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福島県の熱意と私たちのこだわりが、この工場に結実しました。 | 株式会社羅羅屋 常務 北良明 様

きめこまやかなカスタマイズに対応する国内初のオーダーメイドランドセルのブランドとして、全国的に人気な「ララちゃんランドセル」を企画・製造する株式会社羅羅屋。

1974年の創業以来、累計150万人のお子様へランドセルをお届けしてきた本企業は、2012年より会津若松エリアに大規模工場を新設。
順調に事業規模を拡大しながらおよそ10年にわたって“モノづくり文化”の歴史ある土地に根ざし、地域の豊富な人材力を活かしながら事業を発展させてきました。

株式会社羅羅屋が福島県に新工場立地を決断した経緯や、福島県で事業を行う魅力について、株式会社羅羅屋 常務 北良明様にお話しをうかがいました。

株式会社羅羅屋について

──はじめに、御社の事業内容などをお聞かせください。

当社は埼玉県川口市で1974年に創業しました。創業時は販売会社でしたが、2000年には自社工場をつくり、まだ誰も手掛けていないオーダーメイドのランドセルづくりに挑戦しました。その後2012年には会津若松工場の操業も始まりました。

福島への立地を決めた背景


──新工場を、なぜ福島県に設置されたのでしょうか?震災後だったとうかがっています。

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2010年から11年にかけて、当社では第二工場の建設を考えていました。私も含めて当時の経営幹部は、できれば埼玉県内もしくは関東圏でと考えていたのですが、適した中古物件が見つからず、そんなとき、早急に増産体制を確立しなければならない事態になりました。世界的に有名な某企業から、OEM(他社委託製品)認定工場の審査をクリアすれば全面的に製造を任せたいというお話があり、結果的に審査にも通ってしまったのです。

社長から「福島県はどうだろう」と言われたのは震災のあった2011年の夏頃でした。最初は「そんな遠いところに?」と正直驚きましたね。しかし社長が、「テレビで震災後のニュースをみて、福島県では事業所、企業が撤退していくなか、若者をはじめ多くの方が職を失うなど非常にご苦労されている」と。現地の大変な状況を見過ごせないだけでなく、現地の方々の力をお借りして、当社も企業として一緒に成長できるのでは、と感じたんでしょうね。若い人材が長く一緒に働いてくれれば相当の技術力になる・・・と。それで、福島県の東京事務所にお声を掛けさせていただいたんです。

すると翌日、すぐ職員の方が訪ねてこられて、その後も本当に一生懸命働きかけてくださいました。数回視察にも行かせていただきましたね。それでも福島市近辺では良い中古物件が見つからず、他県も検討し始めていたとき「会津若松エリアはどうか」とお話をいただいたんです。そのときは会津若松には雪深い印象があったので、社内でも反対する声がほとんどでした。それでも、市の方があまりに熱心に勧めてくださるので、「もうここがだめだったら福島県は諦めよう」ということで、11月に社長以下役員5名で視察に伺うことになりました。

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数件の中古物件をまわった後、建設中の「河東町工業団地」にも案内されました。眼下に市街地を望む高台にあり、我々にとってはすごく大きな区画だったんですが、そこで職員の方から「中古物件を手直しするのではなく、社長の想い描いた夢工場を作りませんか。ここで日本中の子どもたちにランドセルを作ってあげてください」と言っていただいたんです。「働く人も若い人材を含め沢山いると思います。採用には絶対に困らせません」と。行政の方がここまで言ってくださるなんて、企業として我々を評価し、歓迎してくださるんだな、という思いで視察から帰ってきました。

その後、補助金のお話も持ってきてくださり、12月の半ばには会津若松市の室井市長様がわざわざ川口にまでご挨拶にみえたんですね。会津若松は我々にとって所縁のない土地でしたので不安ばかりが大きかったんですけれども、行政の方々の熱意ときめ細やかなサポートで、その不安も徐々に解消し、よし、会津若松でやろう!と決めたのが年明けに掛けてのことでした。

──実際の立地はいかがでしたか?当初懸念されていた交通の便や雪などは?

