見出し画像

「ケーブル嫌い」が見逃すホームオフィスのエトセトラ

オフィスチェアのジレンマ

在宅勤務が始まり僕は物置小屋となっていた部屋を片付け、ダイニングにあった椅子と脚立に板を載せたテーブルからなる即席のホームオフィスを整備した。いずれまたオフィスに戻るだろうとの思いから大げさな投資はしてこなかったが、在宅勤務が1年を超えたあたりから僕の腰は仕事環境の改善を求めてきた。

いざ椅子探しを始めてみると多様なバリエーションから自分にとって最適なものを見つけるのに苦労した。「社長椅子」という言葉が平成に置き去りにされても快適な椅子には惹かれたし、人間工学に基づいて集中力を持続させるという椅子も多く試してみた。快適性と集中力をバランスさせる生産性の高いものを探し求め、1か月ほど悩んだ末に某オフィス家具メーカの椅子を購入した。

多くの在宅勤務者が痛がる腰をなだめつつ椅子探しに励むなか、Podcast番組「Office chairs: Engineered for extreme sitting / Quartz (2021) 」はホームオフィスの椅子選びにおける意外な観点を提示する。

ジョナサン・オリバレス。数百もの椅子を調べてオフィスチェアに関する著書「A Taxonomy of Office Chairs」を書いた作者である。彼が気にいるホームオフィスのための椅子は「数時間経てば腰が痛くなり、立ち上がりたくなる」というのである。そもそも座っている姿勢が健康に良くないため、長時間座れる椅子というのは在宅勤務には適さないとの判断が、この珍妙な椅子にたどり着いた理由だと話者は解する。

しかし、度々中断を強いられる椅子は注意力が散漫になる厄介な存在とも思える。短期的な生産性と長期的な健康のどちらをとるか?オフィスチェア選びにおけるジレンマだと思った。

Photo by Artur Aldyrkhanov on Unsplash

僕らはぼくらに集中しすぎなのかもしれない

ディスプレイもサイズや解像度、その枚数に至るまで椅子と同じく多くの選択肢があり僕を悩ませた。金融トレーダーが複数のディスプレイを使ってバリバリ仕事をしているイメージがあったのでマルチディスプレイにも惹かれた。しかし、上司や同僚の目の及ばぬホームオフィスはたださえ誘惑が多く、複数のディスプレイのうちいくつかはSNSや仕事とは関係のないウェブサイトを表示するだけにもなりそうだったので、自戒も込めて高解像度のディスプレイを一枚だけ使うことにした。

米・テックコンサル企業の継続的な調査にて、彼らは1000人以上のエンドユーザを対象に調べた結果「ディスプレイ2枚を同時に利用する方が1枚だけの利用と比べて最大42%生産性が向上する」と結論付けている。一方、複数のディスプレイは集中を妨げるとの理由からシングルディスプレイをこよなく愛する人々もいるらしい。

なんだか自分の悩みと一致しているなとは思いつつ、なによりディスプレイ枚数に関する膨大な調査研究があることに驚いた。いずれも、効率性・生産性・快適性などが主な指標とされ、多くの人々が最も「仕事が捗る」ディスプレイ枚数を追い求めているということだけは分かった。

また、この記事を書く僕の前には雑然としたケーブル類がその姿を見せている。電気や通信など在宅勤務には欠かせないものを運ぶこの立役者は、いつからか人々から忌み嫌われる存在になっているようだ。「ケーブル嫌い」や「デスクすっきり」など穏やかな表現から「ケーブル絶対殺すマン」といった過激なものに至るまで、彼らを追いやろうとするシュプレヒコールは多岐にわたる。視覚妨害刺激が人の集中力を低下させるとの研究仮説もあるようだが、個人的にはケーブル類を気にすることはあまりないので、審美性にまつわるものと勝手に解釈している。(美しくないものが気になって集中できないといった感じか…)

Photo by Rayi Christian Wicaksono on Unsplash

椅子に始まり、ディスプレイ枚数、ケーブル類に至るまで、生産性や集中力に対する人々の欲求は凄まじいものがある。なぜ、オフィスを離れてもなお我々は変わらないものを求めるのだろう。生産性を高めることで労働時間を減らし余暇を健やかに過ごすとの考え方もあろう。だが、高い生産性は働き手の輝かしい評価(できることの証明)につながり、金銭的なインセンティブをもってさらなる期待(仕事)が押し寄せてくるというのは想像に容易い。

私たちはいつまで「できること」を証明し続けなければならないのか?

