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文章の記述と説明の再現

以前後輩の執筆を指導していた時(私は全部を説明してしまう教育スタイルなので)以下のような説明をした.

「文章っていうのはGoogleマップみたいなものかもしれなくてね,Googleマップって拡大すると路地まで表示されるけど,縮小すると地名しか表示されないよね,文章もそうあるべきだと思わない?

拡大したときに見えるものは具体的な文章そのものであり,縮小したときに見える文章のアブストラクトな情報って何だと思う?章/項/節のタイトルでしょ,それらが羅列したものが「目次」であり,さらに抽象して文章の内容を一言で表すものが「タイトル」になるべきだ.そうなっていると読む人にとっては優しい.その本や論文を見たときに,「それが今の自分にとって読むべき文章か」がタイトルや目次を見るだけでわかるからである.

つまり何か文章を書くときに,いきなり文章を書くのはやめよう.仮に自分が街を作ることになったとして,いきなり路地から作り始めないだろう.ここに街を,ここに役所を,ここに学校を作ろう,という具合に,アブストラクトな情報から決めて,そこから詳細を詰めていくのが自然だと思わない?

コーディングで例えるなら,「システムを作るぞ」となっていきなりコードは書かないよね.どのような機能が達成されるべきで,その機能を達成するための構成要素ってこういうものがあって,どういった入出力が想定されて...という要件定義をするもんじゃないの(まあ俺はあまりコード書いたことないけどさ)」

まあざっくりこんな説明をしたような気がする.もっと纏まらない話だった気がするけど.

後日後輩が「なんかちょっとわかったかもしれません,文章ってパタパタ折り畳む感じですよね?」と言った.つまり,Googleマップで例えて説明した概念を,彼の語彙で説明していた.これは説明の再現であり,そこで使われていた語彙には独自性もあったので,私は後輩の成長が感じられて嬉しくなった.

教え子が教えたことを再現できていると「これで理解したね」という気分になるし,逆に自分が勉強したことを誰かに説明できると,「ちょっとわかってきたかな」という気になる.説明を再現できる,というのは深い理解を意味しているのだろうと思う.数物系の人がセミナーをやるのもそういう意図なのかな.

そうそう,これは以前書いたこのnoteをみてふと思い出した話でした



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