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震災の記憶を未来につなぐ 交流の場を浪江につくる

福島県浪江町にある、「あの日」 の家。福島第一原発事故の影響で空き家となったこの家は、震災前にあった暮らしの記憶を今に残しています。

震災から13年経った2024年、「あの日」の家は地域住民や研究者が交流する場として新たにオープンしました。このプロジェクトを進めてきたのが、建築やまちづくりを学ぶ福島出身の大学院生たちです。福島での高校時代の経験を経て、東京から故郷に関わる2人の学生に、プロジェクトにかける思いを伺いました。


大学で学ぶ「建築」で福島に貢献

プロジェクトの中心メンバーは、白河市出身で、東京大学の大学院で建築学を専攻する冨井治弥(はるや)さん(白河高校卒)。冨井さんがこのプロジェクトをはじめたきっかけは、高校時代に利用していた白河市のコミュニティカフェ「EMANON」の青砥(あおと)和希さんから、「あの日」の家の存在と、その場所を交流拠点にする構想を教えてもらったことでした。

冨井さんは、それまで何度か被災地を訪れたときに、震災前にそこにあった生活を想像することが難しく「もやもや感」を抱いたことがありました。震災から10年以上の時間が経った中、当時の記憶を残している家に関わり、新たな拠点を作ることが、自分の「もやもや感」を解決してくれると感じました。また、大学で学んできた「建築」の知識を、故郷である福島で活かすことができることはとても貴重な機会でした。

「ぜひやりたい」。冨井さんは青砥さんに伝えました。

実は「あの日」の家は、冨井さんの高校時代の同級生の自宅。同級生は原発事故の影響で、浪江町から白河市に生活の拠点を移していました。浪江の家の中は震災当時のまま。同級生が過ごしていた部屋には、13年前に流行した漫画や小説が積まれ、クローゼットの中には子どもたちが当時着ていた服がきれいに畳まれたまま残されていました。

カレンダーは2011年3月のまま

冨井さんは「家族の思い出が詰まった空間から、突然離れなければいけなかった、という記憶を残す重要性を実感した」と振り返ります。

新旧が調和した空間を作る

冨井さんは拠点づくりにあたり、より多くの人が集えるように、もともとの家を残しながら、新たな建築を加えてスペースを広げることを考えました。まずは家主である同級生の家族からお話を伺い、「この家がどのように使われ、何が大切にされていたのか」を伺いました。

2024年夏から、東大の学生8名が浪江に通い、建設を進めてきました。冨井さんたちが着目をしたのが、「ウッドデッキ」。もともとの家で使われていたウッドデッキに新しい部材をつなげることで、ここにあった家族の生活を伝えたいと考えました。10年以上時が経った影響で、ウッドデッキの一部は朽ち果てて色褪せていたものの、使える材料を1つ1つ選び、新しいデッキを作りました。

また、「あの日」の家の特徴は、もともとの家に沿うように組み立てられた、足場。金属のパイプを自由に取り外すことができ、椅子にしたり作業台にしたりと組み替えるのが簡単なことから、建築に採用しました。足場の上には日よけの布をかけ、ウッドデッキ全体を覆う形にしました。9月に開催されたワークショップには高校生も参加し、家の中を見学したり、ウッドデッキや足場に座って冨井さんたちから建築にかけた思いを聞きました。

建築に「まちづくり」の視点を加える

「あの日の家」プロジェクトにはもう1人。福島県出身の東大の大学院生がかかわっています。冨井さんの後輩の星葵衣さん(県立福島高校卒)。大学院では都市工学専攻でまちづくりを学んでいます。

星さんは高校時代に部活動で放射線の研究を行っており、被災地を訪れて復興について学びました。その研究成果について、ワークショップでフランスの高校生に発信するなど世界に発信する機会にも恵まれました。高校時代の活動をきっかけに、東京大学に進学したあとも福島に関わる活動を続けたいという思いを持ち、葛尾村の復興を考えるインターンシップに参加したり、飯舘村に滞在して住民へのインタビューを行ってきました。

