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下り酒の街・東京新川の歴史
こんにちは、安井郁子です。
記事を読んでくださる方、応援してくださる方、いつもありがとうございます。
樽廻船のストーリーを再現
江戸時代、灘の酒を樽廻船により、東京新川の街に下り酒として運ばれた歴史があります。
今年は、日本酒文化の重要な歴史の一つとして、「樽廻船による下り酒」のストーリーを再現する試みも行われました。
神戸から樽酒を積んで船(船舶の長さ11.98m、総トン数8.5トンのセーリングヨット)で東京(竹芝地区船着場)まで運ばれたのです。
「新川大神宮樽酒祭」を行うにあたり、ぜひとも拝見しておきたかったのですが、所用があり竹芝での荷下ろし場面に立ち会えなかったのは、とっても残念。(写真は、小森真幸さんにお借りしました)
でも、当時の状況を振り返るために、改めて新川のルーツが書かれてある、祖父の本を読み返してみました。
自分のルーツ祖父であり、大星岡村創業者である岡村岑三郎(雅号 岡村亀崖)著、『東京新川の今昔』です。
江戸時代の新川大神宮の絵や、水路で運ばれ荷揚げされた樽が積み上げられた写真等もあり、改めて感慨深く思いました。
“序文”では、当時の日本酒造組合中央会相談役 伊藤保平氏の寄稿もありました。そこに記された一部をそのまま抜粋させていただきます。
『幕府盛時の江戸は、年間百万樽以上の清酒を消費したが、その大半は、灘・伊丹からの「下り酒」であって、それが海路を番船で入津し、この新川に回漕荷揚げされ、そして市中近在に売り捌かれたのであるから、“新川に下戸の建てる蔵はなし”と唄われ、“春夏秋冬酒不断、東西南北客争͡沽”の盛況を呈した。新川は路往く人の数よりも、酒樽の出入りのほうが頻繁な「酒の街」であった』 とあります。
そんな江戸の街の風情と活気を、ほんの少しでも再現できたら嬉しいです!!
第三回新川大神宮樽酒祭
◎開催日時 2021 年 12 月 27 日(月) 10時30分~18時
◎場所 新川大神宮境内
(東西線、日比谷線の茅場町駅3番出口より徒歩5分)
暖かくしてお出かけくださいね。
お待ちしております。