この〝戦前〟の時期に〝君たちはできる!〟と。映画『君たちはどう生きるか』〜映画感想文〜
何を感想として書こうか、、まとまらんわな。。
とにかくここまで何の事前情報もなく映画館で映画を観たのは初めてだったかと。
全部のシーンを映画館で初めて観た。
ポスターの鳥以外のキャラも全部初めて観た。
で、ほぼ満席にさのあの広い客席の全員がおそらくそうだった。
みんなで初めてのものを観た。
ってのが、異質な経験だっなぁと思います。
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僕は1978年生まれで、ジブリは『魔女宅』から映画館で観てます。11歳のとき。
めちゃくちゃ好きなわけでもないけどなんだかんだジブリと共に生きてきた感はあります。
その高畑勲がすでに亡くなっており、宮崎駿はさすがにさすがに長編はこれでラストでしょう。
「あ〜、最後なんだなぁ」とエンドロールで宮崎駿という文字を見た時グッと来ました。
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原作の『君たちはどう生きるか』は読んでません。
ウィキで調べました。
↓
「
本書は軍国主義による閉塞感が高まる1930年代の日本において、少年少女に自由で進歩的な文化を伝えるために企画された「日本少国民文庫」のうちの1冊である。
」
つまり、第二次世界大戦の前に
「なんかまた戦争やる機運になってるけど…」って気持ちで発行された本。
で、『君たちはどう生きるか』については以下のような批判があったと。
↓
「
イスラム法学者の中田考が2018年7月に書いた『みんなちがって、みんなダメ』には『君たちはどう生きるか』への反論が含まれている。
中田は、どう生きるのかを自分で考えて決定することができるという本書の論理に否定的であり、そこに「自由の幻想」を見る。
「できもしないことを、できる、と自分の身の丈に合わないことをしようとすれば失敗するため、さらに承認欲求が満たされなくなる。ダメでちっともかまわないんです。宗教の場合は、ダメというのは神の前での謙虚さに通じます。」と彼は述べている。
」
つまり、
「なんでもできる!」なんていう自由な発想は幻想であり、
到底不可能な夢を見させて若者を失敗させると彼らの承認欲求を満たせなくなる。
そもそも「自分はダメだ」という謙虚さこそ神の前では必要なことだ。
と。
『君たちはどう生きるか』は↑この考えとは逆ってことですね。
宮崎駿は↑この考えと逆ってことでしょう。
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つまり宮崎駿は最後の映画で
この〝戦前〟の時期に
〝君たちはできる!〟と
若者に伝えようとしたんですね。
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