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動かない近づかない見ない 映画『誰かの花』ネタバレあり 〜映画感想〜

誰かの花(2021年製作の映画)上映日:2022年01月29日製作国:日本上映時間:
監督 奥田裕介
脚本 奥田裕介
出演者 カトウシンスケ 吉行和子 高橋長英 和田光沙 上穂乃佳 篠原篤 太田琉星


うおっ!ここで終わり!?


僕はだいたい映画はラスト近くになると「早く終われ今終われ」と思いながら観ちゃうんですが、、
この映画は「うおっ!ここで終わり!?」とさすがにビックリ。

モヤモヤは残るんだけど、このモヤモヤは主人公家族がこの後数十年抱え続けるモヤモヤと同じわけよね。

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不穏カット

冒頭から画面がすごく綺麗でした。安定した構図。

そうしてたら不穏なカットが挿入されて、斜めの不安定な構図も増えてきて、いよいよ事件が起こり、さらに不穏カットの頻度が増えていく。

エレベーターも嫌ですねえ。
あの狭いエレベーターが一番怖い。
エレベーターの使い方がうまかった!

エレベーターを使って人物の性格や状況を描写してる。

あのエレベーターでしか自分の気持ちを吐露できないあの女性キャラが悲しい。

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出演者の素晴らしい演技

カトウシンスケさんの演技の隙が素晴らしくて。
それも「観客に想像させるため」に引き算の演技をしてるってわけでもなく
ただ野村孝秋という人物を演じた結果そうなってるのがいい。

孝秋の「受け取らなさ」「動かなさ」がすごい。
到底映画の主役にはならない人物。

確かにこの事件の主役って、妻(和田光沙)とか息子(太田琉星)何ですよね。

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あすなろ会のメンバーもすごかったですね。。マジの当事者かと思いましたが、、あれは演技なんですよね。台本もあったのでしょう。

あのリアリティ。
平穏な人生に現れた真っ暗な落とし穴に落とされてしまった方々。
そしてそれは誰にでも起こりうること、という恐怖。

妻(和田光沙)の「私ここに来るレベルなんだ…」なリアクションがまた強烈に悲しい。

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てか、和田光沙さんすごいっすね。
『岬の兄妹』で爆誕!って感じでしたがそれ以降ものすごい数の出演作で、
ここにも和田光沙!また和田光沙!って感じでよくお見かけします。

今回の役での「なんかコントみたいで恥ずかしいなって」というリアルで悲しいセリフも最高でした。


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両親の衣装。


特に母親の。
あの何色でもない色。
あの色のテロテロのスラックス(ていうんですか)。

あれと同じ服をうちの母親が着てますよ。
あのコーディネートと全く同じものを母が着てます。

父もそう。あの上下と同じの着てます。

で、あの歩き方。あの老い方。あの明るさ。あの「近づかなさ」。

ほんとに俺の親か!ってなくらい同じで。怖かったです。。


でことでネタバレは以下に。






野村一家はもしかしたらほんとに事件には1秒も関係していないかも知れない。
なのに、母も孝秋もとにかく「危なそうなことに近づかない」から問題は解決せずにずっと「本当は加害者かも…」というモヤモヤを抱えてあと数十年生きることになる。

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この映画にはたくさんのポイントがありますが、
自分の小さな幸せ(平和な家庭)を守るためならどれほどまで倫理を無視できるか、というポイントが僕は一番刺さりました。

母親(吉行和子)も次男(カトウシンスケ)も家族の平和を守るために積極的に悪に手を染めるわけではないし、積極的に倫理を踏み躙っていくわけでもない。

ただ単に「積極的には真実を明かそうとしない」だけ。

そもそも父親が事件に関わっているという確信があるわけでもないし、
「あの日、窓が開いていた」とか「手袋が土で汚れていた」などの諸々の違和感があるだけだし、
警察もちゃんと動いたんだろうだし。

母と次男は一向に「積極的には動かない」わけだけど、それが一体どれほど倫理に触れることなのだろう、と思う。


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ただ一方で向かいの男(篠原篤)の地獄の苦しみも知ってしまった次男がやはり動かないこと、
母は一貫して明るく振る舞うだけで真実(?)に近づこうとしないこと、
は倫理的にどうなの?とも思う。

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この映画はものすごくリアルだし、主演のカトウシンスケさんの演技が観客が吸い込む魅力と隙があるので、観客は自分のこととしてこの一連の事件の当事者になってしまう。

映画を見ながらおそらく今まで自分がしてきてしまった「倫理を無視した行為」「積極的には動かなかったこと」などを思い出して、
向かいの男(篠原篤)のような苦しみを誰かに与えてしまっているのではないかと逡巡すると思う。


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母が父の汚れた手袋をグワ〜〜ッと洗うシーン、あれ怖かったですね。。

「たった小さなこの家族の平和を守るのが何が悪いの!」とでも叫んでいるかのような表情で洗う。

あんな母親見たらそりゃ止められないし、
自分がもしあの母と同じ立場なら手袋急いで洗ってすぐ捨てるんだろうな。同じことするだろうな。。

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この映画の大きな魅力である「不確かさ」「もやもや感」がハマる人にはハマるだろうし、
「じゃ、つまり何だったんだ」と確実な一つの答えが欲しくなっちゃう人にはハマらないかも。

変な言い方だけど、この映画がポーランド映画だったりメキシコ映画だったらもっとストレートに評価を受けると思う。不思議な魅力のある映画として。

日本映画の感動ミステリーだとラストには
「アレがこうでコレがそうで」とばっちりパズルが組み合わさって
「深い愛によって引き起こされた犯罪。本当に悪いのは誰でしょうか」みたいな終わり方をするんだけど、

この映画はそうではないので
見終わった後に「え、何なんの!?どうこと!?」と慌てふためく人が少なくない数いると思う。


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僕は見終わった後にトークショーがあってそこで監督や出演者さんの話を(多分30分くらい?)聞けたので、
なるほどそういう野心的な意図があるわけね、というところである意味腑に落ちることが出来ました。

アフタートークがなかったら延々と「え、だってパンジーの鉢は隣の部屋にあったわけでしょ。。」とかずっと考え続けちゃったと思う。


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現実世界はミステリー作品ではないのでそんなにばっちりと答え合わせ離されない。

めちゃくちゃ大きな事件なら警察やらマスコミが動いて、詳細まで解明するんだろうけど。

そうではないレベルで、警察もマスコミもそんなに興味持たないレベルで、当事者たちも真実に近づこうとしない場合は
結局この映画のように「もやもやしたままの何かを抱えながらあと数十年生きる」ことを選ぶでしょうね。

選ぶっていうか選ばないっていうか。
それは見ないようにするっていうか。


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