ビョンチョル・ハン「疲労社会」/ 花伝社

ドイツ哲学界のスターと称されるビョンチョル・ハン著「疲労社会」日本語版の帯に記された印象的な一節である。興味を持った方は本を買うなり、ニューズウィーク日本版に掲載されたコラムを読んでほしい。ここではホームオフィスにまつわるハン氏の印象的なコメントを引用する。

「私たちは自分自身と向き合い、常に自分自身について考え、推測しなければならない。根本的な疲れは、究極的には自我の疲れに至る。ホームオフィスは、私たちをより深く自分自身に集中させ、疲労を強めていく。問題なのは、自分のエゴから気をそらすことができる他者がいないことなのだ」

 ドイツ哲学界のスター:ビョンチョル・ハンの「疲労社会」を考える / ニューズウィーク日本版

僕も繁忙期にはApple Watchが示す1日の歩数が3桁ということも珍しくない。オフィスでやたらと話しかけてくる上司やランチに誘ってくれる陽気な同僚の姿はそこにはなく、1日が本当にあっけなく過ぎていく。

新自由主義における自己責任論に押しつぶされそうな在宅勤務者の悲哀に少しでも共感できたのなら、パソコンやスマホから目を離し近くにある窓の外を覗いてほしい。そして少し深いため息をついて、心に感じたことをそのままに読み続けていただきたい。


**


まずは、集中の過ぎた自分という対象から少しづつ視野を広げてみたい。イギリスのガーディアン紙はホームオフィスにまつわる厄介な問題を指摘している。

57% of Londoners said they were able to do at least some work at home, whereas the figure in the West Midlands was 35%. In that context, even if home working ushers some of those who do it into an idyll of autonomy and holistic living, it threatens to make the class divisions that the pandemic
widened both permanent and huge.

(本ブログ筆者による日本語訳)
ロンドンでは57%の人が「少なくとも一部の仕事は自宅でできる」と答えましたが、ウェストミッドランズでは35%でした。たとえ、在宅勤務が一部の人々を自律的でホリスティックな生活の理想郷へと導いたとしても、パンデミックによって拡大した階級間の隔たりを恒久的かつ巨大なものにしてしまう恐れがあります。

Working from home has entrenched inequality – how can we use it to improve lives instead?

在宅勤務ができる人々の数には地域差があり(首都圏で多い)それが永続的な分断に繋がるというのだ。だが、僕も含めホームオフィスの整備に夢中になる人々が「家で働けない人々」を気にかけることは難しい。窓の外に見た風景に自分とは異なる他者は投影されていたか、改めて考えてみたくなる。

ホームオフィスでの集中により手に入れるものと同じく、私たちは離れていく他者の存在にも気を配る必要がありそうだ。

Photo by Gemma Evans on Unsplash

コロナ禍ハウスに見るジェンダー問題

アメリカのとある住宅メーカは、コロナ禍にて変化しつつある人々の生活スタイルを調査し、コンセプトハウスを建てた。家庭内の感染拡大を抑えるための二つの玄関、分離された屋内レイアウト、ホームオフィス向けの空間など人々の潜在的な欲求を抽出したというよりは、必要とされるものを淡々と組み合わせたように思える。(パッチワークのような外観からこのような印象を持ったのかもしれない…)

このコロナ禍で表出した住まいに対する新たなニーズに基づいたコンセプトハウスについて、アメリカのNew York Times紙は批判的な意見を寄せる。

彼らが注目するのは「Escape Room / 脱出部屋」と名付けられた2階の主寝室にある隠し部屋である。

This room is the most divisive design element among those with whom I shared the concept home. Women with small children, in particular, like one woman I toured the home with, said some version of: “I could absolutely use a room like that, because what Covid showed me is that so much togetherness with my family is not good for my mental health and my well-being. And I cannot escape the home. So I need escapes within the home.”

