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こんにちは、フクコトバのRYOです!

今日は、「やっぱり話をして共感してもらうって安心するよね」でも、「口先だけの共感は傷つくよね」という話です。

社会人として人間関係を上手く築くために必要な側面もある「本音と建前」ですが、「共感」の重要性とともに今日は考えてみたいと思います。


〜社会人の本音と建前〜

私自身、社会人になって1番最初の違和感は「合わせ笑い」でした。

別に面白いと思っている訳ではないけれど、相手の話に話に合わせて笑うあの雰囲気になんだか居心地が悪くなりました。

新卒で営業という職種のせいもあったと思うのですが、「合わせ笑い」は至る所で行われていて、先輩方はたぶんもうなんの違和感も抱いていなさそうでした。

実際に、「合わせ笑い」をした方が相手とのコミュニケーションは上手く行くケースが多いです。

その場はなんだか盛り上がっている様に思いますし、笑い声だったり、笑う表情そのものが、その場の雰囲気を良くしてくれます。

社会人には本音と建前があると言うことも言葉では理解していたので、「これが大人か〜」とも思いました。

本当に楽しくって笑っているケースももちろんあると思いますが、

社会人の、その場を良くするためのテクニック(建前)としての「合わせ笑い」が苦手だったのを覚えています。



〜関西人は本音言いがち?関東人は建前言いがち?〜

社会人3年目からは東京に転勤になり、故郷の関西を初めて離れました。

東京で感じたことは、「思ったことを素直に言ってくれないな〜(笑)」ということでした。

生まれ育った関西では、割と本音をズバッと言うタイプの人が周囲にも多かったので、関東の人たちや社会人になった時の建前の会話に、より違和感を感じたのかもしれません。

ただ、地域差は確かにあるかもしれませんが、個人差も大きいと思います。(笑)



〜共感の重要性〜

さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

社会人になってからの「合わせ笑い」や、

東京に来てからの「建前の会話」に違和感を覚えたのは確かですが、

そのおかげで、その場の雰囲気が良くなったり、自分自身も楽しくなったりすることも多々ありました。

そこで思ったのが、「共感の重要性」です。

SNSでも、日常生活でも、ビジネスの場面でも、人は共感を求めています。

それは、人の根源的な承認欲求にも繋がっていると思います。

それが満たされることで、自己肯定感も上がるし、相手にも心を開きやすくなると思います。

ただ、「テクニックとしての共感」には個人的には正直疑問があります。

誰とでも本音で話していては、おそらく社会人としての人間関係が成り立たないのは承知していますし、自分自身も本音と建前を使い分けることはあります。

ただ、そこに「相手への優しさ」があるかどうかは結構重要なのかなと思いました。

「本音と建前の、本音の部分を間接的に聞いて、心を痛める。」と言う経験は一度はみんなすることがあるのでは無いかなと思います。

それは、やっぱり「優しくは無いな〜」と思います。

共感してお互いに笑い合ったその時間が幻になってしまう瞬間はとっても虚しくもなります。


共感自体は、とっても大切で誰しもが求めていることです。

相手の為を思った共感は、相手のことをHappyにできます。

でも、建前での共感と裏にある本音のギャップがあまりに大きいと、傷つくこともあります。


社会人として、上手く人間関係を築きながら、

本音で共感できる時はして、違う時は相手のことを思って違うと言える、

そんな自分になりたいなと改めて思います。



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