正見
【正しく見る】たった5文字の簡単な言葉ですが、これが実に奥深いのです。
「物事の捉え方は人それぞれ」という事に異存のある方は少ないのではないでしょうか。けれども皆が持っている「常識」というものも存在している。なんだか不思議な気がします。
「物事の捉え方は人それぞれ」について考えてみました。胎内の記憶や生まれる時の記憶を持っている人は少ないでしょうが、音だったり振動だったり、既に胎内で様々な経験をしている事はなんとなくわかります。産まれ方だって人それぞれ。みんな違う経験をしているので、生まれ落ちたその瞬間から、この世の捉え方や枠組みなんかも人其々なのではないでしょうか。ましてや生まれてから時が経てば経つほど、経験は違ってくるでしょう。自分の行動に伴う、この世と自分自身の反応を学習することが経験だとすると、千人いれば千通りの捉え方があるのは当たり前だと感じます。一見同じ経験をしているすぐ隣にいる人は、自分と違った捉え方をしているのでしょう。
では、「常識」とは何でしょうか。それは、自分の影響の及ぶ範囲にいる人達の、平均的な物事の捉え方ではないかと思います。家のしきたり、地域のしきたり。国や宗教が違えばルールも変わる。同じ国でも時代が違えば驚くような習慣があったりします。「あいつは非常識だ」と言われている人も、別の場所では常識人だったりします。常識とは、ある特定の集団の中でお互いが上手くやっていくための決まりのようなもなのでしょう。私たちの常識とは、言葉とは裏腹に「常に変わらぬ考え方」ではないのです。
世の中を常に自分の経験してきたことによるフィルターを通して見ているのですから、物事に対する捉え方やそれに対する感情なんかは本質を修飾するものでしかなく、直視するのを邪魔してさえいるのではないでしょうか。常識は変わるもの、捉え方は人それぞれであるならば、正見とは一体何なのか。
「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」何事も有るようで無く、無いようで有るものなのだから、自分の捉え方に囚われず自由になりなさい。そう思うことが正見の第一歩だと感じたふくろ猫です。