どの惑星でも永久に死なない映画『東京物語』(1953)←敗戦から8年
東京物語
配給 松竹
公開 1953年11月3日
上映時間 136分
製作国 日本
キャスト 原節子 笠智衆 東山千栄子
監督 小津安二郎
製作 山本武
脚本 野田高梧
恥ずかしながら小津映画初めて観ました。
この歳で初めて小津を見てスコア5つけるなんて、
なんて恥ずかしいことだろうと思うけど、やっぱ5ですよ。
1953年だけどメッセージがぜんぜん死んでない。
おそらくどの惑星でも永久に死なない。
開始20分で5。
画面は緻密で完璧な美しさで、
俳優たちの演技もシステマチックでがんじがらめのような印象だけど、
登場人物たちはそれぞれに自由に動き回る。
「いいから家にいて…」「座ってて!」って思うんだけど、登場人物のほとんどは忙しい人たちなので全然おとなしくしてくれない。。
すぐいなくなっちゃう。。
それがとても残酷。
田舎から出てきた年老いた両親を邪魔者扱いする息子・娘たちの残酷さ。
とても苦しい。苦しい。苦しい。
忙しいことを理由に僕だって親に対しておんなじことをしてる。。
罪悪感が喉に突き刺さる。。
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これは敗戦から8年後の1953年でも同じだったのですね。
しかもこれが世界で評価されているってことは世界共通の罪悪感なのでしょう。
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年老いた両親がどこまでも良い人なので尚更ずっと辛い。。
原節子が唯一の親切キャラで、もはやヒーローのようにも見える。
両親があまりにもひどい仕打ちを受けるたびに
「助けて!原節子!」と心の中で叫ぶと原節子登場!
ハリウッド女優かのような存在感とオーラで神様のように両親に安らぎをもたらす。
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しかし『東京物語』はここで止まらない。
原節子でさえもけしてただの親切キャラではない。
義母から「暇があったら尾道にも来てよ」と言われても
「もう少し近ければ……」と軽く拒否。。
ウソでも「ぜひ行きますわ!」って言わせればいいし
映画の後半でホントに原節子が尾道を訪ねるシーンがあってもおかしくない。
(尾道を歩く原節子なんて映画的に美味しいシーンでしょ)
しかし、この原節子は「尾道、遠いし…」と軽拒否。。
すごい。
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で、後半。
ブリヂストンの東京支社みたいなとこでバリバリ働く原節子。
両親の前では絵巻物に出てくるレベルの高貴な所作だったけど
電話がかかって呼ばれた時の「あたし?」が良い。
現代的(1953年の映画だけど…)でサバサバした言い方の「あたし?」
これだけで、普段は全然普通の自然体の現代女性であることがわかる。
しかも、
電話である事柄が伝えられて、尾道に行かなきゃいけないかもしれない空気になると
無表情ではあるけど
心の中で「めんどくせー……」って思ってそうな雰囲気。
けして「大丈夫かしらっ!心配だわ!居ても立っても居られないわ!」という雰囲気ではない。。
すごい。
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両親(笠&東山)にとっての唯一の癒しなのは、亡くなった息子の妻(原節子)という皮肉な状態。
しかもこの皮肉な状態さえ、原節子が滅私して奉公してくれてやっと成立してる。
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さらに!
この映画のテーマが「家族崩壊の危機!」
「家族を取り戻そう!」だとは思えない。
家族ってのは人間ってのはこんな程度のものだよね…って感じなのがいい。
だからどうって言うわけでもなく、
ただ、こうだよねと伝えてくる。
キャストの中では若い京子(香川京子なのか!)が
「こんな家族冷たすぎるわ!」と激しく吐露するけど
そんな京子をたしなめるのはヒーロー原節子なんだもん。
長女がわかりやすく悪役だけど、
長女は仕事で成功してバリバリ働いてる上に家事は完全に任されていて自分の生活で頭いっぱいの人。
誰が悪いと指を刺すわけでもなく
「家族を取り戻そう!」と型に押し込めようとするわけでもない。
これが『東京物語』が永遠の命を獲得した理由でしょう。