見出し画像

今年のうちにコミュニティをわかった気になるための5冊

お疲れ様です。ウエムラです。
どんよりとした天気と頭痛の日々が台風とともにようやく過ぎ去っていったと思ったら、外は一気に肌寒くなりキンモクセイの香りがしてたまらなくなってくるので、ああ早くも今年が終わりに近づいてきたんだなあと思わされます。

そんなわけで、残りの月にすることを決めながら、コミュニティの多様なあり方について今年のうちにわかった気になっておきたい人のための5冊を、私の独断と駆け足によるランキング形式でご紹介したいと思います。
なお、読んだ瞬間から私の記憶も駆け足で失われていっており、むしろ私の願望により再構成されている可能性もあるため、ディテールの整合性はアテにしないでいただけると幸いです。
それでは早速いってみましょう。

第5位『常識のない喫茶店』

誰でも入れること、敷居が低いことは、コミュニティにとって必要とも十分とも限らない。
むしろ、あえて高い敷居や、不明瞭だが暗黙の境界線があることで、強固になったり尊くなったりすることもあるかもしれない。
「働いている人が嫌な気持ちになる人はお客様ではない」という理念に支えられるこの喫茶店では、店員が日常的にお客さんに注意し、喧嘩し、出禁にする。
何かを選ぶことがそれ以外のものを捨てることだとすれば、捨てることによってよりクリアになるコミュニティというのもありうる、ということがわかった気になる1冊。

第4位『心理的安全性のつくりかた』

効率的でノーミス。トップダウン。選択と集中。不安や罰・インセンティブ。目先へのフォーカス。
かつてのチームの正解は、VUCAの世界にはそぐわない。
模索・挑戦からの失敗・実践。上下左右の意見と対話。探索と実験。働く意味とそのサポート。未来へのフォーカス。
そんなこれからのチームのつくりかた、が、この本の要点。
チーム=コミュニティと勝手に読み替えたときに裏テーマとして重要なポイントは、始めることと同じかそれ以上に、継続することは大事だけど難しいということ。
ただゆるかったり生ぬるかったりキツかったりするだけではもちろんダメで、断続的な刺激や変化、コミットし続ける姿勢、適切な信頼とハードルが与え続けられるそのさじ加減が重要。
仕組みだけでも汗をかく運用だけでもダメで、かつ常に変わり続けないといけない……コミュニティって正解ないよね、ということがわかった気になる1冊。

第3位『江戸はネットワーク』

江戸といえば俳諧。
俳諧といえば「連」。
「連」とは簡単に言うとサロンみたいなものだが、その顔ぶれは常に流動的。
それは、絵師や作家、ビジネスマンも入り乱れ、目的のもとに集まるわけでも、誰かが声をかけて集めるわけでもなく、ただ人から人へと連なり、影響し合い、文化を形成するダイナミズム。
だから、個人の集まり(個体)というよりも、むしろ変わり続ける状態(流動体)こそが「連」である、というのがこの本の主張。
ブロックチェーンみたいなものか。違うか。
ともかく、原理主義的にゴールを掲げすぎないことや、コミュニティを動的に捉えることもときに重要、ということがわかった気になる1冊。

第2位『中国料理の世界史』

チャジャン麺。フォー。パッタイ。海南チキンライス。チャプスイ……
もしかしたら有名な話なのかもしれないが、もともと中国各地にあったこれらのもととなった料理は、人づてに伝承され、変化し、今では各国の国民料理として名を馳せている。
自然の成り行きだったり、ときに作為的だったりするそのプロセスを詳細に追い、描いているのがこの本。
それは、一方では世界中が中国化されていくプロセスとも、他方では世界中のあらゆるコミュニティがむしろ中国的な要素をうまく取り込み、我が物顔でラベルを貼り直している営みとも、言える。
郷土があって郷土料理が生まれるとは限らず、郷土料理を掲げることで郷土や愛着が後から形成されることがあるように、食を通じた帰属意識やコミュニティの強化は、脈々と意識的に行われてきたんだなあ、ということがわかった気になる1冊。

第1位『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』

望むと望まざるとにかかわらず、着々と自分の見たいものしか見えなくなりつつある昨今において、自分の視界の外側を知ることは本当に難しい。
「目の見えない白鳥さん」と一緒に様々なアートに触れる著者たちは、白鳥さんに作品の説明をする過程で、普段使っている自らの取捨選択センサーがオフになり、むしろ解像度が上がり、今まで見えなかったものが見えてくる体験をするという。
でも、それは意外とこの本の要点ではない。
白鳥さんのまわりには、ワークショップの参加者からただの飲み友達まで、多くの人が集まる。
明示はされていないけれどそれはたぶん、各々が自分も気づいていなかった恥部や本音や生身をさらけ出すことで、一緒に笑い、ワクワクしあえるから、だ。
このとき、ときにコンセプチュアルでいかようにでも解釈が可能な現代美術も、一緒にそれに触れることによる「新たな自分の発見」も、その瞬間のための装置であり肴でしかなくなる。
おそらく、未知の発見は一回性だが、ワクワクには持続可能性がある。
未知とワクワクを接続することが、コミュニティの持続可能性における重要なポイントである、ということがわかった気になる1冊。


駆け足のつもりが結局それなりの長さになってしまい失礼しました。
ここまで読んでいただいた方はお気づきかもしれません。
そう、一見遠そうあるいは無関係そうな領域にこそ、まだ見ぬコミュニティのあり方の種は眠っているはず。
ぜひこれから、お試しください。

-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今後もコミュニティーマーケティングに関することや日々の雑事、あなたのお役にたてる記事を投稿していきますので、スキ・コメント・フォローをよろしくお願いします♪
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?