「ノーパンしゃぶしゃぶ」をまじめに語る!
みなさん、「財務省」はその昔「大蔵省」って呼ばれていたことはご存じですよね。
「大蔵省」が「財務省」に名前が変わったきっかけとなった事件を覚えていますか?
それが、1998年に起きた「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」です。
遠い遠い「平成」の時代の出来事、大蔵大臣や日本銀行の総裁が辞任する一大スキャンダルとなりました。
「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは
この事件を理解するためには、「ノーパンしゃぶしゃぶ」を理解する必要がありますね。
自分で説明するのは恥ずかしいので、ChatGPTさんに聞いてみます。
違う、違う、絶対そうじゃない(汗)
食べる人はパンツ脱がない・・・
困ったときは、wikipediaに聞いてみよう。
こちらが、きっと正解ですね(笑)
気になる方のために、もう少し詳細に説明すると・・・
ミニスカート姿の若い女性がしゃぶしゃぶを運んできて、部屋に入ると下着を脱ぎ、掘りごたつになっている客の隣に座ってくれる。
天井から酒のボトルが吊り下がっていて、酒の注文が入ると、女の子がテーブルの上に立つので、スカートの中をのぞける仕組みになっている。
テーブルは鏡張りになっていて・・・(ピーー)
すみません、あとはご想像におまかせします。
あ、断っておきますが、私は行ったことありません。大先輩から聞いた話です。残念ながら(^_^;)
「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」とは
1998年に起きた、大蔵省をめぐる接待汚職事件のことです。
同年1月26日、大蔵省に対して、東京地検特捜部の約50人の捜査官による強制捜査が行われました。
そこで明るみになったのは、銀行や証券会社等による大蔵官僚等への過剰な接待攻勢。
その当時、銀行のMOF担(モフタン、大蔵省担当者)はエリートコースの象徴とされており、彼らは大蔵省から検査などの情報を得ることがミッションでした。
そして、大蔵省銀行局の職員は、接待の見返りに検査日程を銀行に漏らしたとして逮捕されてしまいました。
ドラマ「半沢直樹」をご覧になった方は、黒崎検査官を思い出してください。
あんな検査官がいつ自分の銀行にやってくるのかは、銀行にとっては一大関心事項だったのです。
(ちなみに、半沢さんが段ボール箱に書類をつめて隠していましたが、あれは犯罪です・・・)
結果、過剰な接待の実態が明るみに出ることとなり(「ノーパンしゃぶしゃぶ店」を頻繁に利用していたことも暴露され)、局長、審議官などを含め総勢112人の処分され、大臣が引責辞任する運びとなりました。
余談ですが、この時に処分を受けて退職したN証券局長は、その後弁護士に転じ、高額所得者番付のトップ10入りするほどの成功を収められたとのこと・・・。
優秀な人というのは何をしても優秀なのですね。
「大蔵省」→「財務省」と名前が変わった理由
1998年6月22日、新たに「金融監督庁(現金融庁)」が設置されると同時に、大蔵省では、「銀行局」及び「証券局」が廃止されました。
これにより、大蔵省は、民間金融機関への検査監督権限を失うこととなったのです。
この背景には、「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」があったと言われています。
その後、2001年の省庁再編時に、大蔵省の汚職のイメージを払拭する狙いも込めて、財務省に改名されました。
現在のMOF担の実態は?
実は私、約10年前にMOF担のようなことを1年間やってました。
といっても、現在は、全国銀行協会や全国地方銀行協会を通じて、中央の情報を持ち帰ることがそのミッションとなっています。
1999年に国家公務員倫理法が制定され、もはや「ノーパンしゃぶしゃぶ」のような接待は全く消え去っています。公務員に対する接待は厳しく規制され、「社会通念上相当と認められる程度の会食や贈答」であっても、社内で事前申請が必要となりました。会社の承認がなければ、葬儀の香典すら持っていけません。
従って、金融庁の方とは各種の会議で顔をあわせても、会食する機会は一度もありませんでした。
最後に失敗談を一つ・・・
ある日、金融庁より森信親元長官(当時、検査局長)が当行の東京事務所に来所されることとなり、私はお迎え係を任命されました。
当然、黒塗りのリムジンを想像していたのですが、待てど待てど、局長はいらっしゃらない。
すると事務所長より電話が・・・
所長:「おい、何やってんだ!もう局長はとっくに上がってこられたぞ!!」
尼田:「えーーーーー!」
実は局長、リムジンどころか、白いトヨタ車でいらっしゃったとのこと。
唯一学んだMOF担の教訓・・・「金融庁の車は、白い」
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