高台から眼下に市内を見下ろすような広々とした区画なので、工場にお客様が見学や購入の検討にいらしても、お子さん達が芝生を駆け回ったりできる工場になりました。開放的で新しく、作り手もお客様も気持ちよくいられる「夢の工場」が実現したと思います。

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心配していたアクセス性と降雪は、結果的にはまったく問題ありませんでした。この工業団地は磐越自動車道の磐梯河東I.C.から車で5分程と、アクセス性は最高なんです。雪だけは最後まで心配でしたが、実際は業務に支障が出るようなことは、ほとんどありませんでしたね。地元採用社員は冬場、雪が降っても全然平気な顔で通勤していて、私が積雪を心配していると「こんな雪くらいでどうかしていたら仕事になりませんよ」と笑われたくらいです(笑)。

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──工場を作る段階で補助金を使われたとのことですが、そのほか行政の支援制度などはあったのでしょうか?

はい。当社でもいろいろ調べて設備投資等の補助も受けましたし、県からもご推薦やご提案をいただいて、技術革新や競争力強化のための補助金なども活用させていただきました。

県からご紹介をいただいたトヨタ自動車さんの研鑽活動では、生産工程の見直しや、スタッフの動線などをおよそ1年間みっちりご指導いただきました。おかげさまで工場の工程内容、製造の時間等を見える化でき、事業の効率化、数値化がより明確にできるようになりました。これは非常に大きかったですね。

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福島県の人材の印象


──では人材のお話に移らせていただきます。求人状況はいかがでしょうか?

最初は20名くらいでスタートしました。最終的には100名程度を現地で採用したいと考えています。毎年10人程度増やしていく感じで、現在は80名と順調に増員も進んでいますね。

──製造や縫製はすごく根気のいる作業だと思いますが、福島の人材の印象は?

会津若松は漆・木綿の伝統工芸などの歴史がある土地ですし、モノづくりに長けていて手先の器用な人、実直で真面目な方が多い印象ですね。しかも最初にお話しさせていただいた通り、若い方も含めて本当に沢山の方が応募してくださいました。
川口では新卒採用なんて夢のような話でしたが、福島では、手先が器用だからモノづくりをやってみたいという若い方も多いです。地元の高校にご挨拶に行かせていただくとかなりの数の方が応募してきてくれますよ。そういうわけで会津若松工場では平均年齢がおよそ30歳なんです。職場全体に活気があり、将来を嘱望できる人材が豊富ですね。

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ですから、私たち経営陣のやるべきことは、若い社員達が伸び伸びと力を発揮できる職場環境をつくることだと思っています。最初は手探りでしたが、5年を過ぎた辺りから社員達も成長してきて、今では幹部に成長した社員が工場の運営を仕切ってくれるようになってきたので、それが一番嬉しいことですね。

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また、若いが故に誤算もありました。およそ3/4は女性社員で産休育休中ママが常に数名おります。子どもが増えるのは大歓迎ですが、貴重な戦力が一時的に欠けるため常に余剰人員を確保しなければならない状況もありますね(笑)。

時代の変化を捉え、福島とともに新しい可能性を拡げる

─今後企業としての展望などはございますか?

一番は少子化への対応ですね。ランドセル製造の技術を活かした他分野への進出、他商品の開発を模索中です。ランドセルの革というのは非常に丈夫でカラフルですから、大人向けのバッグや、例えばスニーカー等も考えています。なかでも、福島県の工芸品・特産物とのコラボレーション活動で新たなモノづくりも考えていきたいですね。

ランドセル事業についても、今後は子どもたちの成長に合わせた健康に寄り添う背負い鞄も開発したいですね。
現在は埼玉県川口市に本社がありますが、近いうちに会津若松市に本社を移し、福島を拠点として全国、世界に向けた縫製工場になりたいですね。

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──最後に、福島に立地を検討されている企業の皆様にメッセージをお願いします!

私たちも福島に来てから、県の皆様がたくさん気にかけてくださって、アフターサポートが本当に素晴らしいということを実感しています。福島に関心のある企業さんがいれば、自然も文化も豊かで人材豊富な県内に、一度足を運んでみてほしいですね。福島のために力を貸してくれる企業さんがたくさん集まればいいなと思っています。


──お忙しい中、貴重なお話しをお聞かせいただき、ありがとうございました。