大学を卒業するということ
大学は勉強やら研究やらをして卒業するところだと認識されているが、
「もしかして卒業後に一番役に立つのは"詰められた経験"なんじゃないの」という話を最近していた。
大学では大半の人間がゼミやら研究室やらに所属し、学問という形で綺麗にパッケージングされた (綺麗じゃない場合もあるが)研究活動を行う。ある人は黒板の前で参考書の中に書いてある理論を式を追いながら説明したり、またある人は工学実験に関してある程度ストーリーに則った形でその内容を説明したりする。文系は何してるかわかんないが、理系は大方そんな感じじゃないかな。ちなみに私は実験系の物理だったので工学実験をしていた。この過程でよくわかっている人(教授とかポスドクとか)に「お前全然わかってへんやないか」と詰められる経験が結構大切なんじゃないか、という話である。なぜならばそれはある種のトレーニングであり、このトレーニングを受け続けると物事を学ぶ精度が飛躍的に良くなるからだ。
「どんな質問でも答えてやるぞ」と準備した状態で、自分の実力では答えられない質問を受け「本当に勉強したの?」と詰められる、という経験はなかなかストレスフルで、「もうこんなことは繰り返さないぞ」と固く誓いながら、次の発表やセミナーに向けて勉強をすることになる。関係のある論文を精読したり、先輩や研究員に質問したりというのは当然誰でもやるだろう。
すると脳内に”こわい質問をする人間”が出現するようになる。私の場合は面接官みたいな男だ。スーツを着ている。本の内容をサラッと読んで流そうとすると「そこ説明してくれる?」と、その人が質問をしてくる。この質問がいつもいやらしい、いつも俺がわかっていないことを指摘するのだ。本を閉じて、言葉を選んで、適切に説明しようとすると、できない。そこでようやく理解が浅いことに気付く。数秒前に読んだ内容を説明もできないことに気付く。
この”こわい質問をする人間”は卒業した後も現れる。ちょっとした技術書を読んでいるときも「その言葉の意味は何?」と勝手に喋ってくる。説明する、できない、読みなおす、説明する、説明できる、次のページへ進む...これをやらないと何を読んでも浅くしか理解ができない。高度なメタ認知能力だと言われればそうだろう。この”こわい質問をする人間”が脳内に現れるにはやはり大学で詰められ、しばかれるのが手っ取り早いのだろうと思う。大体院試とか卒論とか、その時期にこいつが現れれば卒業だ。
新書みたいな分類で確率論の本があったから、軽い気持ちでめくっていたらこのおじさんが現れて具合が悪化してしまった。まあそういうこともあります。今日はそんな感じで。
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