(本ブログ筆者による日本語訳)
この部屋はコンセプトホームを共有した人たちの間で、最も意見が分かれるデザイン要素だ。特に小さな子供のいる女性は(私が一緒に見学したある女性のように)「こんな部屋、絶対に使いたい。だって、家族との一体感が強すぎると精神的にも健康的にも良くないとコロナ禍は教えくれた。私は家から逃げることはできない。家の中に逃げ場が必要なの。」と語った。

A Home Built for the Next Pandemic / New York Times

ここまで読み、どのように意見が分かれるだろうかと興味を惹かれつつ、幼い子どもが二人いる僕は共感を覚えた。確かに夜泣きする子どもをあやすのに寝室を出て廊下を渡り、鳴き声が聞こえないようリビングに移動するのはとても面倒であると。しかし続く文章は、その共感を大きな反省へと変えることになる。

But some men and women were appalled at the room’s concept, describing it as pandering. As one woman said to me, getting away from your children can’t solve the problem of how unfair and unsustainable modern motherhood is. It can’t rebalance a disproportionate division of labor.

(本ブログ筆者による日本語訳)
しかし、このコンセプトを聞いて愕然とする男女もいた。ある女性曰く、子どもから離れることは、現代の母親業がいかに不平等で持続可能なものではないという問題を解決することはできない。それは不均等な分業バランスを立て直すことはできない。

A Home Built for the Next Pandemic / New York Times

僕が共感を覚えた状況は、僕の「妻」が起きて夜鳴きする子どもを抱きかかえていたということは正直に認めざるを得ない。コンセプトハウスを発表した住宅メーカは、確かにコロナ禍における人々の振る舞いをつぶさに捉え、それに応じた新たな機能を示した。しかし、その表層的な観察によりカタチになったのは、現代社会が抱えるジェンダー問題と、鈍感な私の認識を映す鏡のようなものだった。

Photo by Zach Lucero on Unsplash

「なんでもお金で解決できると思うな」との格言は、映画やドラマにて大金持ちの主人公が直面するものに留まらず、ホームオフィスの整備に興じる僕に突き付けられた。生産性を求める集中は、大切な家族までもその視界から外そうとしたと思うとギョッとする。SNSでたびたび目にする流線型のオフィスチェア、高解像度ディスプレイ、ケーブルが一切見えないデスクなどから成るホームオフィスを映す写真たち。僕らはその枠外にあるコンテキストを見逃してはならない。

もし、この記事を見るウェブブラウザにあるタブのなかに、ホームオフィスを彩るモノを買おうとECサイトを立ち上げている人がいたら、そっとそれを閉じ、友人や家族と「家での働き方」について話してみてほしい。きっと、集中や生産性というものがひた隠しにしていた、異なる価値を見つけることができるはずだ。

背景で商い体験

なんだか反省ばかりで暗い気持ちになってしまいそうなので、最後はちょっと明るい内容で閉じたいと思う。

在宅勤務で多用するウェブ会議では、個性あふれる背景を配する人たちを目にする。会議アプリが提供する見飽きたプリセットから、休日に撮影した素敵な風景写真、名前やQRコードなどが配された名刺のような鬱陶しいものまで…。下半身を見られることが無くなり、こだわりを保てなくなった衣装に代わるアイデンティティとして背景が活用されているように思える。

そんなバラエティに富む背景のうち、僕が興味を持ったのは自宅をそのまま映すものであった。好きなレコード盤を並べたり、本を積んだ書棚、日光が足りず今にも枯れそうな観葉植物など自宅の一部が切り取られている。思えば同僚の自宅を訪問する機会は決して多くない。コロナ禍により移動が制限されるなかその距離はさらに遠くなった。しかし、ウェブ会議では同僚に限らず初めて会う人に至るまで、あまり見ることない自宅の一部をちょっとだけ垣間見ることができる。

背景に配されるオブジェクトは、何かと話題に窮して取り留めのない話をしがちな開始間際にて、適当な話のきっかけとなることも多い。そこで、私は背景におすすめの本を1冊だけ置くことにした。すると、その背景を見て興味を持ってくれた人が話しかけてくれたり、買って読んでみた感想を聞かせてくれたりする。なんだか書店の店主になった気分だった。

腰の痛みから煩雑なケーブル、在宅勤務のできない人たち、大切な家族に至るまで、生産性を求めるがあまりホームオフィスの設計は多くを排除しすぎているのではないだろうか。「ケーブル嫌い」が見逃すホームオフィスのエトセトラ。あなたが見逃しているものは無いか、あらためて考えてみてほしい。

Photo by Joanna Oleniuk on Unsplash

Cover Photo by NordWood Themes on Unsplash

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?