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熊野旅 直近 去年【その2】


九度山の、真田幸村が蟄居ちっきょしていた真田庵を見て、
隣のお店でお蕎麦を食べ、
その後高野山に向かいました。


婆は二度目です。

奥の院の参道を、いろいろ主人に解説してあげながら、
解説と言っても、有名な武将の慰霊塔、誰がいて、彼がいて、その人はこっちで、あの人はあっちで、レベルのものですが。
そして突き当たりにある、弘法大師 空海上人しょうにんのいらっしゃる御廟ごびょうのある所に着きました。

手前の、拝殿にあたる燈籠とうろう堂の建物の中でまずお参りをし、
また外に出て、裏側にある御廟ごびょうに向かいます。

先ほどの燈籠堂を背にし、屋外で御廟ごびょうに向かって祈りを捧げます。


御廟のところで蝋燭ろうそくを買い、奉納ほうのうしました。


お寺にお参りに行くと、蝋燭やお線香が1本100円とか、奉納用にバラで売られていますが、若い頃はお参りはしても、それらを買って奉納するということまではしていませんでした。

でも婆の育ての母親が、
自分がお参りに行った時、家族の人数分、蝋燭を奉納してくるの、と言って、
皆なが ”あの世” に向かうとき、道が明るいように、迷わぬように、と話していたのを聞いて、

その育ての母は、婆が23才の時に亡くなり、
婆はその後、結婚した後も、子供ができた後も、家計のやりりが気がかりで、そうそう蝋燭やお線香を買う気持ちには中々なれませんでしたが、

やっと、ここ10年ぐらいで、それが出来るようになりました。


最初は家族4人分の4本の蝋燭でしたが、
子供が家庭を持って、家を離れて、孫が生まれると、
あれ、孫の分もか。と気がついて、あれ?娘の旦那さんの分はどうするの?とか。
自分の実の息子ではありませんが、やっぱり買おう。と、
今では7本も買っています。

育ての母は早く亡くなったので、孫などは見れず、
ずっと4本だったでしょうが、婆はこれから、もっと増えていくかもしれません。

それでも、お参りなんて、そんなにしょっちゅう行けるものでもないし、よっぽど食べるのに困ってしまうような状況になったら、いったんお休みさせてもらうかもしれませんが、できる限りは続けられれば良いなと思っています。


育ての母の言葉は、母が自分で考えたのか、どこかで読んだのか、誰かに聞いたのかわかりませんし、
実際、あの世への道を明るく照らしてくれるというそれが、本当なのかどうかもわかりません。
本来はただ純粋に神仏に奉納すべきもの、それ以上でもそれ以下でもないかもしれませんが、それを聞いた子供としては嬉しい言葉でした。


そんなこんなで、いつものように蝋燭を買って、
これはわたくしから、これは娘の分です、などと心の中でとなえながら、蝋燭を一本一本、蝋燭立てに立てていると、

いつも黙ってお参りだけしている主人が、
「俺も買おうかな・・・。」と急に言うのです。
そんなこと、初めてなのでビックリしてしまいました。

高野山だから?(←婆の心の声)

主人「Tさんに・・・」

あぁ、そうか・・・。

婆「それ、良いと思う。良いと思うよ。」


それから主人は、
それで今オレ、細かいの無いんだけど、貸しといてくれる?と言うので、
いいよいいよ、と100円玉を渡しました。

この旅の、ちょうど1ヶ月ほど前の11月に、主人の現役時代の上司でもあり先輩でもあるTさんから、主人の携帯に電話があり、

毎年、その時の仕事の専門畑の退職者忘年会があるようで、その件だ、と主人は思って電話に出たら、そうではなく、

1年の余命宣告を受けた、と・・・。


余命宣告を受けてから、何十年も元気という話も聞きますが、
それを突然聞いた主人がどう対応したのか、婆もたまたまそばにいたのですが、よく覚えておりません。


Tさんと主人は、10才ぐらい歳が離れていて、
現役時代、縁あって2回ほど偶然同じ職場になったことがあり、
上司部下、先輩後輩として、苦楽を共にしながらも、良くしていただいたようで、お互い退職してからも、時々飲みにいっていたような間柄あいだがらでした。

