、すさまじい勢いで釣りに行ってしまうと思う。多分車の中に釣り道具をたくさん積んでおいて、いつでも釣りに出かけられる仕様にしてしまうだろう。
 「それはそれで良いことなのでは?」と思う人もいるだろうが、ぼくの本職は何度も書いているがピアニストなのだ。基本的には毎日練習をしなくてはならない。一か月か二か月に一度だけ、練習も何もかもほっぽらかして釣りに行く。そのペースがぼくには合っている。もしも車を持っていたらそのペースが二週間に一度になり、その内一週間に一度になり、その内三日に一度ぐらいになってしまうのは目に見えている。
 そうなりたくないのだ。
 やっぱり毎日練習をして、そのご褒美でたまに釣りに行く。それぐらいの距離感がちょうどいい。

 由比や蒲原あたりは駅からすぐに海に行けそうだから、一度ここのサーフで一日中ルアーを投げたりしたいな、などと思いながら車窓を眺めていた。

 
 電車が富士についた。

 ここで電車を乗り換えて、今度は熱海までだ。
 富士から熱海までは全部で8駅。一時間弱の行程だった。この時点で午後1時45分くらいだった。

 富士駅には「富陽軒」という駅そば屋があることがそこまでの電車内でのスマホによるリサーチによってわかっていた。乗り換え時間も結構たっぷりあったので、ここで本日二軒目の駅そばをいっとこうと考えたぼくは、富士駅を降りてからホームの中をてくてくと歩いて「富陽軒」を探していた。

 しかし、どこを探しても「富陽軒」はなかった。ひょっとして改札の外かなと思ったぼくは改札の外にまで出て探してみるもなかった。おかしいな、と思って再度スマホで検索してみると、それは見延線という電車のホームの中にあるということがわかった。ぼくのいた東海道線のホームではなかったのだ。

 しまったな、と思ってもう一度改札の中に入り見延線のホームを目指した。
 見延線のホームはすぐに見つかり、階段を降りていくと「富陽軒」が見つかった。この時点で午後1時50分だった。
 良かった、これで駅そばが食べられる、と思って「富陽軒」に近付いていくときに、割烹着を着たお姉さん(ここは関西圏ではないが、どのような年齢の女性でも「お姉さん」と呼称するしきたりはまだぼくの中で継続されている)とすれ違ったときに何となくイヤな予感がした。

 「富陽軒」の前まで来てみたが、そこは無人だった。営業時間は14時までとなっていたのでぎりぎり10分前滑り込みセーフだったはずだったのだが、店は閉店していた。

 おそらく、先ほどすれ違った割烹着を着たお姉さんがこの「富陽軒」の店主だったのだ。
 14時閉店なのだが、客も来ないし10分早いけどもう閉めちゃえ、ということで閉めたのだと思う。後ろを振り返るとそのお姉さんの後ろ姿が小さく見えたので、そこまで走って行って「すみません!まだ10分前じゃないですか!店を閉めずにぼくに駅そばを食べさせてください!食べさせてくださいよう!」と懇願しようかなどということが一瞬頭をよぎったが、もちろんそれはしなかった。今日はタイミングの合わない日なのだ。そういう日もあるのだ。
 あるいはぼくが富士駅で降りてすぐにまっすぐにこの見延線のホームへと向かっていたならば、本当にぎりぎりのところで間に合ったかもしれない。しかしそれは叶わなかった。こうしてタイミングがずれるのも面白いし、あのお姉さんも10分早く帰れたのだからこれはこれで良しとしよう、と思った。

 ちょっとだけ悔しかったので、駅そばを食べれはしなかったのだが店の外観だけ写真に収めておいた。

 ほら、営業時間11:00~14:00って書いてある。

 若い頃にインドを旅行したときに、チャイ屋の屋台を一日手伝った時のことを思い出した。
 インドで毎日だらだらと過ごしていたぼくは、街のはずれにあるチャイ屋の屋台のオヤジと少し仲良くなった。毎朝ぼくがガンジス河で沐浴ごっこをしてから必ずそのチャイ屋に寄っていたからだ。「サモサ」というジャガイモをカレー味に味付けして餃子の皮みたいなやつで包んで油で揚げたやつがまあまあ美味しくてめちゃくちゃ安かったので、いつもサモサとチャイを頼んで朝食にしていた。多分そのセットで50円ぐらいだったと思う。

 いつも「なんだお前日本人か」とか「ここまでにインドのどこの街を回ってきたんだ」なんていう他愛もない話をそこのオヤジとだらだらとしていたのだが、ある日そのオヤジが「お前明日暇なら屋台手伝うか?日本人の客が来たときにはお前が通訳するんだ。結構日本人も来るしな」と言ってきて、ぼくは毎日鬼のように暇だったので一日だけバイトをすることにした。なんだか面白そうだったし。

 約束した集合時間は確か朝の7時ぐらいだったと思うのだが、そのオヤジはやってこなかった。「インド人はかなり時間にルーズ」ということをぼくもわかっていたので、いつも屋台があるその場所でぼーっと待っていたら、一時間ほど遅れてオヤジがやってきた。もちろん「遅れてすまん」なんてことは言わない。義務と権利のように当たり前に遅れてきた。

 で、数時間そのオヤジと一緒に屋台で働いた。もちろんぼくは調理は出来ないので、お金の受け渡しとかチャイをプラスチックの容器に注ぐとかサモサを紙に包んで渡すとかそういうことをやっていただけだ。確かに日本人も何人かやってきて「あれ?日本の方ですか?なんで屋台で働いてるんですか?」などと聞かれて「いやなんとなく。面白そうだったから」などと答えたりしていた。

 昼も近づいてきたときにオヤジが屋台を片付け始めたのでぼくが「昼休憩ですか?」と聞いたら「いや、今日はもうおしまいだ。よく働いたから疲れた」とオヤジは答えた。
 「全然働いてねーだろ、ちょびっとやっただけじゃんか」とぼくは思ったのだが、オヤジはめちゃめちゃやり切った感満点のすがすがしい顔をしていた。別れ際にぼくにバイト代をくれたが、日本円で100円ぐらいだったと思う。もうちょっと稼いだだろ、今日、とも思ったが言わなかった。

 その時に、ぼくらの感覚は「働き過ぎ」なのかもな、と思った。

 営業時間の前から準備をして、営業時間を過ぎても残業をして。そういうことはわりと「当たり前」のことなのかなとぼくも思っているフシはあったのだが、インドのオヤジの感覚ではそうではなかった。開始時刻は遅れても良いし、閉店時間も早めに切り上げても良い。
 それは大げさに言えば「おれたちは働くために生きている」のではなくて「生きるために働いている」という認識の違いなのかもしれない、と思ったのだ。

 だから「富陽軒」のお姉さんが10分早めに店を閉めても何ら問題はない。

 お姉さんは生きるために働いているのであって、働くために生きているのではないからだ。

 また富士駅に来たときには今度こそまっすぐに見延線のホームを目指してここの駅そばを食べよう。

 ぼくはそう思って富士駅をあとにした。

 乗り換えた電車は熱海を目指した。長い静岡県がもうすぐ終わろうとしていた。


(第六話(最終話)に続く)

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