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憑き物が落ちる
先日友人が、
もう20年くらい
ずっと通っていた趣味の場で、
「あ、もういいや」と
ふと思って、
もう2度と
そこには行かないであろうことを悟った、
みたいなことを言っていた。
どんなに遠くても
どんなに荷物が重くても
ずっと通い続けていたのに、
なぜか突然、
もういいや、もう来ないな、と
思ったというのだ。
その話を聞いて
他の人は「よくわからない」という
反応を示すようだ。
なんで?
そんなにずっと通ってたのに?
何かあったんでしょう?
勘違いじゃないの?
どうせそう言ってもそのうち行くんでしょう?
でも、
きっと彼女はもう行かない。
なんとなくだけど
私もわかるのだ、
その感覚が。
一番ぴったりな言葉を探すとしたら
「憑き物が落ちたような」
なのかな、と思う。
とはいえ、
それまでの状況が
この言葉の本来の意味である
「正気を失っていた」とか
悪い状態だったいうことではない。
悪から良になる、という意味ではなく、
本当に、何かがポロッと
瞬間的に剥がれるかのように
「あ、なんかもういいや」と
突然フェーズが変わるのだ。
もうさっきまでの自分に
自分の心や魂は入っていなくて、
抜け殻しかそこにないような
そんな感覚と言ってもいいかも。
私も
自分で驚くほど
そういう
何かが降りてきたかのように
「あ、もういいや」と
思ったことが過去にある。
ただ友人の話と違って、
これを書くと
「こいつひでえな」
「とんでもない話ぶっ込んだな」
ってなること請け合いなのだけど、
恥を忍んで書くことにする。
それは大学生の頃。
爽やかな天気のある夏の日に、
家庭教師のバイトに行った私は、
新小岩から
総武快速線(横須賀線)で
品川まで帰ろうと電車に乗った。
まだ早めの夕方で
外がキラキラと美しかった。
当時、私は大学の先輩と付き合っていて、
手帳にはその彼との写真が数枚挟んであった。
今みたいにスマホのカメラロールに
写真がたくさん入っている時代ではない。
平成だけど、紙焼きの写真だった頃だ。
新小岩から品川までの電車は、
錦糸町を出ると
だんだん地下へと入っていく。
さっきまでの車窓の
キラキラと美しい夏の景色が、
ゴーッという音に包まれるとともに消え去って、
真っ暗なトンネルの中
ふと気づくと、
空いた車内の
私が座っている席の正面のガラス窓に
自分自身が写っていた。
で、なぜか思った。
「あ、もういいや」と。
彼と別れよう、と、
そう浮かんできたのだ。
本当になんの脈略もなく、
彼との別れを考えていたわけでも
関係に悩んでいたわけでも、
まったく微塵も何もなく、
でも突然に、それはやってきた。
自分の中で
「いやいや」と否定することも
「なんで突然?」と突っ込むことも
不思議なほどに何もなく、
心はどこまでも穏やかで
平静を保っていて、
でも
もう、これが覆ることはない、
ということだけは
はっきりとわかっている。
本当に不思議な、
でも揺るぎない感覚。
そうして私は
手帳に挟んであった写真を車内で破り、
品川で電車を降りるとすぐに
そのホームにあったゴミ箱に捨てたんだ。
他の誰かが気になったとか
好きになったとかでもない。
私としても突然のことで、
だけど絶対に
それが変わらないことだけはわかっている、という
これまでに味わったことのない感覚。
後にも先にも、
今まで生きてきた中では
あの時だけの、
不思議なえも言われぬ
「あ、もういいや」。
で、先日
冒頭の友人に会った際にその話をしたら
「わかる、まさにそれ」と言われた。
私の話に関しては、
多分この感覚がわからない人には
責めらてもおかしくない内容だと思う。
実際に、当時の私は
その後かなり複雑な状況に陥った。
だけど、
あの感覚を経験したことのある人には
わかるらしい。
私も友人の
「もういいや」が肌感覚で理解できるし、
友人も私の酷い話を聞いて
「わかる」と言った。
そしてそれはどうにもできないことだというのも、
「わかる」と言った。
不思議な、感覚。
人間にはなんだか
そんな瞬間があるのかもしれない。
憑き物が落ちたような、
という言葉があるくらいだから、
きっとそれは「ある」のだ。
本当に瞬間的な
だけどなにかその人にとっては
大きな変化なのだろう。
大学生の時の私のそれは、
結果的に他者を傷つけるものだった。
だから、ああいうのは、今後もナシでいたい。
でもそうじゃない、今回の友人のような形で
なにかしらあの「もう、いいや」を
また経験する瞬間を、
どこかで期待しているのかもしれない。