山が好きで、一人で百名山制覇せいはを目指し、
その中のいくつかの山を、当時の主人を含めた素人しろうと課員希望者4人を引き連れて、安達太良山あだたらやまと、磐梯山ばんだいさん槍ヶ岳やりがたけ、富士山に連れて行ってくれました。

槍ヶ岳で、
山頂から200mぐらい下にある宿泊予定の山小屋に着いた時、それまではあまり天気が良くなかったらしいんですが、そこでは背中に夕日をぱぁーっ❇️と浴びて、はるか遠くの山々に自分達5人の横一列に並んだ大~きな影が映り、手を振るとその大きな影も手を振るのが見えるブロッケン現象?というらしいんですが、そういうのも見ることが出来たと感慨深く言っていました。

そして次の日の山頂は青空で、お天気が大変良かったと話していました。


その方がいなかったら主人はそんな経験できなかったと思います。


当時、課の有志ゆうしで山登りするんだけど、靴がない、と主人が言うので、
一回きりのハイキング程度だと思って、ダイクマというディスカウントショップに一緒に行き、一番安い靴を買ってしまって、
最近になって、その時の山の名前を聞き、妻としてゲッ💦と思いました。

婆も、主人の仕事が遅くなり、電車がなくなって、仕事先まで車で迎えに行き、Tさんも一緒にお送りしたので、面影をよく覚えています。

実家が農家であられる自宅に、子供一緒のバーベキューにも呼んでいただきました。


Tさんは退職後、さらに自分のやりたいことに集中し、
山好きが高じて、百名山制覇後は、海外の山にも行かれたそうで、
「息子からは、お父さん、自分のやりたいこと全部やってきたんだから、もういいじゃん、悔いないじゃん、と言われた。」
と、電話口では比較的明るかったようです。


旅の前にそんな経緯いきさつがあり、
主人は蝋燭の献灯けんとうをし、祈りを捧げていました。


そのあと婆が、
「私が買った蝋燭だって、パパのお給料の家計から払ってるんだから、さっきの蝋燭のお金はいらないよ。100円だし。」と、言ったら、

いや、返す、と言って、
自動販売機でくずして、自分のお小遣いからしっかり返してきました。


電話をもらった後、主人もどうしていいかわからず、
電話も出来ないまま1年が経ち、
先月11月半ばの朝、いきなり主人の携帯のLINEに、おはようのスタンプが一つ、Tさんから届きました。

主人もびっくりして、すぐ「おはようございます」と返し、

ちょっとした互いの知り合いの状況話を送った後、
お見舞いには行けますか?とメッセージを打ったら、

「無理」と返ってきて、

「疲れたから、返信はいらない」
と返ってきたので、それでやり取りは終わりました。

その1週間後に、Tさんはあちらの世界に旅立たれました・・・・・。


主人は奥様とお話したようで、
Tさんのラインを見た奥様が、
「普段、家族には療養中、本音を言わず強がっていたけど、
○さん(←主人)には、弱音を出していて・・・。」
と言われたそうです。


・・・・・
主人は今後の人生で、

もし又高野山に行けたら、必ずその時Tさんのことを思い出すでしょうし、

富士山はうちの近所から毎日見れるので何なんですが…、

安達太良山と、磐梯山と、槍、を目にするたび、
Tさんの笑顔の面影も同時に思い出すでしょう💧


  💧💧💧💧💧


主人からよくTさんとの話を聞かされていた家族として、Tさんに

感謝


を御送りしたく、noteに記しました。


ありがとうございます



高野山を後にして、今日の宿へ向かいます。