思考停止と死生感

なんかさ、金銭に余裕できたのでnotEさぼってました。Eだけでかくてきもいね、ごめんね。

でもこれ、なんかやばくないか?金銭に余裕できて思考停止て、なんか、なんか怖っ!ディストピア感感じる!

金に余裕なかったときは、本能?も危機感を感じて、リアルに明日のご飯さえどうしよう、だったので。

本能も危機感を感じて脳がギュンギュン動いてたんですけど、今また余裕でソシャゲやってますからね、あー駄目だこれは。

noteに戻ってきてよかった、今自分が甘えまくってると、再確認できた。よかった。

でも難しいな~、お金に余裕できても脳みそギュンギュンでいた方がいいのか、こう、…常に脳みそはギュンギュンでいたいよね、ボケたくないし。

そう、私はボケずにポックリいきたい派。

前々から思っているのが、年寄りを無理に延命させる風潮?あまり好きではない。

もう自分でも動けない、ご飯も食べれないって人のさ、体に点滴で栄養補給させたりすんでしよ、介護ホームで。

点滴が栄養凄いから肌もテカテカらしいけどさ、例えば昔の、江戸とかの人は、年を取って動けなくなって寝たきりになったら、子供やらが粥とかの優しいもんをちびちび食わせてたと思うんだけど。そうやって食べる量も減っていって、最終的には水だけになってゆっくり死んでいく、みたいなさ、そういうのが本来の死のあるべき姿というか。

今はちょっと食べれなくなったら、すぐ点滴やって、見ず知らずの介護師さんが世話を見てくれて、栄養だけ与えられて、それこそ、うーん、なんて言えばいいんだ、あ、死ぬことも生の一部、みたいな。

私だったら、年取って段々食も細くなっていって、食べる量減って、動く範囲も減って、って、少しずつ穏やかに死にたい?う~ん、なんか違うかな、

なんだ、何が言いたいんだ

結論、無駄な延命すな!っていうのもおかしいしな、命に無駄って言葉が合わない、っていうのかな、命に無駄なんてないからな、うん。

ううううううん、これからも心の整理のために言葉をいっぱい勉強しやうと思います、まる。

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