コンプレックスを魅力にする”衣装”
こんにちは、フクコトバのRYOです!
人にはそれぞれ大なり小なり「コンプレックス」があると思います。
それが、身体的なものでも、経歴や過去のことでも、それ以外のことでも、
自分では、気になって気になってしょうがなく、
人に見せたくないし、知られたくない部分かもしれません。
でも、時にそれは「その人の魅力」になる時があります。
これって、改めて考えると不思議じゃないですか?
自分のマイナスポイントが、誰かから見ればプラスポイントになっている。
このマイナスをプラスに変えているものは何かな〜と考えてみたいと思います。
〜コンプレックスを魅力にしているもの〜
結論、コンプレックスを魅力にしているのは「愛」って言ったらそれまでだと思います。(笑)
なので真面目には言っていませんが、多分間違ってはいないと思います。
ちょっと鈍臭いところとか、
コンプレックスを恥ずかしそうにしている仕草とか、
過去にいじめられていたけど、その反動で今頑張っているとか、
そういったその人の部分を見て、「魅力」だと感じます。
おそらく、コンプレックスを魅力にしているのは、「その人のトータルの人間性」なのではないかなと思います。
コンプレックスな部分も、ストロングポイントも両面を多角的に見た時のその人のトータルの人間性です。
相手は、その人の素敵な部分も、コンプレックスな部分も両面を知っていて、
その完璧じゃないコンプレックスな部分に「可愛らしさ」や「人間らしさ」、「人柄」、そして「愛」を感じるんだと思います。
そこで、「親近感」や「愛おしさ」や「リスペクト」を感じて、その部分が「魅力」として映るんだろうな〜と思います。
〜コンプレックスを魅力にする”衣装”〜
そもそも、服装には「その人の魅力をより引き立たせる」という役割があると思います。
それだけ、服装にはその人の「人間性」が滲み出てくると思います。
服を選ぶ時、色んな選び方があります。
好きな服。
似合う服。
理想の服。
自分の特徴を生かす服。
コンプレックスを補う服。
これらの服を選ぶときに、まずは「自分のことを知る」という工程がありますよね。
身体のサイズもそうですし、自分の好き嫌いも含めて。
やっぱり、「服を選ぶ」ということ行動自体が、ある意味「自己分析」になっていて、その中で当然コンプレックスと向き合うこともあります。
「この服だと太って見えるかな」といった身体的なことかもしれませんし、
「この色は似合わないね」といった過去に言われた言葉かもしれません。
「好きな服はどんどんその人に似合ってくる」と思うのですが、まさにそれは「その人の内側から出ている想いが、その服を似合わせている」のだと思います。
コンプレックスを魅力にする”衣装”は、
多分「服そのもの」ではなくて、
自分自身の「想い」や「良い面もコンプレックスもある人間性」と、
それを知ってくれている周囲の人。
その掛け合わせなんじゃないかなと思います。
その掛け合わせが、「自分の装飾」となって、
「魅力」が生まれているんじゃないかと思います。