仕事辞めて気づいた、人が生きていく上で必要な三つの事。
こんにちは。
私は先日、会社を退職したのですが、一週間ではやくも精神的に参ってしまいましたよ。
これまでふつうに大学に行き、浪人もせず、とくに就職にも困らずに、ストレートで会社に就職していて全然気付かなかったのですが、退職すると若者であっても本当に、独居老人みたいな暮らしになってしまうんですよ!!
っっっと、いきなり分からない表現をしてしまいましたね。
つまりですね。「会話の相手がいない」ということなのです。これにはいろいろ理由は考えられると思うのですが、ざっと挙げると以下のようになると思います。
●一人暮らし(高校とか大学で、結婚相手を見つけられないとなかなか難しいのではないでしょうか。)
●完全消費社会(昔の映画に出てくるようなプラプラしている人もいなければ、ゆっくり時間をつぶせるような場所も現代社会には存在しないように思います。あらゆる場面で、効率よく消費し、さっといなくなることが求められているように、思えてならないんですよね。)
●友達は働いている(当たり前ですが、自分ひとりだけ会社を辞めても仕方ないんですよね。ひとりでできることなんて限られてるし。もちろんそれなりに自力がある人は別ですが、わたくしめはか弱いひよっこですし。)
まあ、以上のような理由によってですね、人は簡単に孤独に陥ります。そして「孤独は万物の毒」と言われているように(勝手に言ってます)、「酒は百薬の長」であり、「人間万事塞翁が馬」であってですね・・・。
うん。ともかくも孤独はよくないんですよ。少なくとも教養のない人間にとっては。。。(昔昔、中島らもという人がいてですね。「教養があるというのは、ひとりで時間をつぶせる能力があるということ」という意味深な言葉を残していますね・・・。)
兎にも角にも、いくら教養があったからと言ってもですね、いつまでも世間と没交渉のままで生きていけるはずはありません。なんたって人間は「社会的動物」なんですから。どこかに社会性がないと持ちません、人格も意識も、何もかも。
というわけで「人が生きていく上で必要な三つの事」についての話なのですが、たぶんこの三つなんじゃないでしょうか。
●労働(労働なしで人間がどうなってしまうか、というのは意外に検討されてないポイントなんですよね。これが。みんな労働は嫌だ、休み最高、夏休み最高なんていって、いつまでも休みが続けばいいなんて言ってますけど、実際のところどうなんでしょうね。どうも労働に伴う苦労の側面ばかりに気を取られて、労働に伴う「会話」とかわずかながらの「社会のためになってる感じ」とかそれなりの「やりがい」とか「面白味」とか、そういう労働に伴う喜びみたいなものの側面を見落としているように思うんですね。それも普段は無意識に入っちゃってるから、意識としては上がってこない、見えないんですけど、実はそういう側面が普段の労働を成り立たせてるはずなんですよね。)
●家族あるいはパートナーあるいは友達(当たり前なんですけど、自分のホームグラウンドがないと人間、心の底から安心して眠ることなんてできやしないんですよ!不安になったり落ち込んだ気分になったりしたときに、傍らに誰かいる。このことの重要性は何度指摘しておいても足りないくらいです。最近はやたらひとりがいい、てな人が増えてるように思うんですが、それも帰る場所があってこそ。ホームなくした途端、アウェーばかりになっちまいますよ。)
●お祭りあるいはパーティーあるいは趣味あるいは飲み会、広い意味での非日常(人間定住していると、知らぬ間にストレスは溜まっていくようで、どこかで発散しないといけないんですよね。普段とは異なる価値観で、態度で人と接することができる場。こういう場なしで一体どうやって社会の秩序が安定化するんでしょうね。非日常があって初めて日常が成り立つ。反道徳があって初めて道徳が成り立つ。人々の日常にそういう場面があまりにも欠落しているから、今やそれを担っているのがYoutuberなのでは、とうがって見てるんですけどね。それにしても一方の役割を一方に押し付けて、という方法ではどうも十分にストレスは発散できないんじゃないですかね。ひとりの人間が両方の世界を体験する・経験することがやっぱり必要なんでしょうね。)
以上のようなわけで思った以上に長い文章になってしまいやしたわさ。
ここまで読んでいただきありがとうございました。