イメージ戦略から丸出しへ?
最近は有名な人でも
昔のように
テレビとか新聞とか雑誌、
というだけでなく、
直接ご本人がされているSNSとか
YouTubeなんかで
発信をされていて
それを目にする機会が多くある。
考えていることを発信していたり
オフの姿を公開していたり
お友達とプライベートな感じで
おしゃべりされていたり…。
そこで私は
実際のその方の姿を
垣間見たような気になることが
よくある。
昔に比べたら、
たしかに「実際の姿」に近いのだと思う。
出ている情報量が多いし、
なんというか、
現代の新しい媒体って、
コントロールしようと思っても
どうしてもできないところが
少なからずあると思うから。
(情報量が多い時点で、
どうしても少しは「漏れ」てくるものがある)
あ、この人、
イメージ通り(またはイメージと違って)
お人がいいんだな、
人柄がいいのね、
と思うこともあれば、
なんだ、
違和感の正体はこれか、
やっぱりこの人、ちょっと嫌いだわ、
と思うこともある。
私は以前の仕事で
俳優さんたちと仕事をすることが
ちょくちょくあって、
世間で○○って思われている人の真の姿、
みたいなことを
実際に垣間見ることが度々あったのだけれど、
当時はやっぱり
「よくコントロールされている」状態
だった気がする。
とにかくスマートでかっこいいイメージが
世間に浸透している俳優さんが、
実はすっごく気さくで親しみやすい
気のいいお兄ちゃんだった、
っていうこともあったし、
美人でシュッとした
高嶺の花のようなイメージの女優さんが、
実はすっごく寂しがりやで
みんなでワイワイやるのが大好きで
なんなら地方ロケで
一緒にお風呂に入ってくるくらい
フレンドリーです、
なんていうのもあった。
もう、本当に、
事務所さんが
俳優さんのイメージを守るために
あの手この手で調整しているのを
「なるほどね」と
感心して拝見していたものだ。
だけど今は、ね。
やっぱり個人で発信したりすると、
周りがどんなに頑張っても
調整しきれないところって出てくる。
接触回数が増える、というのかな、
そうすると今までは
「ん?」という程度の違和感だったのが、
「あー、そういうところね」
っていう確信に変わったりする。
いい方向に受け止められるなら
それはいいと思うんだけど、
逆のパターンもあるわけで。
出ちゃう。
どうしても、
口をつぐんでいても
目を瞑っていても、
毛穴からもれちゃう、みたいな感じ。
まあ、でも昔よくあった
「本当の自分を偽ってでも
いいひとのイメージを死守する」
みたいなのと比べると、
よっぽど今の方が
楽に生きられて
いいのかもしれないけど。
見てくれや見せ方を磨くだけじゃなくて、
本質的な人間力を磨かないと
生き残れない、という
実はサバイバルな時代に
突入しているのかもしれませんな。
でもあれか、
好かれるばっかりじゃなくて
最高に嫌われる、というのも
生存戦略としてあるから
それはそれでいいのか。
風の時代っぽいな、と
しみじみ感じる夜です。
(一体、何を見たのだ、私は…)