何を見て/何を感じて/何を読んで/どう思ったか,が結構気になっている話
論文がよく採択される先生を見ていて,「私と彼の間にはどういう違いがあるのだろうか」と考えていたけど,やはり私と彼とではストーリーテリングの力が全然違うような気がした.しかし,それは身につけようと思って身につくものである感じがしなくて,その人が今まで何を見て/何を感じて/何を読んで/どう思ったか、に強く依存してる気がした.
私はわりと他人に対して「その人が今まで何を見て/何を感じて/何を読んで/どう思ったか」みたいなのが気になってしまう性分である.そしてそれは,その人が書いた論文を読むと伝わってくる気がする.だから論文を読んでると,会ったこともない人に関して詳しくなったような気がする.それは私にとって面白いし,良いことだと思う.
誰かが何かに対して熱心に語っているブログなどでも,それを感じることがある.最近(といっても数年前か)Googleの採用試験を突破した人がGoogleに入った経緯をブログに書くのが流行った.私はあれを読むのは結構好きだった.その人の育った環境,興味、思い入れ、価値観、考え方の癖,などがわかる気がする.
最近友達に「お前が作ったbotはなかなか良いよ」と言われた.滅多に褒める友達ではなかったが,褒めた理由はなんとなくわかった.あのbotは画像という形式で,文字のコミュニケーションを超えた媒体で,私の趣向を伝えようとしている.文字の媒体がリーチできる範囲にはリミテーションがある.画像や音楽はそれを超える力がある.あのbotを作ったときは,そんなこと考えていなかったのだが...
私は論文を読んで,著者のことを理解した(ような気になった)りする.それと同じようなことを,あのbotを見てる人が感じられたら良いと思う.Tumblrとは真剣に向き合っており,あのbotは私が見て「綺麗だ」と感じること,そのものである.あのbotを見て私のことを理解するのは,ある程度は正確であるように思う.