そんな中、「あの日」の家のプロジェクトに関わるメンバーを募集しているという話を友人から聞いた星さん。

「自分のふるさとである福島に関われるならぜひ参加したい」
とプロジェクトに加わりました。

冨井さんも星さんも東大の工学部・工学系研究科で学んできました。冨井さんや多くのプロジェクトメンバーの専門は建物を建てる建築ですが、星さんの専門は都市工学・まちづくり。まちづくりを学ぶ自分が加わることで、「地域とどのように関わりながら拠点を作っていき、作った拠点をどう利用してもらえるか」という視点を提供できると考えました。星さんは地域住民と一緒に拠点を作っていくという過程を大切にすることで、より豊かなコミュニティを生み出すことを目指しています。

この場所から描く未来

冨井さん、星さんはともに中通りの高校に通い、東京大学への進学を経て、浜通り・浪江町に関わっています。浪江町には今後様々な研究施設が立地することも計画されています。「あの日」の家をこれからどんな場所にしていきたいか、そして故郷福島への思いについて、お2人に聞きました。

冨井さん:浪江町に関わる様々な立場の人々が、誰でも利用できる施設を作りたいと考えています。現在、浪江町には震災前から住んでいた方々も移住者もいらっしゃいます。また今後は研究者の方も数多く浪江町にいらっしゃると思います。
震災の経験を学びつつ、これからの浪江町を考える人々が共に利用し、交流できる可能性のある場所にしていきたいです。
福島に帰省したり、プロジェクトの活動で福島に帰ったりしたときには、「東京で学んできたことを故郷にどう活かしていくか」ということを常に考えさせられます。心のなかには常に福島の原風景があり、故郷に貢献していきたいと考えています。

星さん:そこで生活する人々や関わりたいと考える人たちが、主体的にその場所をより良いものにしていけるような環境を作りたいと思っています。これからは町の人たちや研究者の人たちが自由に自分たちのやりたいことを実現できる場を作っていきたいと思っています。
親の転勤が多かったこともあり、福島県内のいろいろな場所で過ごしてきました。会津で生まれ、中通りの各地に住み、今浜通りに関わっていることで福島全体に愛着を持っています。自分が面白いと感じるプロジェクトを通じて、他の人々と一緒に楽しんでいくことで、福島に愛着を持つ人々を増やしていきたいと考えています。



探究の場を次世代に繋いでいく

冨井さんに「あの日」の家を紹介した青砥和希さんは、白河市で高校生のためのコミュニティカフェ「EMANON」を運営しながら、宇都宮大学地域デザイン科学部の特任研究員としても活動しています。

浪江町には福島国際研究教育機構(FーREI、エフレイ)など、様々な研究拠点が整備される予定です。青砥さんが研究しているのは、研究者と地域住民、高校生を含む地域の若者が交流し学び合っていくためにはどんなことが必要なのかということ。また自分自身が白河市で高校の探究活動に関わった経験を活かし、浜通りでも高校生の探究の場をつくろうと行動しています。青砥さんに「あの日」の家の価値や浜通りで進めている研究について聞きました。

青砥さんが所属する「ふくしまつぎのまなび研究会」のnote

青砥さんは「あの日」の家について、「震災前に普通に暮らしていた家族の生活を思い出させてくれる重要な場所」と話します。「あの日」の家のつくりは、日本中にある一般的な住宅。だからこそ、ここを訪れる人々はまるで自分の家のように、当時あった日常を想像することができ、震災を自分と結びつけて考えることができると語ります。

青砥さんが企画した「あの日」の家でのワークショップのグラフィックレコーディング
=宇都宮大学提供

中心メンバーの冨井さんは、青砥さんが運営しているコミュニティカフェに高校時代から通っていました。白河市で関わった高校生が大学院生となり、今度は浪江町で若者から地域住民が集う場作りを行っています。そのことについて青砥さんは「これまで高校生の探究に関わってきて、自分たちの思いや熱量が冨井くんたちに伝わったことが嬉しい。次の世代にはぜひ自分たちを超えてほしい」と話しました。

白河と浪江。福島と東京。様々なつながりが交差し生まれた、「あの日」の家。大切な記憶を残すこの場所からどんな未来が生まれていくのでしょうか。

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